June 24, 2011

◆『図らずとも十二人居るとは限らない二十四のヒトミ』

本日ァ大学での講義でござんす。

『第二回 桜美林大学寄席 講談・落語の会』
@四谷一丁目・桜美林大学四谷キャンパスホール

何故か入場時に大学名ろごの入った麻地の「えこばっぐ」を戴きました。
此れが木戸銭に含まれてるかと思いますと、下世話でもありましょうが講師として来てらっしゃる演者のぎゃらんてぃーの額面を憂えざるを得ませんなァ。

三遊亭好の助◆不動坊火焔

「好色の好に助兵衛の助と書いて、好の助と申します」
「大変に厭らしい名前となっております」

本人は「好楽の三番弟子です」としか仰ってませんでしたがねぇ、実はナポレオンズの「手品を演る背の高い方」、ボナ植木氏のご実息だそうで。

お仲入りで御座ィます。

一龍斎貞寿◆四谷怪談〜お岩誕生

演目が演目だけに、貞寿先生、左門町にある田宮神社(於岩稲荷)にて御守を求めて来たなんてぇ説明しております。
毎年講談師の皆様方は春を迎えますてぇと神社詣でと同時に墓参も欠かさないそうで。

巷間で知られる四谷怪談の前日談となる発端の抜き読みで御座ィます。
御家人田宮又左衛門が娘つなは疱瘡持ちで器量良しとは云えないのですが、縁ありまして奉公人で飯炊きの伝助と夫婦(めおと)となります。
伝助の次の奉公先、殿様と家来衆は参勤交代の為に国許へ帰りました松平安芸守様の江戸屋敷には足軽高田大八郎だけが居残っておりまして、つなの産気付いた様子が気になる伝助は刻限に遅れながらも大八郎の下へ出仕する場面から始まります。
湯に行った大八郎の留守の間に伝助は、天井裏にて金貸し伊勢屋十助の斬り刻まれた亡骸をうっかり見つけてしまい、果てには湯から戻って来た大八郎より遺骸を棄てて来いと託されまして一度つなの居る家へと戻りますが、十助の女房みねに気兼ねした伝助は遺骸とつなを家に置いて、みねに亭主が死んだ事を伝えようと十助の家を訪ねますが誰も居りません。
其れも其の筈、十助の身を案じたみねは大八郎の下を訪ねており、其の際に斬られ既に亡き者となっているからでした。
其の忙しい最中に産まれたのが、つなの娘岩なのです。
此れから追い追いと怪談噺になりますが、岩は祖父又左衛門に引き取られまして田宮家の娘として育つので御座ィます。

追い出しこそ鳴りませんが、此れでお開きと相成ります。
帰りに五明樓玉の輔師匠でざいんの手拭なんざ買い求めまして講義室から退出です。
仕舞いまで四軒に渡って梯子するんですがねぇ、其れは又ァ別の話でござんす。

(了)


<覚ヱ書キ>
壱:ガイパッメッマムアン、チャーン
弐:大根、玉子、つみれ、日高見(宮城・石巻)
参:茹で、焼き、一ノ蔵白峰(宮城・大崎)
肆:Macallan, Dewars

投稿者 yoshimori : June 24, 2011 11:59 PM
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