越前の大名朝倉義景、織田勢より追われ中国地方へと落ち延び、年始の雑煮は餅搗く暇もなく団子汁。
彼とその家臣の子孫は今でも餅の入らない雑煮で新年を迎えるという。
実家の雑煮が団子汁と嘆きの諸氏、努努(ゆめゆめ)貧相と思う事なかれ、豈図(あにはか)らんや朝倉家由緒の家系やも知れぬ。
(了)