早いもんですなァ、つい昨日まで三箇日かと思ったらもう大晦日なんで御座ィまして、年越しはってぇと例年は北国で過ごすンですがねぇ、まァ北国と云いましても、浅草観音様の裏ッ手じゃァ御座ンせん、豪雪地帯の他国で御座ィますな。
お蔭様でお年玉なんてぇ呉れてやる身分ンなりまして、重箱みてぇに歳ばっかり重ねてきましたがねぇ、これでも明けて年男なんてんで、二十四になりまさァ。
・・・まァ干支ひと回り鯖ァ読んでますがね。
図々しさばかりが輪ァ掛けて身に付いてゆきますなァ。
えー、本年も大変お世話ンなりました。
来年もお世話を、なんてぇ軽い要介護な身を案じて願っておきます。
皆々様、よいお年をお迎えくだせェ。
(了)
<ゆかり Profile>
◆実年齢45歳(見た目は32歳)
◆パスタが得意
◆四国出身
◆苗字は「三島」だが、現在同性同名のタレントが存在する
◆(以下、追加予定)
(了)
しっととよくぼうがうずまく、だいとかい・とうきょうです。
まちのいるみねーしょんはきらきらとかがやいていますが、しょうぎょうしゅぎにおどらされたつくりものにすぎません。
おんなのひとがおとこのひとのうでにぶらさがっているふうけいがよくみられるきせつです。
つがいども、つうこうにんのじゃまをしちゃいけないよ。
ぽけっとのなかには、がいこくのこぜにしかありません。
なにかをたべなければいけない、とのれんをくぐると、いすのないみせのなか、せなかをまるめたおとこのひとたちがすとろーくのみじかいうでとはしでそばをたぐっています。
にせのこぜにをしはらい、あたたかいそばをたのみます。
たくじょうのしちみどうがらしをからになるまでふりつづけ、どんぶりをまっかにそめてゆきます。
まっかなつゆさえのみほし、みせからでることにします。
くらいめをしたおとこのひとたちがあしばやにえきへとむかいます。
あわれんだひとみで、かれらをみおくります。
かみのしてんになると、すべてのひとびとがあわれなこひつじなのです。
かんばんもなく、いりぐちのくらいみせをみつけました。
まだみせにはいっていないのに、ふのおーらをはだでかんじます。
ここはあぶない。
しかし、かみのしてんですくわなければいけない、とかいだんをおりてゆきます。
よそうどおり、じごくえずをみているようでした。
めにゅーには、かなしみ、こどく、えんざいというなのかくてるがならびます。
あぶないどころか、やばいです。
うっかりとびこんできたつがいどもは、ふのちからにまけてそうそうにでてゆきます。
ひとりではいってきてしまったおんなのひとは、ばのくうきにたえきれず、そのばでなきくずれ、どうこくしています。
かかりのひとがきょうせいてきにれんこうしてゆきます。
さいれんのおとがおくざかってゆきます。
もうすぐだ、とだれかがつぶやき、かうんとだうんがはじまります。
ごー、よん、さん、にー、いち・・・、
そのあとのすうじとたんごをはっすることなく、すうにんのおとこのひとはくだけちりました。
みせのひとはだまったまま、それらのかけらをひろいあつめます。
まいとしこうなんですよ、とみせのひとはちからのないえがおをみせました。
きみにさちあれ、みせのひとにしゅくふくを。
ぼくはかけらにならなかったことをかんしゃしながら、いえにかえるのでした。
(おわり)
曹洞宗 羅漢寺@大島三丁目
