年々、老成しつつある心と胃袋が、厚味のあるセレブな肉を喰らおうと欲する状態にまでシフトさせる為には、想像を絶するプロセスを経て、少しの覚悟と大いなる空腹感だけを身に付け、臨まねばなるまい。
寒空の下、店頭の木製のベンチに座り、セルフ腕組みだけの防寒具にて四十分待つ。
一頭当たり、四キロしか確保できないというザブトンを頼む。
ザブトンとは、クラシタのあばら側へと続く肩ロースのこと。
ていうか、クラシタが分からん。
クラシタとは、関西圏における肩ロースのこと。
なるほど。
奥:特上中落ちカルビ、手前:ザブトンガツン焼き
奥から時計回りに柚子胡椒、おろしぽん酢、和がらし、にんにく醤油
薬味全種を試す前に、ザブトンはきれいに紛失。
店員を呼んで探してもらうが、何処にも見つからない。
当たり前だ。
これがかなりの霜降りっぷりで、口中で溶ろけてゆく。
多くは喰えないから、少量で満足。
次の肉テンションを待ちたい。
(了)
序、
酉ィはさんだその斜で、ろうす弄すと榊振り、紀州三度の金飛脚、搾り搾られ早十年、一度は迷った冥府魔道、ここらで候そろそろぉ、あ、神頼み~。
「お前さんの云うことが、百にひとつも分からないよ」
二、
浪ィ嫌えば渇く血で、桂皮籐穂腐れも顧みず、我が民さえも従えて、一筆啓上申し上げ、消えた先にはとんと取り、臓もはらわた胸三寸、斬られ斬られて華三条、伝家の宝刀、あ、抜きゃァがれー。
「あーいー」
(幕)
駿河台と湯島を結ぶ橋近くに、かつてはカリーの店として営業していたらしいんですがねぇ、現在では居酒屋と姿を変えまして、鰻の寝床的なカウンタァ席が奥まで続き、鮨屋の如きネタの並ぶ硝子ケェスもあったりなんかしますな。
中学生らしき息子が両親の家業を手伝ってる、ていうか、ほぼ従業員の如き働きで、見る人がが見るってぇと、少ゥし問題になりかねない家庭環境なんですなァ。
とりあえず、と燗のついたキチゲェ水をいただきまして、鮪と鯛の造り、炊いた根菜、海老の掻き揚げ、焼いた太刀魚を貪り喰います。
外を歩くってぇと、いい心持ちってんで次の店を目指しますな。
競走馬の名ァみてぇな店で飲んだくれまさァ。
(了)
昨年十月から始めた公衆浴場通い、先日二十三日にようやく二十六浴場を達成しまして、東京都公衆浴場業生活衛生同業組合殿より認定されましたってんで、感涙にむせんでおります。
いや、むせぼうかなァと楽屋で相談がまとまりつつあります。
爺趣味が加速度的に拡大しまして、懐古原理主義なんてぇいいますか、ノスタルジィは両肩に重く圧し掛かり、背後から崩壊しつつある橋を松葉杖で渡る心境でおりますな。
今後ともご贔屓に、ひとつよろしゅうと願っておきます。
(了)
<20100302現在、加筆・訂正中>
平日の十八時半開演てんで、時間に追われまして滑り込むように会場入りします。
『第九十八回 中目黒落語会』@中目黒GTプラザホール
三遊亭兼好◆辰巳の辻占
「オリンピックのスピードスケート日本代表の衣装、とらやの包み紙みたいですね」
辰巳芸者お玉の心理描写が入ります。
サゲ:
「生まれ変わってからは、初めてじゃないのさ」
古今亭菊六◆質屋庫
「当代市川團十郎の真似だよ」
「山崎街道の猪、前足が中村獅童で後足が竹内結子」
「市川左團治が薬師寺次郎左衛門だ」
サゲ:
「御膳んん」
「蔵の内でか~」
「ははッ」
