十五年前には週末ともなると朝昼を兼ねて一食としていた、学生街にあるがっつり系飲食店、寄る年波を理由として、質より量という戦略が通じなくなったが為の疎遠も否めない。
かつては、日本人に見えない中年女性と「いつもすみません、ありがとうございます」のつもりが平謝りしているようにしか聞こえない接客をする店主だけの店だったが、今では若い男子従業員が談笑交じりに客を捌いてゆくというスタイルで、代替わりを肌で感じる。
とは云え、以前と味が変わるわけでもなく、ただ若造らしいうっかり、例えばどの品にも必ず付属するアイス珈琲が自分の卓上にだけ並ばない類の事件がそこにあるだけだ。
コの字型カウンターの左側奥では、撮影クルーらがレフ板を用いての撮影の現場となっている。
被写体はいわゆる「全のせ」、メニューに並ぶ全ての揚げ物が和製マサラの上に乗せられ、安定の悪い具に至っては器からダイヴせんが勢い。
撮影が終わり、その全のせを一口さえも食さない撮影クルーは、「皆さんでどうぞ」などと投げっぱなしな発言だけを残して撤収。
その言を受けたか、カウンターの右端から具材の配給が始まる。
まァ云うてもぶっちゃけそんな残骸みてぇなのは要らないし自分の器は既に別の揚げ物ががっつりと占領しているから乗らないしでもあからさまに断るのも悪いかな腹も身の内って云うしな困ったな参ったなーなんてひとり悩んでいる目の前を全のせの具と器が軽やかにスルー。
見れば、スーツ系の客らには与えず、見るからに学生な若造らに限って配給している様子。
まァそりゃァそうだわな、自分がそっち側でもそうするわな。
ロジックでは理解してても、損得抜きでも、たとい空腹ではないにしても、何処か釈然としないこともあるのだ。
(量)
おはようございます。
きょうは「やま」にゆきます。
やまといっても、「さんや」ではありませんよ。
ざんねんながら、そらはくもりもようです。
「しんじゅく」でまちあわせ、「たかおさん」にむかうよていです。
てっきり「ちゅうおうせん」でむかうとおもいこみ、うっかり「じぇいあーる」のえきこうないでぼんやりしていましたが、じつは「けいおうせん」でゆくのだとしり、ぼんやりとむかいます。
ぶじ、3にんとごうりゅうしました。
9じ10ぷんはつ、「きたの」ゆきのじゅんきゅうにのります。
やまがーる、やまおとこががっつりのりこんでいるのかとおもいきや、ふつうのひとたちばかりです。
きたのより「たかおさんぐち」ゆきにれんらくします。
ざせきできぜつしているまにとうちゃくしました。
ふおんなくもりぞら
たかおさんふどういんべついん(高尾山不動院別院)
たかおさんやくおういんいりぐち
ここからちょうじょうをめざします。
いなりやまこーす
「ちょっときついみちもあるけど、たいしたことないぜ」てきなせつめいぶんです。
うかうかとそのもんくにおどらされます。
そのなのとおり、とちゅうに「おいなりさん」
ちょうしにのったやくどうかん
きのねっことぬかるみがゆくてをはばみます
3ねんぶんのじゅみょうをつかい、ちょうじょうにたどりつきました。
じぶんをほめてやりたいので、こうぞくをまちつつ「きちがいみず」をいただきます。
おくれていた3にんとごうりゅうします。
おひるにしよう、ととうげのちゃやにはいりました。
うらては「じゅらき」なことになっています
とろろそば
くだりざかとちゅうのじんじゃぶっかくにたちよります。
ほんしゃ(ごんげんどう)
ごほんぞんはもじどおりに「いづなごんげん」さまです。
「とりい」もあるので「じいん」ないにある「じんじゃ」といういちづけです。
しんごんしゅうちさんは たかおさんやくおういんゆうきじ
(眞言宗智山派 高尾山薬王院有喜寺)
「かんとう3だいほんざん」のひとつです。
ほかふたつはいかのとおり。
「かわさきだいし=こんごうさんこんじょういんへいけんじ(川崎大師=金剛山金乗院平間寺)」
「なりたふどう=なりたさんみょうおういんじんごしんしょうじ(成田不動=成田山明王院神護新勝寺)」
8せいきのはじめ、かいざんじにはごほんぞんを「やくしにょらい」としたことから「やくおういん」としょうしました。
14せいきには、「いづなごんげん(飯縄権現)」こと、てんぐさんをしゅごしんとしてまつりました。
「だいほんどう」には「やくしにょらい」があんちされています。
どうないには、「かじきとう」にかかせない「ごまだん」がみえます。
「らまだん」ぢゃありませんよ。
こばらがすくので、さんもんまえのちゃみせでかいぐいをします。
そばだんご(みそだれ、ゆず、ごまとっぴんぐ)
もすこしやいてほしいなあとおもいました。
たこすぎ(蛸杉)
「たこくようひ(蛸供養碑)」には、「~すいさん」、「~ぎょぎょうくみあい」など、たこをさつりくせしめてせいけいをたてているひとたちのながきざんであります。
なるほど、とひざをうつしゅんかんでした。
これは「めんざいふ」ですね。
げざんします。
かえりもけいおうせんにのりますよ。
きぜつしているあいだにしんじゅくとうちゃくです。
「かのうしまい」はまいばんぜんらで「らむちょっぷ」をたべるそうです。
「みかさん」がしんやに「ろっぽんぎ」でしょくざいをかいもとめ、「きょうこさん」はじたくたいきとききます。
かのじょたちにあやかったわけではありませんが、ひつじのにくがおいしいというみせにゆきます。
17じはんのかいてんとどうじににゅうてんです。
かうんたーのみのてんない、すたっふが3にんところせましとうごきまわっています。
「らむにく」をにんずうぶんいただきます。
とてもやわらかく、ひつじどくとくのくさみがまるでありません。
すたっふのおんなのひとが「ついかちゅうもん」のうむをたずねられます。
おすすめをきいてみると、「ますたーずかっと、はんばーぐ」といいます。