羅漢寺なんてぇ云いますと、目黒の五百羅漢寺を指すんですがねぇ、元来、本所五ツ目(現・江東区大島)に在りまして、徳川様の御世に綱吉公、吉宗公が後ろ盾となってたンですがねぇ、埋め立て地だけあって水難が続きまして衰え、御一新の後に目黒に移ったなんてぇ云いますな。
当寺院より明治通りを砂町方面に向かい、進開橋を通って小名木川を渡りまして、右手に建設中のモールを見ながらこれから目指す処があるんですが、丁度お時間で御座ィますのでお後と交代して失礼致します。
(了)
えー、暮れも押し迫って参りました。
何ぞてぇと、年忘れと称しましてこの時期、酒量が鰻登りになるんで御座ィますがねぇ、辛ェもんでも突付きながら、飲んだくれようと韓国家庭料理の店に入ります。
何故か毎週水曜には夜毎ベリーダンスショウ行われるこの店、プルコギ、チヂミ、チャプチェが食べ放題となっておりまして、まァぶっちゃけそんな量は喰ぇやァしません。
調子に乗りチャミスルを頂きまして、油断してますってぇと彼岸に連れてゆかれそうになります。
嗚呼、彼岸はまだ早ェってんで、挨拶もそこそこに、お後と交代で御座ィます。
(了)
暖簾を潜りまして、時候の挨拶もそこそこに白木のカウンターに座りますってぇと、兎に角考えるのも面倒なんてんで、不躾ながら女将にそう云いまして、熱いのをひとつとお任せに致します。
突き出し◆白子と水菜
東北泉@山形
煮浸し(下仁田葱、椎茸、粟麩)
太刀魚塩焼き、穴子醤油焼き
天寳一@広島
芹と鰯のつみれ
大将と女将に送り出され、背で「よいお年を」と受けまして、ゆるゆると帰りまさァね。
御馳走様でした
(了)
えー、「菊水」なんてぇ云いますってぇと、鎌倉時代の武将、大楠公と呼ばれました楠木正成様の御家紋、御旗印で御座ィまして、大東亜戦争末期には大日本帝国海軍の特攻作戦名にもなりましたな。
我々の方で菊水なんてぇと、やっぱりキチゲェ水で御座ィまして、越後にある蔵元の名と酒銘で御座んす。
銘の由来はってぇ云いますと、『太平記』における魏の時代、古代中国を舞台にした能楽、『菊慈童』に起源を求むるなんてぇ云いますな。
能の中じゃァ、菊の水は不老長寿をもたらすものとして、これに因む酒銘で御座ィます。
まァ巡り巡りますってぇと、尽忠報国の特攻も大楠公も酒銘も起源をひとつにするんですな。
何てぇ前置きはさて置きまして、小千谷のキチゲェ水を飲りながら蟹入りの出し巻玉子、くわいの素揚げを頼んだところで、丁度時間となりまして、お後と交代で御座ィます。
(了)
えー、真ッ黒ィ猫なんてぇ申しますと、ロジスティクスな業種の方を想像したりしますが、欧羅巴では不吉な象徴とされまして、魔女狩りなんてぇ黒イベント時には、こいつが使い魔だなんてんで黒猫が真っ先にやられちゃこともあったなんてぇ聞きますな。
白耳義にあるとある町では「猫の水曜日」なんてぇ称しまして、毎週毎週、町の時計台から黒猫を投げ落として地面に叩きつけるなんてぇ行事を十九世紀の初めまで行なってたってんですから、伝統に根付いた殺生とは怖ろしいもんで、伊太利亜では今でも年間六万匹もの猫が迷妄する民によってやられちゃってるそうですなァ。
まァ湿っぽいはなしになりましたがねぇ、あいつら黒猫には何の罪は無ェってんで、日本人らしく無知蒙昧にポリシーも無く、度数の高ェ白酒(パイチュウ)をあおりながら、山羊を用いた一品を頼んだところで、丁度お時間となりまして、お後と交代で御座ィます。
