涼しいには違いないが、曇天を通り越して降り始めているようないないようなそんな気配。
夜半には雨になるという。
それでもまっつぐに帰るという気遣いはない。
久方振りに食べたい物を目指して移動している。
千代田区、地下鉄の出口より地上に出る。
家路に急ぐ人々の間を縫って泳ぐように進むと、果たして目的地はそこにあった。
時刻は19時半前、既に完成形の酔客らが大声を発しているのが外からでも分かる。
一抹の不安を抱えつつも暖簾をくぐると、嗚呼已んぬる哉、「ウエモシタモイパイデス」とカタコトわられる。
まァ致し方無ぇやなと、店名が入った暖簾と「ぎょうざ・たんめん」と記された看板、女主人が大事に育てていたと思しきプランターに火を放って速やかに撤収。
背後より嗚咽交じりの慟哭が聞こえたが、振り返らずに地下鉄の階段を下る。
・・・食べたかったし、あの湯麺。
そして、新宿区。
予報通り、雨は降り出している。
木製看板を横目にしながら暖簾をくぐり、手前に斜めったカウンターに案内される。
江戸の仇は長崎に相違ないと啤酒(ビール)と湯麺(タンメン)を頼む。
香港映画におけるやられ役顔の従業員より「オジカンカカリマス」と告げられ、無言で頷いたのが唯一の国際交流と信じている。
ほどなくして運ばれる、器になみなみとした湯麺。
顔でも洗えとばかりに、白く輝く陶器の底深な洗面器がそこにある。
・・・これはもう、何ともまあ、わりと多いな。
それでも、やっつけよう、仕事のように。
錯乱気味に、豆苗とトマトの炒め、牡蠣のオイスターソース炒めを小皿で追加。
前者は、皿に盛られたフレッシュトマトに、炒められたベーコン、長葱、干し海老の入ったチリソースが掛けられ、素揚げされた豆苗と中国三つ葉(パクチー)が載る一品。
赤に緑と派手な彩色ながら、組み合わせとしてはいまひとつな感は否めない。
後者は、云わずもがな、牡蠣の牡蠣による牡蠣まみれな一品である。
オイスターにてほどよく味付けされた絹莢(きぬさや)と長葱が添えられ、酒類は前に進むしかない。
そして、完食。
外はまだ止む素振りもない。
遣らずの雨てんで、神輿ィ据えても少しいただいきましょうかねぇ。
(量)
投稿者 yoshimori : September 15, 2010 11:59 PM