本日ァ久方振りの町歩きでござんす。
別当寺無量山傳通院塔頭浄土宗慈眼院
澤蔵司稲荷(たくぞうすいなり)
@小石川三丁目
春日通りを小石川傳通院前交差点より傳通院門前に向かって突き当たりまして右折、坂の途に在ります大きな椋の木が目に入ります。
其処から境内を見上げますてぇと少ぅし高台となっておりまして、燻し銀のもだーんなあーちを潜りますてぇと此の地の鎮守、澤蔵司稲荷様がおわします。
当時、栴檀林と呼ばれておりました傳通院の学寮に、澤蔵司という名の修行僧が居りまして、此の澤蔵司坊、僅か三年にして法然上人なる名僧智識の全てを網羅しまして元和六年皐月の或る夜、学寮長に枕元に立って自らは稲荷大明神であると告白し、学寮内外で世話ンなった礼としまして傳通院の守護を約した後に暁の雲にお隠れンなったてぇ云いますな。
此の「暁の雲」って表現が良いですなァ、まァ人の受け売りなんですがね。
とまァ其れを機としまして傳通院住職、境内に澤蔵司稲荷を祀りまして、慈眼院を別当寺と致しました。
境内を進みますてぇと、石碑の体を為した案内板にて「おあな」と朱で彫り付けられております。
此れは石段を降りた奥に在ります霊窟を指しておりまして、洞穴まで辿り着く為に幾つもの朱塗りの鳥居を抜けねばなりません。
少し強めの風が木木を葉葉を揺らし境内を吹き抜けますてぇと、或る種独特の雰囲気を醸し出して参ります。
穴の中にはこぢんまりとした祠とみにまむな朱の鳥居が箱庭の如く犇めき合っております。
澤蔵司さん、当時から在りました近所のお蕎麦屋さんに通ってらっしゃったと聞きます。
当の蕎麦屋ァ、其の日拵えましたの蕎麦の初物を毎朝此処に奉納されてた様でして、蕎麦屋の大将が夕刻に器を回収に行きますてぇと、中身は素ッ空かんだったそうで。
澤蔵司天麩羅蕎麦がお気に入り
~古川柳
オヤ澤蔵司さん、油揚げ(あぶらげ)じゃァねぇのかぃ。
小石川の御狐様、澤蔵司稲荷の一席で御座ィました。
(了)
投稿者 yoshimori : April 30, 2011 11:59 PM