甕入り黄酒(ファンチュウ)、白酒
(了)
まァ何ですな、健康が何よりなのは周知の通りなんでげすが、大量消費、強いては暴飲暴食が美徳とされていた青春時代を過ごしてきました我々には、もう取り返しがつかねェくれぇに何かしら蝕まれてることもありまして、遺伝は別としましても、多少の諦めも混じりつつ、痛ェのだきゃァ荷だなァなんて漠然と思ったりもしまして、まァ最近よく聞きます、四百四病と云われた時代から幾つか更新されました、或る病について考えたりなんかしますな。
幾つかの症状を論いまして、茶ァ濁すわけで御座ィます。
◆全ての臓器が常時全力疾走と同様の状態となり、大量のエネルギーを必要とする為に食欲が異常に増すが、代謝が高い為に体重減少する
・・・ははァ、これは心当たりがありますな。
いちんち四食でも、体重は増えませんし。
◆心臓機能の亢進から収縮期高血圧、時に心房細動を来たす
・・・最近は無ェでげすが、前は不整脈がありまして、呼吸が苦しい時ァ軽い心停止でしたな。
◆新陳代謝の活発化から発汗過多を来たす(夏の暑さに耐えられず、冬でも暑い)
・・・あたしゃァ異常に代謝がいいからだと思いましたが、確かに冬でも寒かァありません。
◆振戦、手の震え
・・・こりゃァ夜ッぴぃて飲んだくれてる所為じゃァねぇんですかィ。
「考えたら死ぬぞォ」なんてぇのは、昭和五十四年に亡くなった六代目春風亭柳橋師匠のお言葉ですが、まァ其の通りにしてりゃァ、もう少し生きられるのかもしれませんなァ、なかなかできるこっちゃ御座ンせんが。
(了)
えー、明治の文豪に森鴎外なんてぇ先生が居りまして、彼の人が『雁(がん)』の中で主人公の東大生岡田に歩かせる、上野不忍池の対岸にある無縁坂には、積み重ねられた石垣のある旧岩崎邸、坂を上れば岡田の住まう下宿「上条」が登場します。
この下宿上条、現在は跡形も無ェんですが、作中では「明治十四年に自火で焼けた」なんてぇ表記が見られまして、岡田も焼け出されたひとりなんですな。
明治の本郷帝大から時ィ処移しまして、昭和三十六年、夜鳴きの支那そば屋台として始まったなんてぇ老舗の店、平成十七年に自火を出しましたが、こちらは全焼類焼に及ばず、翌年には新装開店しました。
キチゲェ水を頼むと出てきますなんてぇお通し、鶏団子に乗っかる少々の豆板醤と中国三つ葉(パクチー)を同時に頬張りながら、白眉な一品を待つんですがねぇ、丁度時間となりまして、お後と交代で御座ィます。
(了)
「バッテリ~、バッテリ~」
すごい売り声。
「へぇ、何にしやしょう。小さいのから大きいのまで取り揃えておりやす」
いや、ひとつも要らない。
「親方ァ、今なら同ンなじものがふたっつ付いてきやすよ」
いや、要らないから、ひとつも。
「おぅおぅおぅ、冷やかしなら止めてもらいてぇなァ」
いや、呼び止めてもないし。からまないで。
「旦那ァ、買ってくださいよ。これ持って売るのも辛ェんですよ。うちには年老いた母親と十二をカシラに三人の子どもが」
戦略変えてきた。
「もういいってんだ!」
何だなんだ。
「あっしがこれを持って地獄に堕ちればいいんだ!」
まァた、そういうことを。
「じゃァ買ってくださいよ」
んー、いくら?
「三万円」
えー? ていうかこれ、何のバッテリーなの?
「I○M」
いおむ?