「待ち兼ねたぁ~」
仲入り
古今亭菊六◆長屋の花見
「酒柱が立った」
三遊亭兼好◆抜け雀
宿屋の亭主が絵師の行いを諭すくだりが入ります。
前例に従いまして、目黒川沿いで飲んだくれますな。
(未完)
かつて豊島区に、「哈尓濱(ハルピン)の水餃子」なる品を菜譜に載せている店があった。
数年振りに店先を伺ってみると、和風ダイニングに変わっている様子。
こぎれいなだけの内装は、何の色も醸し出していない。
無論、暖簾をくぐることはなく、別の店を探す。
後で知ることになるのだが、当店は2005年4月を以って閉店し、店の大将は故郷ハルピンに帰ったという。
水餃子の味自体はさっぱり記憶に無いのだが、大将の口から語られる地元エピソードには、何処か大陸的な匂いが漂い、満州で馬賊になると夢見ることすらも矮小に感じたものだ。
そう、水餃子が食べたかったのだ。
欲するものを思う時に傍にないとは、喰気と色気はさも似たり。
致し方無ぇ、代わりにもならァしねぇが、他で我慢してやらァな。
(了)
えェ、ご陽気様で。
本日ァ千駄ヶ谷へ向かいます。
日蓮宗 法雲山 仙壽院 東漸寺@千駄ヶ谷二丁目
当院、『鬼平犯科帳』にも登場しますってんですが、あたしゃァ其のエピソードを存じませんで、あいすみません。
本堂
後に紀州徳川家初代とならせられます、頼宣公によって、現在の地に移りましたなんてぇ云いますな。
眞言宗 豐山派 聖輪寺@千駄ヶ谷一丁目
鳩森八幡神社@千駄ヶ谷一丁目
当社、「千駄ヶ谷の総鎮守」なんてぇ云いますな。
境内
千駄ヶ谷富士塚
当社の富士塚、現実の富士登山道とは南北逆に造られてるなんてぇ聞きますな。
理由は分かりゃァしませんがねぇ、霊峰富士ってんですから、畏れ多いんでしょうかねぇ。
境内社◆富士浅間神社・奥宮
近所のじゃりどもが、奥宮に供えられる神具をひっくり返しそうな勢いで、塚を縦横無尽に駆け巡りまして、あたしの存在すら眼に入らねぇくれぇに狭い山道を、何かに取り憑かれたみてぇに走り抜けてゆきます。
狐憑き?
鶴の湯@千駄ヶ谷四丁目
あー、湯の準備してねぇやな。
・・・まァ今日のところァ勘弁しといてやらァ。
(了)
えェ、良い日和で御座んす。
本日ァ柏木から内藤新宿方面を目指しますな。
所用を済ませますと、とっぷりと日は暮れております。
日蓮宗 福聚山 常圓寺@西新宿七丁目
便々館湖鯉鮒(べんべんかんこりう)なんてぇひでぇ号の狂歌師の狂歌を刻んだ碑がありまして、碑文は大田南畝=蜀山人の筆によるってんですが、暗くて見えませんでしたィ。
稲荷鬼王神社@歌舞伎町二丁目
鬼の福授けの社なんてぇ云いますな。
鬼さんを春の神と見做しまして、当社では節分の豆まきの際にはってぇと、
「福は内、鬼は内」
なんてぇ粋な呼び声になりまさァね。
境内社◆三島神社(恵比寿神社=新宿山ノ手七福神)
辺りはだいぶ薄暗くなりまして、都心の社とは云え、提灯だけが頼りの手探り参詣で御座んす。
梅月湯@西新宿六丁目
二十六軒目の湯屋ィに寄りまして、内藤新宿を後にします。
(了)
ぱとろんにあうひ、ふつかめです。
さいさんもうしあげますが、そういうのではありませんよ。
きのうかしきりだったこりょうりやにりべんじです。
のれんをてのこうでおしあげ、まずはごあいさつです。
「きのうはすいませんでした」
たいしょうはひらあやまりです。