めにゅーにはのってないそうです。
ますたーずかっと(おく)、はんばーぐ(てまえ)
ますたーずかっととは、「あつぎり」のらむにくでした。
はんやけのじょうたいで「しおこしょう」をつけてくえといいます。
はんばーぐはもちろんらむにくで、「ちーず、さるさ」のとっぴんぐでくえといいます。
どれもたべたことのないいっぴんでした。
つづけてやはり「うらめにゅー」の「らむすてーき」をたのみます。
らむすてーき
すたっふのてによっててっぱんで「れあ」にしあげられ、やきめのうえには「ごるごんぞーら」がのせられます。
もうまんぷくのはずなのに「かんしょく」しますよ。
たいへんまんぞくげにみせをでて、つぎにいどうしようとしましたが、「わーるどかっぷ、にほん・いんぐらんどせん」をかんせんしていたさぽーたーによる「おうんごーる」ちょくごのぼうどうにまきこまれ、3にんのなかまをうしないました。
せっかくぶじにやまからおりてきたのに、まさかの「かいさん」でした。
「とぅーりお」も「なかざわ」もびっくりです。
なかまはいまわのきわに、「ふじさんであおう」というゆいごんをのこしましたが、こんどこそじぶんがあぶないぞ、とおもうきょうこのごろなのでした。
(おわり)
(0531こうきまんりょう)
えェ、五月ももう終わりてぇのに肌寒い日が続きますなァ。
そんな業すら乗り越えて、本日ァ東中野を目指します。
まァ何とかの一ツ覚えてんで、山手通りをひたすらに北上しますてぇと、右ッ手に石の鳥居が見えてめぇりやす。
氷川神社(幡ヶ谷氷川神社)@渋谷区本町五丁目
当社、かつては幡ヶ谷村の総鎮守なんてぇ称されておりましたが、現在では幡ヶ谷の氏神さんとして親しまれております。
其の故事来歴はたいそう古いてんですがねぇ、如何せん記録がありませんてんで、巷間では幡ヶ谷の民が武州大宮におわします氷川神社より分祀したなんてぇ伝えられておりまして、時は経っての永禄年間の文献より当社の記載があるそうですな。
下って後の代、慶長年間の文献に因るてぇと、日本武尊(やまとたけるのみこと)東征の折、当地に素盞鳴尊(すさのおのみこと)を勧請したなんてぇ記述がありまして、境内にゃァ金王相撲(こんのうずもう)の相撲場跡があるってんですなァ。
鳥居をくぐりまして参道をゆきます
本殿
参道から抜けましてあれから北上し、早稲田通りを右に折れまして、神田川手前をちょいと右に入った辺りに目指す場所があるンですがねぇ、丁度時間となりましてお後と交代で御座ィます。
(了)
(0531工期満了)
陸奥にある交通機関のひとつに川尻線というバスの路線がある。
ほっとゆだ駅前という如何にもな名のバス停を起点として、湯田中学校前、大沓、湯ノ沢を経て、二度逢瀬なる停車場を経由し、湯本下町、湯本温泉、湯本郵便局前、終点は湯本バスセンターとなる。
地域事情には全く疎いが、地名通りに温泉地なのだろう。
気になるのは、二度逢瀬。
文字通り「にどおうせ」と読むのだが、この「逢瀬」の意味を調べてみると、
「恋愛関係にある男女が人目を忍んで会う機会、会う時」
とある。
しかも「二度」なので、「忍んで会うを重ねる」のかと勘繰りたくもなるのだ。
多感な中学校前を経由するには、少々刺激が強いとも思われるのだが、実は元来「緩い傾斜地、湿地」を意味するという「にふと」と、川の「瀬(せ)」が重なり、「にふとせ」と成って「にどおうせ」に訛化したという。
ある意味、トラップ的な下衆の勘繰りとも受け取られかねないが、無理に雰囲気出さなくてもいいと思う。
(了)
極東唱片より世に出たという「人の顔によく似た葉を高く伸ばす水生植物」の紋と名を冠した音藝集団の棟梁である音刻み師が愛して止まない水上の格闘技なる官営の場外には縁もゆかりもありはしないが、同種の栽培変種である種の塊茎の地下茎が「芽が出る」という形状に起因する縁起物と知るものの、やはり故郷では年始の重箱のどの段にも入っておらず、更に馴染みが無いという何処にも向かない、人類が粗方淘汰された世界にたったひとつの核施設の如き存在であるのも幾ばくかの寂寥感が伴い、骨折って共通言語を探してみると、七寸五分から成る竹製民俗楽器を用いた地元限定の民謡を当音刻み師ががっつりいじり倒しており、ようやく満を持して幼な子が敬慕する肉親に向ける表情を造り始めたところ、この原種の亜種に粒状の地下茎がもしかしたら揚げ物でいただけるのではないかという期待を寄せる、箆状なる葉の形状が「顎無し」とされる品種があると聞き、機嫌を取る為に与えられた筈の飴玉を、何かの拍子に呑み込んでしまい、どうにも取り戻せないという遣る瀬無い気分にもなるのだ。
(了)
そういやァ発売日は今日ぢゃァないか、と泥酔の果てにたどり着く、決して最寄ではない青白基調のコンヴィニエンスな店。
名札に「リ」とあるブルースな外国人店員より代済である予約の品を受け取り、酔拳使いの足運びで帰宅。
既に26時を過ぎているにも関わらず、プレイヤーを起動させて観始める。
観ながら力尽きて気絶する予定だったが、エンドクレジットまで起きている。
あれ? おかしいな、涙が止まらないや。
そういやァ最近いのち懸けてないなァ、重箱みてぇに年重ねてるだけなんだなァと感慨もひとしお。
(了)
『ヱヴァンゲリヲン新劇場版:破 EVANGELION:2.22 YOU CAN (NOT) ADVANCE.』
(リンク待機)
およそ十年振りに関西在住の知人と会う。
変わらないねぇとは常套句だが、思えば十年間で数回しか対面していないことに気付く。
記憶をたどってみると以下の通り。
順に、時・場所・施設・企画。
(1)約十数年前・長野県・温泉旅館・スノーボード、カウントダウン
(2)約十数年前・兵庫県西宮市甲子園町・球場・野球観戦
(3)約十数年前・埼玉県所沢市大字上山口・球場・野球観戦
え? たったの三度?
