赴いた喫茶店にて挽いて貰った珈琲豆を自宅にある珈琲メヱカアで淹れている。
詳細な経緯は失念したが、此のマシヰンは自ら購入した物ではないようだ。
数年間キッチンに眠っていた遊休品を今更ながらに据え付けたに過ぎない。
それにしても、挽き売りの豆を買い求めたのは数年振りである。
当時はペヱパアフィルタアを利用した淹れ方をする為の挽き豆導入だったと記憶している。
其れも数える程度でしかない。
珈琲メヱカアを所有していたのに、である。
今思うと使い方を知らなかったようだ。
裸の儘で本体のみを受け取り、添付されていたであろう説明書は手に入らなかった。
いざ使い始めると其の簡易さには即座に馴らされ、ただただ瞬沸性に呆れるばかりである。
今憂うのは、此の器械を失う事である。
より良い物に買い換えるという発想が皆無な為、次に手に入れるまで悠久の時を過ごさねば為らないかと考えると憂鬱にもなる、未だ壊れる気遣いすらないのだが。
求める事物に価値を見出せず、ただ與えられるが儘に過ごす者へ下賜される事物は淡く儚い。
(了)
"The OneChanbara"
(2004/Tamsoft)
"a cowgirl in a bikini who wears a scarf and wields a sword"
"Rule of Rose"
(2006/Punchline)
director;
Yoshiro Kimura
"an abandoned mansion"
投稿者 yoshimori : February 7, 2011 11:59 PM