とりあえず、きちがいみずを。
ほうぼうのこぶじめ、とうごうこさんのしじみ、しめにはさけわっぱめしをいただきます。
よいこころもちで、ぱとろんがかんじょうをすませます。
じゃあ、たいしょう、こんちまたまたつぎもおねがいしますよ、よっ、はっ、よいしょー、はっ。
にけんめでものんだくれはつづくのです。
ぱとろんさん、ごちそうさまでした。
またおねがいしますよ、よっ、はっ、よいしょー。
(おわり)
きょうは、ぱとろんにあうひです。
ごかいがないようにいっておきますが、そういうのではありませんよ。
よていしていたこりょうりのおみせは、かしきりでした。
ろとうにまよい、せたがやくにあるかっぽうりょうりのおみせにでんわすると、
「ほんじつはりんじきゅうぎょうです」
とつれないるすでん。
おもいつきでしんじゅくくにあるおみせにでんわします。
30ぷんごにむかいますよ。
「なんとかします」
たのもしいへんじです。
もくめのあるじゅうこうなとびらをあけ、みっしりとつめこまれたかうんたーにすわります。
とりあえず、きちがいみずを。
ゆでたん、たんやき、たんみそづけ、たんぞうすいをいただきます。
たんまみれなこころもちで、ぱとろんがかんじょうをすませます。
じゃあ、たいしょう、つぎもおねがいしますよ、よっ、はっ、よいしょー。
にけんめでものんだくれはつづくのです。
(つづく)
「詩人は長期間の、破壊的で計算された錯乱によって見者になる」
アルチュール・ランボー
誰が云い始めたかは失念したが、八代目桂文楽師匠は、「見者(ヴォワイヤン voyant)」と評されていた。
記憶違いかもしれない。
師匠は未来を予見する者だったろうか。
ひとつ思い当たるとしたら、高座で絶句した場合の口上を稽古していたということだ。
最後の口演、『大佛餅』の中で人名に詰まり、高座を降りた。
「・・・勉強をし直して参ります」
悪く云やァこのひとことで伝説のエピソードを残した師匠は、その後二度と高座に戻らなかった。
どうも、見者にはなれない。
おみくじや占いと一緒で、悪い結果は考えたくないのだ。
(了)
空腹であるにもかかわらず、食べたい物を思い付かないことほどつまらないものは無い。
で、無理ぐりに何かを食す。
胃は満たされてゆくのだが、何かこう、不満は残る。
食欲が無いわけではないので、それなりの量を喰う。
満腹中枢だけが反応している。
何だこれは。
食べることに愉しみを覚えなくなったら、後は、あとは何だ。
絶食?
そんな極端な。誰?
たべたいものをおもいつくまで、たべちゃだめ!
それもつらいな。ていうか、誰?
まあ手始めとして、三食麺類は止めようと思う今日この頃。
(量)
諸事情により、本日を去年の11月、第三木曜日として過ごす。
話は変わるが、100ドル紙幣の肖像や数々の功績で知られるベンジャミン・フランクリンは、アメリカの国鳥として候補に挙がった、ヴィジュアル重視の白頭鷲に反対し、無骨でややもするとキモい七面鳥を推していたという。
白頭鷲は死肉を貪り、他所から獲物をぶん取る、とまるで現在のアメリカを象徴しているという鳥で、それを見越したのかフランクリンは、野に生きる七面鳥こそ、勇気と正義をその身に備えた鳥だ、感動した、これぞアメリカ人の理想の姿だ、と絶賛した。
えー、というわけで、ハッピーハーヴェストフェスティヴァル!!