いずれも飲んだくれていた記憶はあるのだが、他方面はきれいさっぱりだ。
四度目の今夜、過去の隙間を埋めるかのように飲んだくれている。
関西人に会うと必ず投げ掛けられがちだが、あまり喜ばれない質問のひとつに、
「炭水化物と炭水化物を組み合わせた食事はいかがなものか」
という愚問がある。
永遠の平行線とも云えるこの疑問、県民性の相違では説明のしようがない何かがそこにある。
「よう分からんけど、うちはお好み焼きよりもたこ焼きの方がごはんに合うと思うんよ。あ、でも、チヂミはあかんな」
非関西圏の自分には議論にもなりようの無い比較対象だが、関西圏ではソース&マヨネーズ味の粉物は主食ではなく副菜という結論。
それでも、同じ粉物のチヂミが否定される理由が分からない。
・・・あれ? もしかして、ソース&マヨネーズ味は例外無く全て「おかず」なのか・・・。
(了)
摩擦係数の下方変動中での固体移動を「お足許のお悪い中のお運び」と呼称するのは致し方無いとしても、接地面を考慮した上で零値になるはずもないとの過剰な過信が、柔の道を会得しない我が身としては当然、横分(よこわかれ)なんぞ知るはずもなく、ただただ組手不在の演武として、身体能力の限界を高湿度の屋外にて、武具にも似たパイドル状のケミカル素材と、動物性素材から成る黒き処刑人とも評すべきスカンディナヴィア製の工業製品を伴い、暗灰色の下で行なわれる全ての不測の事態を眺めることしかできない、むしろあらゆる種の悦楽に飽いて止まない王族的な視点で自邸テラスから眺むる私設闘技場にて敵味方の区別無く総当りで闘う剣奴隷と下層市民どもの一挙手一投足が蟻ほどにも感じられない、至って無味乾燥なパーツを外気に晒しながら、永遠とも思われる帰路を僅か20キュビット程度に置き換えて歩くしかないのだ。
(了)
UEFA Champions League 2009-10
@Estadio Santiago Bernabéu (Madrid)
FC Internazionale Milano vs FC Bayern München
2 - 0
日本時間27時35分に試合開始だった為か、前半ボールがタッチラインを出た際にモウリーニョ(インテル監督)とロッベン(バイエルンWG)が笑顔で抱き合っている映像しか記憶に無い。
しかも、その行為に会場は沸いていた。
サッカー業界の事情を全く知らないので、この笑顔の理由をネット検索してみると、チェルシー時代の監督と選手だったという。
しかも、それまでは両者の関係は決して良好ではなかったとある。
これはきっといい話なんだ、と再び睡魔に身を委ねるのだった。
(了)
おはようございます。
きょうはかわらでばーべきゅーのよていです。
「さいたま」ほうめんをめざしますよ。
8じに「しぶや」にしゅうごうします。
なかまのほとんどが「きつえんしゃ」なので、きつえんじょですうめいをほかくします。
5にんとごうりゅうし、くるまにのりこみます。
くるまは「すてっぷわごん」でした。
「ゆっすー・んでゅーる」のきょくがのうないでなりひびき、しゅっぱつです。
うんてんしゅくん、くるまをだしてくれたまえ。
のこりふたりをぴっくあっぷするために「はちおうじ」をめざします。
すこししかねてないなちゅらるはいぎみなむだなてんしょんでひとりしゃべりたおします。
いそいでいるときに「しょくしつ」されるむねんさをつたえました。
でんちぎれになると、とうぜんねますよ。
はちおうじでふたりをひろい、「はんのう」をめざします。
あとはきちがいみずがはいるまではどうでもよいので、とうぜんねむりにおちます。
「なぐりがわ」にとうちゃくです。
なぐりがわ
まわりをうろうろしているあいだに、すみびはおこされ、ばーべきゅーのじゅんびはちゃくちゃくとできています。
おおむねのんだりくったりするかかりなので、よけいなはたらきはしません。
「いわねばし」よりじょうりゅうの「きゅう・なぐりむら」えりあでは、なぐりがわですが、かりゅうでは、「いるまがわ」とよばれています。
いるまがわは、さいたまをながれる「あらかわ」すいけいのいっきゅうかせんです。
ここからうっかりながされると、ぶじに「とうきょう」へかえれるのです。
まずは、ときちがいみずをいただきます。
かしだされた「こんろ」は、どらむかんをまっぷたつにし、「てつぼう」をようせつしたというわいるどさぜんかいなてづくりかんあふれるいっぴんです。
すみびがごうごうとひばしらをあげているうえにあみをおきます。
「ぎゅうかるび、とんとろ、ばじるふうみのとりむねにく」がやかれてゆきます。
「かぼちゃ、えりんぎ、しいたけ、ぴーまん、なす、たまねぎ、さつまいも」がつづきます。
「きのこ」るいがたべられないというなかまがいたので、「わ」をみだすというりゆうで「すまき」にしてなぐりがわにうかべます。
ほんのいたずらごころでしたが、
あっさりとながされました。
さようなら、きのこのきらいななかま。
かりゅうであいましょう、とかたちだけのわかれをすませ、やきばにもどります。
やきばでは「いか、えび」がやかれています。
かりょくがつよく、ゆだんするとあっさりと「あたりめ」になります。
「はしだ!はしだ!はしだ!」
とつぜんさけびだしたなかまのひとりは、いしだらけのかわらをさんだるのままかけだします。