「こりゃァ伏せ字だ!」
あー、やっぱ要らない。
ほんとに要らない。(実話)
(了)
手羽元なんてぇ云いますってぇと、ウィングスティックなんてぇ横文字も御座ィまして、煮物や鍋に入れますと、よぉくダシが出るってんでずいぶんと重宝するンで御座ィますな。
人間で云うと、「肘と肩の間」なんですがねぇ、 そう聞くとかなり喰いでのある部位ですなァ。
ジヨーアカドリなんてぇ銘柄、どんな字を書くのかと云いますと、「地養赤鳥」なんてんで、知らなくてもよかったくれェの地味さ加減でやや肩を落としてみたりなんかしましてな、それでもジュウシィでコクあるなんてぇ云われております、レッドコーニッシュなる国産銘柄鶏なんですなァ。
これを用いた一品をここでご紹介したいンんですが、丁度時間となりまして、お後と交代で御座ィます。
(了)
室内に設置された漁船からの魚釣りに間に合わず、じゃァ代打はJAZZかと地下へ潜り、天井から吊り下がったアルテックA5(何?)から流れるキース・ジャレット(誰?)のピアノソロを聞きながら、変わり豆腐を突付こうとしたら、今日は無いと素気無く断られ、仕方なく皮付きに揚がった芋を喰い喰い、琥珀な液体を口にしていたら、アルコールに麻痺した小腹が空腹を覚え、護送された先で蟹のピザとハムのピザと何かの煮込みを焼酎で流し込み、漫喫に向かうという知人を送り出し、そして再び出迎え、今日も今日とて生産性皆無な凍える朝を迎えるのだった。
(了)
銀杏なんてぇと、その独特の臭気と苦味で敬遠されがちですがねぇ、酒呑みにゃァアテによろしいってんで、煎り立ての殻をがきりと割りまして、緑色の小粒に塩をちょいとまぶして口に放りッ込みますと、キチゲェ水がぐっと進んで止まらなくなりますなァ。
こんな銀杏野郎にも銘が御座ンして、「藤九郎」なんてぇ歌舞伎役者みてぇな名を頂戴しております。
こいつがよくある銀杏よりゃァ大粒で、倍ぐれェ重ィんですがねぇ、殻の厚さは逆に薄く表面は滑らかに艶があり、しかも長く保存が可能で更に美味であるってんですから、優れた奴でげしょう。
ただ、こいつを剥くのが面倒でしてねぇ、殻の中にゃァ薄ッ皮もありまして、細けェ作業が煩わしかったりしまさァね。
なんて愚図愚図としておりましたら、女の方が剥きましょうかと申し出てくれやしたねぇ。
女の方と云いましても、あたしのおっ母さんぐれェのお女中でしたが。
剥いてもらっといて何なんですがねぇ、時が経つとともにミは冷えて硬くなるもんですから、微妙な味わいになるんですな。
河岸を替えようと席を立ったところで、丁度時間となりましてお後と交代で御座ィます。
(了)
昨日の店、開いているようだ。
中に入り、壁の品書きを見て注文してみる。
「極辛ァ? 駄目だよ」
え? だって、メニューにありますよ。
「まずは中辛にしときなって」
ちゅうからぁ?
「うちのは殺傷能力あるからね」
ほんとですかー?
「やめときなって」
き、昨日、ほ北海道から東京に来たんです! おおお思い出にお願いします!
「遠いところからじゃァしょうがないねぇ。でも、ほんとに辛いよ」
じゃァ極辛で。
出てきた品は、廃墟にて風雪に晒された鉄骨から噴き出た錆の如き色。
たべもの?
文字通り辛うじて完食。
開いた毛穴と噴き出た汗が一日中止まらない。
彼らの出口が心配。(下品)
(了)
<お詫びと訂正>
実は「中辛」でいっぱいいっぱいでした。
神が見えた気がします。
訂正をもってお詫びと替えさせていただきます。(涙)
昼に昼食でも食べようと、外に出て外出。
元格闘家が開いている店があるという。
見つける。
「諸事情により当分の間、ランチは休ませていただきます」
えー? この為に来たのにー。
閉ざされた扉の前でぼんやりしていると、坂の下より五十代女性がごめんなさーいと近付いてくる。
「ごめんなさいねー、子どもが怪我しちゃっててねぇ、いろいろあれなんで、昼だけ閉めてるんですよー」
はあ。
「明日からはたぶん昼もやるんで、よかったらどうぞー」
お大事に。
じゃァ明日だ、たぶん。
(續)
<襲名披露口上>
えー、あー、本日ァお日柄もよく、いっぱいのお運び、誠に有難う御座ィます。