(了)
おはようございます。
すてきなあさです。
ふじさんがみえる、らしいです。
(てんきはよいのですが、ふじさんがわがくもりでした)
あさからうどんをゆでています。
おとしたまごもかかせません。
でろでろになったうどんをなべごとかかえてすすりこみます。
まつりのさんかしゃは、あふりかをぶたいにしたひとごろしげーむにむちゅうです。
てきのてあしはふっとび、くびからうえのないひとにとびげりです。
にちようのあさにふさわしいさわやかなひとときです。
こばらがすいた、とまつりのしゅさいしゃにうったえます。
やいたもちがならびました。
やけどもかくごでのみこみます。
さんかしゃのひとりは、のどにつかえてたかいしました。
きのうかったやきぶたをおもいだし、きちがいみずとともにいただきます。
おや、まだ9じじゃないか。
つうしんたいせんのひとごろしげーむをおえて、こばらがすいてきました。
ぴざをでりばります。
ぴざがきました。
ぴざをたべます。
こばらがすきます。
ぴざをでりばります。
おぺれーたーのおねえさんから、「ぴざ、まだきませんか?」とききかえされました。
もういちまいだよ。
ぴざがきました。
ぴざをたべます。
きがつくと21じです。
いっぽもそとをでていません。
そろそろひきあげます。
またこっきょうをこえなければいけません。
しゅさいしゃにれいをいって、かいさんします。
さようならさようなら、ありがとうでした。
ひろしまにいるかきのようしょくぎょうしゃさんもありがとうでした。
さいごはぴざだったけど、おいすたーな2でいずでしたよ。
・・・あ、きょうは、ばれんたいんでーじゃないか!
(おわり)
さむいひがつづきます。
きょうは、ひろしまさん「おいすたー」につられ、ちのはてをめざします。
やくそくのちへのたびはいのちがけなのです。
いどうしゅだんとして、さいはてゆきのかもつれっしゃにしのびこみます。
いちばんうしろのしゃりょうがのぞましいのですが、すでにひとびとにせんりょうされています。
なにかのしゅうきょうだんたいのようです。
なるべくきょりをとって、ちいさくなっています。
ほういじしゃくだけがたよりです。
こっきょうをこえます
はんにちがかりのこうていをへて、げんちいりします。
むかえのぐんようしゃにのりこみ、おいすたーまつりのかいじょうにむかいます。
とうちゃくしました。
かいじょうのさいじょうかいをめざします。
さいじょうかいからのながめはぜっけいです。
ふじさんがみえる、らしいです。
えのしまのとうだいがみえる、らしいです。
(てんきがわるくて、なにもみえやしませんけど)
ぼんやりとふじさんほうめんをながめていたら、しょくざいがはこばれてきました。
かきむきみ1きろ、からつきかき40こ、かきたきこみごはん、かきふらい、やきがき、かきなべをいただきます。
からだの8わりが、おいすたーになりました。
あとの2わりはきちがいみずです。
ひとにめいれいして、いろんなことをやらせてるあいだにきぜつします。
おいすたーまつりはつづきます。
(つづく)
序、
するてぇと旦那ァ、すがる手ぇさえも振り解き、如何にあっしがそばに居ようと、こうなったからにゃァ是も非も無ェってんですかィ、旦那ァ、そりゃァあまりにも情けねェ、天が許してもあっしが、あ、許さねぇ~。
「お前さんの云うことが、百にひとつも分からないよ」
二、
斯様に乱れた常世なら、枯れた藩さえ浮き沈み、馬をも喰うも無ェ筈で、遍路遍路と担ぎ出し、九死に勝手も長い夜、麦に塗れて種は育ち、茫とさえすりゃァ浅葱萌え、駕籠じゃ駕籠じゃと囃し立て、幾星霜の宵や待ちじゃァのゥー。
「あーいー」
(幕)
お足元のお悪い中でのお運び、感謝感激雨何とかなんてんで。
坂多き渋谷の奥、連れ込み宿が立ち並ぶ隠微な坂の急勾配脇に煉瓦造りの店が赤く聳えます。
真ッ昼間ッからのキチゲェ水をべらんめぇ口調で捲くし立て、菜譜を眺めまして幾つか品を誂えますな。
切り口も輝かしい香腸、べら旨ぇのにその食べ難さったら無ェ手羽先、何と何と何と何と何が五目か分からねェ炒飯、ふたりで頼むと奇数で喧嘩必至の春巻、最後はこれなんてんで。
五目豆腐(厚揚げ豆腐、筍、椎茸、木耳、絹莢、豚肉、肝臓、海老)
って、五目どころじゃァ御座ンせん。
この後のお座敷に差し支えるってんで、台湾の女中と若い衆にお暇(いとま)をいただき、河岸ィ変えましょうかねぇ。
(了)
「するんですよ、10月に」
何を?