「すがこ」のなにがめずらしいのかとおもいましたが、われわれはなかまのはしりだすすがたをめでおうだけで、さしてきにもとめていませんでした。
むこうにはしがみえます
なかまは「あかいはし」のぞうけいとたたずまいでてんしょんがれっどぞーんにはいり、われをわすれてかけだしたようです。
なかまのすがたがみえなくなり、かわになにかがおちたようなおとがきこえ、はしのふきんでしぶきがみえ、そのなかまとはそれっきりでした。
つぎのきちがいみずをいただきます。
べつのなかまが、かわらをあるこうといいました。
ことわるりゆうもないので、ついてゆきます。
さきほどのなかまが、しぶきとともにすがたがみえなくなったあたりです。
はしにつりさがるぶらんこ
おろかにもこのぶらんこが「わな」ともしらずにかるはずみにもちかづいたなかまは、ぶらんこにしかけられたどくのとげがささり、みじかいひめいとともにてをはなしたしゅんかん、かわへとおちました。
しずんだっきりうかんできません。
すきとおってはいますが、かわぞこにしずんだなかまはみつかりません
すでに「かいひ」はちょうしゅうされており、しょくざいのとりぶんがふえたので、ほかのなかまたちはうわべはかなしみのひょうじょうでしたが、ないしんほくほくがおでやきばからはなれません。
「せんだい」みやげがにんずうぶんあるといいます。
くらいじけんがつづいていたなかまのかおがかがやきます。
8にんぶんを5にんでたべますよ。
ぎゅうたん
にくあつでじゅうしぃで、そしてたべてもたべてもへりません。
・・・へらないわけです。
たべるのにむちゅうできがつきませんでしたが、ぎゅうたんのやきばしょゆうけんをめぐってのみにくいあらそいで、ふたりが「わりばし」であいうちとなりぜつめいしていました。
とてもたべきれないので、ぎゅうたんはおみやげにもってかえります。
しめは「やきそば」です。
やきばたんとうがふつうのあじにあきたのか、「きむち」をとうにゅうして「きむちやきそば」にします。
まっかにそまるからいやきそば、きちがいみずがすすみます。
「とうがらし」にふれるとからだがとけるというとくいたいしつななかまは、「あかいそーすのやきそば」とおもいこんでくちにし、みるまに「えきたい」となってなぐりがわにながれてゆきます。
きがつけばぼくひとりがやきばでたたずんでいました。
かつてうんてんしゅだったなかまのぽけっとからくるまのきーをとりだし、げんちでやとったいろぐろのうんてんしゅにわたし、ぶじにいえまでおくりとどけてもらいます。
ねてるまにいえにかえれるっていいね。
たまにはゆきとかえりがおなじなかまだったらいいなあとおもいました。
(おわり)
いつもの、という気の利いた注文なんて通じるはずもなく、また試す気もなく、券売機には当の「いつもの」は品切れで、来店時間を考えると致し方無いのは重々承知だし、上州訛りな店主の小粋な白いゴム長に紺の前掛けの着こなしが眩し過ぎて、決して小奇麗とも呼べない鰻の寝床的な佇まいすらも長年、そうもう十五年以上にもなるかしら、とこの街ノスタルジィに浸る間もなく、受刑者の如く自分の名が番号に置き換えられ、ここでは品名として呼ばれ、湯気すら塞ぐ具は上ッ面を支配し、電飾看板を重そうに運ぶ妙齢の喫茶店従業員♀と幾度も目が合うのは、同じ時間、同じ場所、窓際で縄を手繰る行為が店の開店準備と被るからに相違ないが、そんな事情なんて知る由もなく、ただこの代替品の噛み応えのあることよ。
げそ天
(了)
茅ヶ崎、湘南、片瀬、江ノ島、逗子、葉山では、「口が頭の片側に寄っている」という名で呼ばれる仔を捕獲する際、うっかり「口が頭の片側に寄らない」種も捕らえてしまうこともあり、それらはゾエア幼生という物騒な名の連中も含まれるが、その名とは裏腹に愛らしい姿形のままで前述の仔らと共に俎上へと上がり、時には、大地より引き抜かれてその肥大化した主軸は摩り下ろされ、麹菌や酵母で発酵を促された此糸な下地と和えて、好みで真核ドメインに属するという雑に刻んだそれは、甑(こしき)により天まで昇り詰めた八十八柱の神に降り注ぐのだ。
(了)
えェ、お足許がお悪ぅ御座んす。
屑屋さんなんてぇと、落語「井戸の茶碗」、「駱駝」、「子別れ:上(強飯の女郎買い)」、「紙屑屋(浮かれの屑選り)」等等に登場する立役者でして、天秤棒に笊ぅ担っての出商いござんすが、海の遠く彼方、英吉利(えげれす)國における拾い屋稼業なんてぇと、文字通り拾い専門なんてんでこりゃァ商人じゃァござんせん。
道端の屑や襤褸ッ布(ぼろっきれ)を拾い集めるのが「屑拾い」、 溝に落っこっている物を浚って集めるのは「溝浚い(どぶっつぁらい)」、てむず(Thames)河岸で金目のもんを拾う方は何故か「泥雲雀(どろひばり)」なんてぇ呼ばれてましたな。
泥ひばりの主だった拾い物はってぇと、石炭の燃え残り、鉄や銅屑なんてんで、まれに浮かぶ土左衛門を河岸ッから見つけますってぇと、河中からの引き上げも泥ひばりの御役でありまして、そん時ゃァ身に付けた品もんや夏物冬物の剥ぎ取りも辞さなかったなんてぇ云いますなァ。
泥ひばりの名の由来は知りゃァしませんが、北に棲まうひばりは冬になるてぇと南へ渡るってんですから、冬の倫敦(ろんどん)はたいへん寒ぃと聞きますし、春夏秋に泥まみれになりながら河岸をうろつく泥ひばりも冬ンなると、姿を見せねぇところからの命名なんでしょうなァ。
