猿楽町、十四時。
久方振りに歩く八幡通りである。
諸事情により食が細くなっているのを考慮し、蕎麦屋の暖簾をくぐる。
先客は四組、混んでいる。
後続にひとり客が二組続いて満席となる。
内装は土地柄のされおつ度合いを一切受け入れない昔ながらの町の蕎麦屋の体にて、BGMは80年代歌謡曲である。
まずはと冷酒を一合と天抜き(「天」麩羅蕎麦の蕎麦「抜き」)を。
品書きには銘柄の記載はないが、書かない事情もあるだろうと敢て尋ねたりはしないのだ。
蕎麦が茹で上がる前に飲み終えて替わりを傾け始めそうなので、グラスでの一合売りを断り徳利と猪口を貰う。
一合をやっつけたところで、茸蒸籠を頼む。
きのこだぁ? と板前から鼻でせせら笑われようが、こちとら江戸っ子ではないので、かような不粋も結構毛だらけなのである。
・・・人の事を兎や角云える立場じゃァないのは重々承知なのだが、店内をつと眺めてみれば、先客後続を含め、客層における職業不詳さ加減が何か琴線に触れたようでざわざわした心持ちになる。
だって、みんな平日の昼にここで何をしているのさ、だいたいその太り方とその日焼け具合は何なんですか、君らの親は知ってるのか、そういう微妙な色の服を着て往来を歩いたりして、草むしりとかしたことないでしょ、その手は、という類の輩に向けられた眼差しは時として悪意を持つのである。
「そういうお前には云われたくない」という天からの一声も聞こえたりして、それはそれで重ね重ね心得ているのだと自らに問い掛けると、忸怩たる思いで店を後にするのだ。
(了)
投稿者 yoshimori : December 24, 2010 11:59 PM