「何をってもー、言ってるじゃないですかー」
いや、何も聞いてないし。慌てんな、小僧。
「ほら、あれですよ、ほら、ねぇ、ほらねぇ、まあ落ち着いて」
お前が落ち着け。
「式しき、式ですよ」
話進まんなー。結婚式かなー?
「そう!その式。10月に挙式なんですよー」
そりゃァおめでとう。
「おめでとうってあなた簡単に言いますね。ひとごとだと思って!」
どうすりゃいいのさ。
「金がかかるんですよ。基本料金にいろいろオプションとか付けると、あっという間に二百万ですよ」
そんなもんかね。
「またひとごとみたいに。たいへんなんですよ、とにかく」
もうふたりで住んでるから、引っ越さないよねぇ。
「僕は将来的にはマンションを買おうかと考えてますけどね」
嫁は反対?
「反対どころか、ひどいんですよ」
何ひどいんだ。
「『マンションなんか買って、すぐ別れたらどうするの?』って、まだ籍も入れてないのに、後ろ向きにもほどがあるってんですよ!(涙)」
…まあ、とにかくあれだ、頑張れ。
(了)
「いいえ、切れろ別れろとは芸者の時にいうことば。
今なら蔦には枯れろと、あたしには死ねとおっしゃってくださいな」
『婦系図(おんなけいず)』 泉鏡花
さあみんな、池ノ端の師匠こと、柳家三亀松の声色で演ってみよう!
(了)
序、
おやオヤ姐さん、何処かに春恋な声でも見つけたかィ、しんせんなァ肴でも誂えて、卯田の河原でひと泳ぎ、ひでぇ噺じゃァねぇがァ、これでも突っ転ばし之二枚目よゥ、ひらッてぇ眼ェして勘につき、掻きゃァかきゃァで振られ損、田楽くずれの半端もん、でぇこうぶつさァこの薬味、とおっくからわざわざおいでなすって有難う御座ンすねぇ。
「お前さんの云うことが、百にひとつも分からないよ」
二、
張るしかねぇのは博徒の性よ、千代子刺すのも刺されるも、実から出た寂びお銚子もん、いい交した仲さえも、こおり懲おりの遣る瀬無さ、ありんす言の葉身に沁みて、佳代い爪たるなんなんそう、そうでもなけりゃァどうでも出戻りでぇー。
「あーいー」
(幕)
じけんです。
じたくばるこにーがたいへんなことになっています。
はじめは「がらす」かとおもいましたが
われた「いたじょう」の「こおり」のはへんでした
なにかのぜんちょうをかんじさせるようなふきつなできごとですが、きょうはちかいようでなかなかあしがむかない「すぎなみく」へむかいます。
まずはしせきめぐりです。
わだたいしゃくてん@わだ3ちょうめ
みんかにあかいのぼりがたっているだけですが、ぎゃくにふぜいがあります。
たいしゃくてんさまは、「じょさいしょうふく」、わざわいをのけてふくをまねきます。
ふくはのけないでほしいな。
「たいしゃくてん」としゅちょうしています
「わだたいしゃくてんどおり」をあるきます。
このとおりは「やくよけそし」へのさんどうとききます。
「そし」とはなにか。
こたえはさんどうのはてにあります。
にちれんしゅうほんざん みょうほんじ@ほりのうち3ちょうめ
らくご「ほりのうち」にとうじょうする、「おそっさま(おそしさま=にちれんしょうにん)」です。
そこつなおとこがかみしんじんでそこつをなおそうとする、むだなあがきをみなでわらうというたいへんきょうくんにみちたはなしです。
におうもん
かいもんじかんをすぎていて、はいれませんでした。
くやしそうになかをうかがうひとびともいます。
あいつらのそこつがなおるといいなあ。(にやり)
(おわり)
きょうは「かみめぐろ」をくっさく、じゃなくてたんさくするひです。
やみくもにむかいますよ。
とはいえ、せんじつようやく「えど」にかんするほんをいっさつよみおえたので、かえすべきばしょにへんきゃくしようとおもいます。
このほんには、
「えどをぶっこわしたのは、さっちょうのとんちきどもだ」
とげんきゅうされていて、そのいいまわしがたいへんおきにいりです。
ようをすまし、やみくもにはいかいしていると、せんとうをはっけんしました。
いっぱんたいしゅうよくじょうですね。
のれんをくぐり、ばんだいにゆせんをなげつけ、2びょうでぜんらになります。
おけが「もくせい」です。
えーと、「き」でできています。
ひのき?