・・・まァ湿っぽい噺になりましたが、丁度時間となりましてお後と交代で御座ィます。
(了)
元来、古ラテン語では「ネフ・キニウス・オ・ヌ・キニキ」という言葉通りの意味でしかなかったのだが、それは郷愁すらも内包する、和製英語ばかりが横行した黎明期の日本的洋食のひとつを指し、願わくば揚げ立てでもあれば、飲んだくれの大人の味覚にすら堪え得る酒精の友としても重宝され、昼日中は野に放たれ夜夜中は屋根付きに棲まう三元と黒毛は出会うべくして挽き合わされ、大地の薫りも芳しいその鱗茎は微塵にも切り刻まれ、天日に干された結晶を砕き、蔓から毟り取った未熟な実を擂り潰して混ぜて練り合わせ、先に挽き合わされて捏ね繰り回され平らになった小片には、粉塵爆発に細心の注意を払いながら適量を用い、寺方符丁で云うところの御所車を繋ぎとし、やはり細かく砕いた粉末で衣を纏わせて、ぐらぐらぐらぐらと煮立った中へ投入し、やがて引き上げる際には無論素手では持てず、金属製木製問わず何らかの器具を用い、茶封筒にも似た質感の紙で包み、好みに任せてさまざまな具材のペェストの黒きブレンドを思いのままに注ぎ込むと、そのじうしぃ&くりすぴぃな食感を愉しむしか他に手はないのだ。
(了)
京を流れる鴨川の六条河原なんてぇ申しますてぇと、刑場だったり古戦場だったりもして、多聞にしてきな臭い場所でござんすが、場所同じぅして時を遡った六条の河原院なんてぇと、光源氏の君のもでるとも謂われております、河原左大臣こと源融(みなもとのとおる)の邸宅だったてんで、だいぶ雅な感じがしまさァね。
陸奥乃志のふもちすり誰由ゑに乱れ初めにし我ならなくに
(みちのくの しのぶもぢずり たれゆえに みだれそめにし われならなくに)
って、こりゃァ恋歌ですな。
野暮ってぇ絵解きゃァしやせんが、果たして忍捩摺り(しのぶもぢずり)の捩れた乱れ紋様が大臣の心象風景なんでしょうかねぇ。
いわゆる忍摺りの模様なんざ、あたしゃァ見たこともござんせんが、その製造工程を聞きますってぇと、忍草を石で潰しながら布に摺り付け染めてゆくなんてぇたいそう雑なもんでして、心が掻き乱される要素が微塵もありやせん。
が、此の手許の風情に心を奪われる御仁も皆無ではござんせん。
俳聖芭蕉師はこの忍摺りの手捌きを、早苗を植える早乙女の其れに重ねてたってんですから、どうしたって女子衆の所作に言及されるンじゃァねぇかと思う次第でござんす。
早苗とる手もとや昔しのぶ摺
そう思うてぇと大臣も俳聖も染物そのものよりも女子衆の手を見てたンでしょうなァ。
京から陸奥にはなしが飛びまして、着地点が手ふぇちの大臣と俳聖という甚だ下衆な一席でお暇をいただきます。
(了)
おはようございます。
きょうもよいてんきです。
しろはくもくてあおはそらいし、きぎのみどりもあざやかです。
さいごだけはあってますね。
なんてさわやかぶってみたところで、えんてんのしたでのんだくれるよていでいますよ。
たいふぇすてぃばる2010 (がぞうはきのうのつかいまわし)
またきたのか、ほかにいくところはないのか、どんだけひまなんだ、とにがいかおをされるわけでもなく、ひとびとはあたたかくおとななたいおうででむかえてくれます。
ふつかかんで30まんにんというひといきれからすこしはなれ、こかげのしたをえらびます。
さあのむぞう、といきごんでみたものの、かぜがすこしはだざむいというりゆうでねぶくろにくるまり、こもれびのしたでのんだくれていると、とうぜんのようにいしきはうすれてゆきます。
きがつけばかんぜんにきぜつしていました。
ゆめうつつにきこえてくるのは、みみになじまみのない「たいぽっぷす」ばかりです。
こうえんのかたすみでよこになってのんだくれていると、もうなんねんもまえからこのせいかつをつづけているようなさっかくをおこし、おおきなこえでぎょうせいをのろい、せいじかのわるぐちはごくしぜんにくちからはっせられ、みちゆくひとびとのみちたりたひょうじょうがきゅうににくくなったりするからふしぎです。
みんなしんじゃえばいいのに。
なんてすくいようのないすてぜりふさえとびだし、たったすうじかんのろじょうせいかつもくらいまっくすです。
ぜんぶうそですけどね。
そんなひとときのやさぐれからしゃかいふっきしますが、のんだくれはつづきます。
こころあるひとより、やたいからのさしいれがとどきました。
げーん แกง (がぞうはいまいち、いわゆる「れっどかれー」)
ぱったい ผัดไทย หรือ ผัดไทย (やきそばのうえにはさくらえび)
あとは、「がいやーん(とりやき)」と「さて(くしやき)」をいただきます。
へいてんまぢかということで、たたきうりをねらってのかいしめです。
いべんとあらしのてぐちです。
まつりはおわったというのに、ひとびとはかえろうとしません。
きっと、いえにかえれないじじょうがあるのでしょう。
うつろなひょうじょうでもりあがるひとびとをせなかにしながら、このまつりはしゅうえんをむかえたとさとり、すこしはあたたかいばしょをめざしてあるきだします。
さようなら、たいのひと。
さようなら、いえにかえれないひと。
そこくではたいへんなことになっているはずだけど、ここではそんなじじょうすらみじんもかんじさせないのがまつりのしゅしとかんちがいして、かいじょうをあとにします。
あ、さいごになりましたが、らいしゅうは「らおす」まつりだよ!
