夕刻に訪れた店でのたったひと品の注文に躓いた悪夢からまだ覚めやらぬ十八時半。
その魔窟にて伝票片手に卓を廻る、ぐりっぐりにウェイヴのかかった赤味を帯びた金髪の・・・ってお前はキャンディ・キャンディか幾つになるんだ四十路じゃァ済まないだろうという従業員の姿が未だ脳裏に焼き付いて止まない。
何が何でも手段を選ばずに癒されたい心持ちにて、前述の魔界と同じエリアには相違ないが、以前に伺った記憶も新しい味噌食に特化したよく燃えそうな木造一軒家を目指す。
無論点火はしないし、その代わりにと云っちゃァ何だが、わりと転嫁は得意な方だ。
格子戸をくぐり抜け、出迎えた従業員に案内(あない)を乞う。
階上の座敷を所望するもそれは叶わず、もはや秋らしく涼しくなった表とは対照的な灼熱の焼き場前のカウンタアへ案内される。
まァ致し方なしと諦めて着席。
麦酒をいただくには当店取扱における鳥井氏銘柄が好みではないので、ここはひとつと冷酒を選ぶ。
「獺祭(山口・岩国)」
突き出しは秋刀魚の味噌漬け、所謂缶詰食である。
小骨が意外と硬く、ひと切れで断念。
嘗め味噌である金山寺味噌にて三種の有機野菜を食す。
小皿に盛られた金山寺は具沢山の上に甘味があるので、少量で充分である。
◇蕪 ・・・ ほんのりと甘い。味噌よりも醤油がよい。
◇辛味大根 ・・・ 内部は放射状に紅色である。そして名の通りに辛い。甘い味噌に合う。
◇バターナッツ ・・・ 実は南瓜という。甘味を抑えた柿の如き食感と風味である。生食が望ましい。
続けて、「石鎚(愛媛・西条)」を。
先に頼んだ銀鱈の西京焼きが目の前にて炭火で焼かれているのが見える。
がしかし、自分の物と思い込んで愛しげに眺めていると別の卓に運ばれたりもして、娘を嫁にやる父親のきぶんで食が進むものかと忸怩たる思いがないでもない。
ようやっと手前卓まで挨拶に来た娘、焼き色や箸の通り具合を含め見目麗しいのだが、已んぬる哉内なるものはまだ早熟にて生赤い部分が残念な娘である。
まァ旬のものでもあるし、生臭はないようだからとそれでも美味しくいただく、娘なのに。
次は「山形正宗(山形・天童)」を。
目前の鉄板で食材が焼かれる様を眺めていると、菜譜からは読み取れない実物を目の当たりにせざるを得ないので、自然と直感に結びついたオヲダアになるのを止められない。
クレヱプ作りを眺めるかのように巻かれて、というか折り畳まれてゆく出し巻き玉子が絵的にふわっふわなので頼んでみる。
開けた厨房に直接訪ねると、もろ味噌大根のじゃこと九条葱入りという。
じゃァそれひとつ。
ふわっふわの上に載るしゃっきしゃき感を残す大根は蛇足にも思えるが、これはこれでよかろうと。
最後のひとつに手を付けて箸を置くと、熱い焙じ茶が運ばれて来た。
潜在的な猫舌ながらせっかちが勝りがちとひと息でいただく。
支払いを済ませて出入り口に向かうと、従業員のひとりが系列店の名刺を二枚手渡してくれる。
正方形の一枚は市ヶ谷にある矢張り同じ木造一軒家な店舗で過去に行った記憶があるが、赤いもう一枚は当店の近所に開店したばかりの葡萄酒に特化した店という。
矢張り其処も木造家屋を改装した店舗である。
共通した感嘆の台詞は「よく燃えそう」。
洒落の通じない相手だと絶句と沈黙が返ってくることもしばしばなので、間髪入れずにまァ近いうちに寄せていただきますよという社交辞令も忘れない。
さァて二軒目は広めのラウンヂがよろしいかしらと坂道を斜めに歩き出すのだ。
(了)
投稿者 yoshimori : October 14, 2010 11:59 PM