いやいや、これは「さわら」ですね。
よくそうへだいぶします。うそです。
あしからはいります。
ちゅういがきをみつけました。
「あつい浴槽、入れるようになったら止めてください」
?
「いれるようになったらやめてください」
ぜんぜんいみがつうじません。
「はいれるようになったらとめてください」
せいかいです。
こなまいきなわかぞうをすうにんばかし、よくそうにしずめてじょうきげんなろうじんのうごきにちゅういしながらからだをあらいます。
さっぱりしました。
ちいさなはこにわですが、ふぜいがあります
さあて、ばしょをかえてのんだくれるぞう。
(おわり)
ついき:
このあと、しんじゅく3ちょうめで2けんやっつけて、べつのばしょであさをむかえました。
さっぱりぐあいはすでにうしなわれていました。
・・・じぶんがどこにむかっているのかわからなくなりました。
序、
死ぶとの谷から上がる桜が丘にて、麻の暖簾を鼻ッ先でこじ開け、実ぅにすといーくな板前にあないされ、白木のかうんたに座るなり、さけざけのことが木にかかり、徳利と考ぃるから待ちねぇと、燗に障る物言いで、しらす知らずと名を荷い、寒い海から不離を連れ、でぇごでぇごで西の京、揚げっぱなしがまめに富み、真っ澄にさらりとした大の七や、勘定ぶてば20,000だらー。
「お前さんの云うことが、百にひとつも分からないよ」
二、
物足りなさも好かんまま、入らんと馬鹿とは解せねぇ解せねぇ、飯場寒いな、何なら出戻りでぇー。
「あーいー」
(幕)
顎関節症ではないかしらと疑いを持ち始める。
日本では古来より「美人病」なんて呼ばれ、小顔=華奢(きゃしゃ)な顎=脆弱である、という三段論法も乱暴ながら、勝手に納得もしている。
別に小顔でもないけど。
20歳代から30歳代の女性に好発する傾向
があるという。
以前から疑わしいと悩ましいのは、更年期障害とかバセドウ病とか、女子寄りなあればっかりだ。
(了)
いいおとなはほおづえをついて「ら」ぎょうのたんごをかんがえない。
いいおとなはじしんもって「ん」でおわらない。
いいおとなはそもそもよなかに「しりとり」なんかしない。
(おわり)
「こんばんはー、スネークヘッドです。いやー、寒いですねー。もう二月ですよ。危ないですね。油断してたらもう年末なんてすぐですよ。あ、全然関係無いですけど、わたし、ブログ始めました。曲のライナーノーツ的な? そんなんとか、今後の予定、ライヴの告知もやってますんで、よかったら見てくださいと。えー、次は、えー、新曲? 新曲だそうです。それでは聞いてください、『FUKKENから愛を込めて』! 1-2-1-2-3-4」
(了)