(おわり)
(0518こうきまんりょう)
きょうはてんきがよいのではやおきをしましたが、どうしてもなわをたぐりたくて、11じまでしょくじをがまんします。
「なわをたぐる」とは、はなしかのふちょうで、「そばをたべる」ことです。
きちがいみずとともに、「かもせいろ」をいただきます。
ぞるぞるぞるぞるぞる
ぼくはえどっこではないので、いちょうにきをつけて「そしゃく」のかいすうもそこそこかうんとします。
よいこころもちでかんじょうをすませ、そとへとびだします。
あまりにもそらがあおいので、きちがいみずのみのたましいにひがつきます。
そうだ、きょうはこうえんでのんだくれよう!
たいふぇすてぃばる2010@よよぎこうえん・いべんとひろば
いりぐちふきんには、「えぬえいちけー」をきゅうだんするぶっそうなだんたいが、じんどっていて、がいせんしゃにもにたおおがたしゃりょうのやねのうえでは、すぴーかーをもったおとこのひとがあじてーとしています。
「あじてーと」とは、みんしゅうをせんどうして、そうどうをまきおこすこういにほかなりません。
はんしゃかいてきなかつどうですね。
やたいをしゅってんしているすたっふのしりあいがいるので、そこへむかいます。
こんにちは、とずうずうしくもはいりこんでゆきます。
さっそく、やたいのまうらにざせきをつくってもらいました。
きちがいみずをいただきます。
みんな、このみせでかおうよ
じつはこのみせ、「しんおおくぼ」にほんてんがあります。
みせの「まま」は「いすらむきょうと」なので、ちょうり、はんばいしているにくはすべて「はらるみーと」です。
「はらる」とは「ゆるされた」といういみで、いすらむきょうとがくちにできる「にく」のことです。
「たいじん」すたっふは、ほとんどがままのしんせきです。
ねんにいちどのこのひのためにそこくからよびだしているといいます。
げせわなはなしですが、ふたつのぶーすのふつかかんのちんたいりょうは、56まんえん。
ざいりょうひやきぐのれんたるひよう、しんせきにおうふくのこうくうけんをおくり、ほてるにすまわせて、こづかいをはずんでもなお、ままのてもとにのこるきんがくははかりしれません。
ままは「どごう」こそはっしませんが、きぜんとしたたいどですたっふにしじをあたえています。
てんとのなかには、すたっふが18にんもいます。
ままのいもうと、おいっこ、だんなさんもいます。
ちなみにままのだんなさんは「にほんじん」です。
がいやーん
しこみによねんがないたいじんすたっふ
いれかわりたちかわり、ひとがおとずれます。
もとほーむれすだったという「もんごるじん」はーふのひとは、かつぜつがわるいうえにおなじはなしをなんどもくりかえします。
だいじなせいしゅんじだいを「けいむしょ」ですごしていたといいます。
そこくでは「いぬ」をたべるといいます。
いぬは「1あか、2くろ、3しろ、4ぶち」というじゅんばんでおいしいそうです。
あ、あと、「うえのこうえん」では「はと」をてづかまえにしてたべていたといいます。
「にく」はたべられるけどおいしくないので、「はつ(しんぞう)」だけやいてたべたといいます。
「これがもうさいこー」といってました。
のこりは「しのばずいけ」になげすてたそうです。
「からす」がくわえてもっていったといいます。
このひと、じしょう「いぬのさんぽ」をだいこうするかいしゃの「しゃちょう」さんだそうです。
しゃめいは、「どっぐふーど・こーぽれーと」だそうです。
「ふーど」て。
あ、「ゆゆゆゆゆうげんがいしゃだからね」といってます。
わらいがとまりません。
はなからうえが「かのうきょうこ」なおんなのひとは、じつはおとこのひとでした。
ごっついせいけいですが、あごのりんかくまではてがまわらなかったみたいです。
ままはちからつきてしましました。
ひもくれてはだざむくなってきたので、つめたいきちがいみずはうけつけなくなりました。
にちじょうせいかつではけっしてきけないたのしいはなしもきけたので、ごまんえつです。
てくてくとあるいてかえりますよ。
あ、そうだ、あしたもあるよ!