高い席からでは御座ィますが、此度不肖の末弟が、十代目「ドアノブ」の襲名の運びと相成りましたことを皆々様にご披露致す次第で御座ィます。
えー、十年一昔と申しますか、幾星霜、過ぎ去りし日々も遠くなりにけりなんてんで、このような華々しい舞台に立ち合うことができ、そして、大名跡でもあります此の「ドアノブ」襲名を行うことができ誠に持ちまして感謝感激雨小便で御座ィます。
(割愛)
これからも稽古にケイコ、精進に精進を重ね、うっかりと握ってしまう教えを肝に銘じ、当人もこの大きな大きな大名跡を汚すことのないよう努力していく所存で御座ィますので、今後とも「ドアノブ」をご愛顧いただけますよう、宜しくお願い申し奉ります。(礼)
(了)
「キャベツ100円です」
ひとつおくれ。
「どうぞ」
あれ? 80円ってあるよ。
「ざっくり100円です」
まァ安いからいいか。
「ありがとうございます」
また来るよ。
・・・
というやり取りが一切無い買い物をして、帰宅。
買い物袋の中には、キャベツと豆もやししかない。
調理器具はやかんだけ。
やかんに水を入れて火にかける。
湯が沸く。
少し冷ます。
白湯で薬を飲む。
キャベツを赤い布で包み、部屋の隅に置いてみる。
少し高級感が出てきたぞ。
豆もやしを凧糸で縛り、そっと戸棚にしまう。
戸棚の向こうから呪いの唄が聞こえてくる。
助けて、キャベツ!
赤い布を解き、豆もやしと立場を入れ替える。
という動作を三時間繰り返したところで、時間切れ~。
(了)
えー、キチゲェ水とアテの話でご機嫌を伺います。
ピノ・ノワールなんてぇ葡萄の品種が御座ィまして、此れはその頃ヴィニフェラなんてぇ呼ばれております欧羅巴原産の流れなんてぇ云いますな。
仏国ブルゴーニュを原産地としまして、殆ンど黒に近ェ青ィ紫な薄ッ皮を持っております。
此れが赤ァい葡萄酒に醸造されますってぇと、まァ大層な風格で御座ィまして、赤葡萄酒界にこのしとあり、と代表格なんてんで、頭領みてぇな扱いなんで御座ンす。
葡萄酒と醍醐(ちーず)の組み合わせを合う合わねェで言い立てますってぇと、果てしが無ェってんで、止しときますが、赤ェのに白黴醍醐はどうなんでぇ、合うのけぇ有りなのけぇと賛否両論多事争論なんてんで、まァお茶ァ濁す程度に論っておきまさァね。
チャーム・ド・フランス・ブリーなんてぇ白ェのが御座ィまして、何が白ィってカビ野郎が白ィんでさァ。
で、説明書きにこうありましてなァ。
「ブリーはチーズの王様と称されています。
表面は綿毛のような白カビにおおわれ、中はクリーミーで生クリームの香りと押さえた食塩が上品な味わい。
赤ワインとの相性は最高です」
嗚呼、赤は間違ってなかった、と。
更にこう続きますな。
「カビを表面に繁殖させて熟成させるため、表面は白いカビでおおわれています。
熟成が進むにつれて表皮がところどころ茶色に変色し中心までやわらかくなっていきます。
この場合は表皮は切り取って食べた方がいいでしょう」
あれ? 茶カビは食べちゃァいけねぇのかィ?
いでででで。
(了)
「実家で家庭菜園やってるんですよ」
えーと、バジルとか?
「いや、そんなおしゃれ」
おしゃれって。
「そういうぬるいやつじゃなくて、もっと本気寄りですよ」
んー、何だろう、茄子とか?
「そう、茄子もあるんですけど、この間は植えたはずのないかぼちゃができてました」
えー? かぼちゃって自生すんの?
「いや、まあぶっちゃけ自生なんでしょうけど、畑が斜面の途中にあってですね」
ははぁ。
「斜面の上は共同のゴミ捨て場なんですよ」
へぇ。
「そこに捨てられてたかぼちゃの種が斜面を転がり落ちてきて勝手に育ったみたいです。おいしくいただきましたけど」
・・・。
いい話なんだか、少し微妙。
(了)
「xxさん、インフルエンザだってさ」
まじすか。
「君がいちばん疑わしいね、歓迎会で濃厚接触だったし」
いやいやいや、席が隣ってだけじゃァないすか。
「咳してたよね」
・・・してましたね、ノーマスクで。
「君もマスクしてなかったね」
マスクしながら呑み喰いできますか!