(おわり)
マカロンが5個だァ? おめぇそれ喰えるもんの話じゃァねぇか、俺はなァ木彫りの熊の話をしてるんだよ、木彫りの熊は煮ても焼いても喰えねぇんだよ、そんなのを5つもらっても嬉しくないんだ、そんなもん北海道に返品だ! 80万だろうが500円だろうが関係ねぇ! ひとつだけもらってもいらねぇんだ! どうせ北海道土産ならな、喰えるもんにしろってんだ、シャケとか、ほらウニとか、ねぇ、イクラ丼とか、いっぱいあんだろ、北、海、道、の、美味しい特産物が! それをなんだって熊なんだよ、木彫りなんだよ、俺だってなァ箱開けて木彫りの熊を見つけるまではなァ、マッカロンマッカロン♪ってうっきうきで夢見てたんだよ、夢ぐれぇ見たっていいじゃァねぇか、そんで箱開けたらな、開けたら、そしたらな、そしたら、熊だったんだよォ・・・、木彫りのよォ。(涙)
(了)
藤棚@駕籠町
えェ、ご陽気さんで。
本日も浅草くんだり来ております。
昔ッから「神輿深川、山車神田、だだっぴろいは山王様」なんてぇ云いまして、江戸三大祭を謳った狂歌がござんすが、これにゃァ浅草三社祭は含まれませんな。
何故かってぇと、これはあたしの憶測なんですがねぇ、狂歌に謳われる三祭は神社が執り行う神事でして、一方、三社祭はってぇと、今でこそ浅草神社の仕切りでござんすが、ご一新より前、所謂神仏分離という名の廃仏毀釈以前には、近隣の浅草寺とこらぼってたわけでして、いまいち抜け切らねぇ抹香臭さが粋じゃねぇってんでしょうかねぇ。
三祭を順にゆくってぇと、以下の通りでさァ。
神田祭(五月中旬)@神田明神
山王祭(六月中旬)@日枝神社
深川祭(八月中旬)@富岡八幡宮
本日ァ午後七時から浅草神社社殿神輿庫にて「本社神輿神霊入れの儀」なんてんで、三社祭が始まる前の地ィ味な儀式があるそうですな。
提灯こまーしゃりずむ
裏から
明日の午後から、大行列が東京浅草組合前を出発しまして、浅草神社社殿前に到着予定なんですがねぇ、当然間に合いませんや。
続きまして、「びんざさら舞奉納」、「神輿神霊入れの儀」が浅草神社社殿で執り行われるンですがねぇ、時間的になかなかどうしてってなもんです。
まァあれですな、三代続いた江戸っ子じゃァねぇからなんてぇひがみもありまして、江戸の祭りにゃァ二の足を踏むので御座んす。
なんてぇ、湿っぽい噺になりましたが、この辺でお暇いただきまさァね。
(了)
日も高いうちから解放され、たまたま通り掛かっただけのバス停の行き先と時刻を眺めている。
かつて十年も棲んだ池袋には今更用は無いし、早稲田は先日行ったし、上野もなんだかなあと考えていると、浅草寿町ゆきのバスが来る。
乗る。
浅草寿町ってくらいだから、たぶん浅草が近いのだろう。
浅草寺に寄ろうかしら。
[草63] 起点:池袋駅東口 経由:巣鴨駅前・千束
千石一丁目
本駒込二丁目
白山五丁目
東洋大学前
白山上
駒込千駄木町
千駄木一丁目
団子坂下
千駄木三丁目
道灌山下
西日暮里駅前
西日暮里五丁目
西日暮里一丁目
荒川四丁目
荒川三丁目
荒川区役所前
荒川一丁目
大関横丁
三ノ輪駅前
竜泉
千束
西浅草三丁目
浅草公園六区
浅草一丁目
浅草寿町
走行時の揺れに身を任せていると、当然寝る。
目を覚ますと、終点である浅草寿町。
雷門は近いようだ。
建物の間から建造中の東京スカイツリーが見える。
現時点で半分の300メートルは超えてそうだ。
聖観音宗 金龍山浅草寺@浅草二丁目
風雷神門(通称:雷門)
仲見世通
今は亡き町名、小舟町
本堂、未だ大営繕中
ライトアップ五重塔
ホッピー通りの誘惑を振り払い、銀座線に乗って帰るのだ。
(了)
(0513工期満了)
<むくみのこと>
「浮腫み」と書くと、外科的に切除しなくちゃと物騒な雰囲気を醸し出すが、
「むくみちゃん」と優しく呼び掛けると、百年も馴染んだ飼い犬のような響きがあるから不思議だ。
しかも雌犬。
両脚にまとわり付いて離れないむくみちゃん、頼むから歩きづらいから離れておくれ。
<ささみのこと>
「笹身」と書くと、鋭い葉で指が切れてしまいそうな険のある感が否めないが、
「ささみさん」と親しみを込めて呼ぶと、下宿先に居る年若くして夫を亡くした未亡人的な雰囲気があり、痩身で色白、目は切れ長、少しの翳りと憂い、現在フリーであることを武器に、彼女の第二の人生が始まる気がするから嬉し愉しい。
昼時にはよくお会いするささみさん、その淡白な感じが堪りませんな。
(了)
目が覚めると午前五時、起き出すべき時間ではないのは重々承知なのだが、いつの間にか始まっていた老化促進月間中の為に、二度寝ができず悶々とブランケットを全身に巻き付けてみたり、四肢の弛緩と緊張を空腹感を覚えるまで断片的に続けてみたり、流れ続ける古典芸能の音源の演目と演者を脳内で拾い出してみたりしているうちに、身体も頭も既に覚醒していると気付いた時には、もう横たわっていることさえできずに、腰と首より上の大事な部位を労わりながら二足歩行になりがてら、出掛ける準備をいそいそと始め、支度が整った頃にはもうすっかり疲れていたりもして、何の為の早起きかと、三文プラスどころかマイナスぢゃァねぇかと、まだ何もしてない上に、これから一日が始まろうとしているのに、既に自宅に居ながらにして、せめてもの逃避行動をと、何年も前にオールドハードと化したゲェム画面をぼわーんという音とともに起動するのだった。
(了)
きょうは「にく」をがっつりといただくひです。
まずしいそだちのひとびとは、「やきにく」にゆくまえに「ぜっしょく」とかするそうですが、ぼくはそんなぶざまなまねはしません。
これからやきにくにゆくというのに、きのうの「じゃまいか」まつりにさんかしています。
わんらぶじゃまいかふぇす2010
れっどすとらいぷからはじまり、まいやーず、じゃーくちきんやちきんかれーをおいしくいただきます。
・・・あとさきのことをかんがえてないだけですね。
「はらじゅく」から「あかばね」にむかいます。