「まァそれは置いといて、具合とかどう?」
云われてみれば、少し寒気が。
「えー!? まじでー!? ちょちょちょっと、今さ歓迎会の参加者全員で体温計を廻しっこしてるんだけど、ゆゆゆ優先的に借りてくるからっ!」
あー! おおごとにしないでぇ!
何名か引き連れて戻ってきやがる。
遠巻きにしながら、体温計を投げ渡される。
「で? どう? もう駄目?」
まだ、ピーともいいませんよ。・・・あ、鳴ってる。
「何度? 38度? 40度?」
いや、えーと、36度と少しですね。
「人騒がせなー」
あんたがいちばん騒いでたろ!
「まァ今日はもういいから、病院行ってきてね」
はァ。
「まだ生きてたいよね? ていうか、早く帰れッ」
えー? ・・・優しいんだか何だか分かりません。では、お先です。
帰りに寄ったクリニックでは鼻麺棒され、結果は陰性。
インフルエンザの疑いは晴れたものの、何かしらの病の症状はあるようで、幾つかを処方してもらう。
地味に弱ってゆく暮れの或る一日で御座います。
(了)
いるかい、と「ですこみさん」がやってきました。
さむいよるにはふさわしいおきゃくさんです。
「ですこみさん」は、てみやげだ、とかたくてまるいものをくれました。
これはたべられますか?
たべられるかたべられないかはわからないがたべられるものであればたべればいいしたべられないものならばたべなければいい、といいます。
わかったようなわからないようなはなしでこまります。
「ですこみさん」にこーひーをいれてだします。
ありがとう、といいながらかたくてまるいものにさきのとがったきんぞくへんをつっつきながら、ころがるかけらをあつめています。
かけらがいくつかあつまると、こーひーにいれました。
ということは、これはたべられるもので、こーひーにいれたりするのですね?
いや、このかつてかたくてまるいもののかけらをこーひーにいれたのは、となりにすんでいるじゅうにんにたいするいしきのあらわれだ、といいます。
ぼくはりんじんではありませんよ。
そこがむずかしいところだな、なんていいます。
しばらくふたりで、おれんじいろとやまぶきいろのみわけかた、つかえなくなったぼーりんぐのたまのいがいなつかいみち、かぴばらのせなかにのっかるときのちゅういてん、よわっているしにがみのよびかた、などをはなしあいましたが、なにひとつこたえはみつかりませんでした。
「ですこみさん」はすこしかわってるけど、やさしいひとです。
かえろうとするので、みおくろうとせきをたつと、いやいい、といわれました。
ほんとはこなかったかもしれない、といいます。
でも「ですこみさん」はここにいますよ。
おまえにはまだわからないのさ、ととびらからでてゆきます。
さようなら、「ですこみさん」、あすもひえるのでおからだにきをつけてください。
とびらのむこうにはふゆがひろがっています。
あたたかいのみものはすでにひえきっています。
「ですこみさん」にはなにもかもわかっているようなのですが、それをといただしたりはしないことにします。
わからないのは、ぼくのほうなのですから。
(おわり)
駒込なんてぇ云いますってぇと、かつては「こまごみ」なんてぇ呼ばれておりましてねぇ、徳川様全盛の御世におきましては、彼の地には綱吉公の頃の大老、柳沢吉保様の下屋敷が御座ィまして、御一新の後には、三菱を創りました明治の政商、岩崎弥太郎氏が買い取りますってぇと、時を経まして都へ寄贈と相成り候えば、今では景勝の地として知られる六義園となりましたな。
彼の園より本郷通りを駒込橋へ向かいまして、右に見えます日枝神社の鳥居をくぐりまして、境内を抜けますってぇと町処の名は北区中里に変わりまして、其の先にゃァ目指す処があるンですがねぇ、丁度お時間ということでお後と交代で御座ィます。
(了)