はやめにげんちいりしたのですが、あとのでんしゃががじんしんじこでうんてんみあわせのようです。
さっそく「こりつ」しましたよ。
こーひーでものもうかしら。
いちじかんがけいかし、おくれてやってきたさんかしゃらとごうりゅうします。
みせのまえまでたくしーでのりつけます。
3くみほどならんでいますが、まだぜんいんそろわないのでどのみちはいれません。
さんかしゃがぶじにそろい、おくのこあがりへとあんないされます。
「あべしんぞう」と「おぶちけいぞう」のしきしがあります。
どちらもざんねんなかんじで「もと」がつくひとたちですね。
さあやくぞう。
めにゅーのうえからぜんぶもってきてください。
とくじょうはらみ、じょうろーす
じょうかるび(がぞうはありません)
みっくすほるもん・しお(ぎあら、ほるもん、はつ、せんまい、こぶくろ)
すうりょうせいげんのある「じょうたん」
さいごは「てぐたん」です。
のうこうなすーぷながらにやさしいあじわいです。
これだけのにくをやっつけてるにもかかわらず、めでたいいわいごとにかこつけて、2けんめにいどうしますよ。
(おわり)
(0512こうきまんりょう)
本日ァ代々木公園でござんす。
あんまり天気は良くねぇってんですがねぇ、日暮れまではとキチゲェ水片手に出掛けまさァね。
"ONE LOVE JAMAICA FESTIVAL 2010"
けばぶ・ぷれーとを肴に飲ってましたがねぇ、画像はありませんや。
パオ的な移動式住居
日本人に見えないお子たちが走り回っております。
彼らってば、あたしの背にある植え込みのくぐり抜けては、丁寧に謝罪してゆきますな。
心が洗われる思いでさァ。
なんですがねぇ、あんまりにもその丁寧さが仇となりまして、十も満たないお子たちは縦社会的な厳しさ、例えば口の利き方に始まる年長者への礼儀を本気もーどで下の子にさえ要求していて、少し怖くもなりました。
寒くなってきたってんで、河岸ィ変えまして、泡盛でもペイイチ引っ掛けたら沖縄すばでも手繰りやしょうかねぇ。
(了)
(0512工期満了)
(under construction)
からんころんとチャイムが鳴る。
「そろそろ昼ですよ」
あ、ほんとだ。さーて、何食べよっかなー。
「今日は何処に行くんですか」
んー、特に決めてないなー。えーと、財布は持ったし、携帯とー、あと煙草とー。
「・・・!・・・」
どうした、にいちゃん?
「・・・すげぇタイトルの本ですね、それ・・・」
あー、これね。悪いの見られちゃったなー。
「・・・『三途の川の渡り方―「あの世」と「霊界」が見えてくる』・・・って・・・」
あ、いや、俺、だいじょうぶだから! そんなんじゃないから! だいじょうぶだから!
水木しげる御大の軽妙な語り口のエッセイだってば!
(了)
本日は、江戸の本草学者である貝原益軒が云うところの
「脂多き魚なり、脂の上を略する」
という微妙な評価を受けてしまった魚、そう「鰤」を照り焼くのだ。
調理法を記しておく。
1.素材に軽く塩を振り水分を出して身を引き締めておくというまだるっこしい仕込みは済んでいるので不要
2.醤油、酒、砂糖を等量ずつ併せたタレを作るのだが、既に素材が前述のタレでひったひたに漬されているので作らずともよし
3.前日に使用した炭火は鎮火しているので、素材を網ごとグリルにぶち込みガス火で両面バーニング
4.網で焼いた後、上記の煮詰めたタレを・・・あれ? 両面に? 塗りながら? 焼き上げる?
5.やっべ、えーと、焦がさないようにー加熱しー、つやが出るようにー何度かタレをー重ね塗りするんだってさー
6.・・・タレ、棄てちゃいました
7.「照りがなくてもおいしい!」という照り焼きの存在自体が危うくする発言とともにいただきまーす。
(了)
えー、GW最終日です。
前日の島BBQに続きまして、自宅BBQですよ。
何を焼いたかというと、えーと、これは何かの肉ですね、牛とか豚とか鶏?
帆立とアスパラも焼きましたよ、網じゃなくて鉄板で、テッパンすよ。
あと、生ウィンナーね、5種類2本ずつで10本、ハーブと、ハーブ入り何とかと、ハーブスペシャル、あとふたつくらいで、チョリソ的な辛いのもあったし、あと、プレーンか、そうそう。
野菜的にいうと、エリンギ的な、椎茸的な、茄子的な、ピーマンクラスの?
パテドカンパーニュとコンビーフは高級品でしたね、自家製って銘打ってましたから。
ワイン? ワインは白かな、ドゥメーヌ・ドゥ・マージュってまあ値段なりの。
〆は横手焼きそばでしたよ、目玉焼き乗せて。
福心漬は買い忘れたから、紅生姜で間に合わせて。
いいじゃんねー、べにしょー、赤いの好きでしょ?
もうね、半期に一度、疲労困憊の総決算です。
既に何を云ってるか分かりませんね。
自分が何者かも分かりません。
ま、嘘ですけどね。
参加者総入替、あ、いや、それも嘘、全員入替は無いです。
あたい、いなくなっちゃう。
そんな感じで精も根も尽き果てまして、そんなに書く事柄もありませんや。
まあ、そうですね、汗はかけと、かいてなんぼだと、老婆心ながらお伝えします。
でわでわ、武蔵野にエイサーの声が響く頃、森泉の待つ丘でお会いしましょう。
さいならー。
(了)
(0513追記)
きょうは「むじんとう」にゆくひです。
「るざい」じゃありませんよ。
「さるしま」というしまでばーべきゅーなのです。
そして、きのうからねてません!
ひゃっほぅ、いぇーい、ふゅっふーぃ!
どこにもむかない、むなしいふるてんしょんです。
ぜんじつはにししんじゅくでのんだくれでした。
あげく、さっきまでもりもりとめんをたぐってました。
ごぞうろっぷにしみたなあ、あのほっかいどうみそ。
というわけで、むだにじゅうじつしたあうとどあようひんをせおい、8じ49ふんはつ、しんじゅくしょうなんらいなー、あれ? 「しょうなんしんじゅくらいん」にのりこみます。
すわれません。
これでもかというくらいのひとがのっています。
こいつら、どこにゆくつもりなんだ。
じさつさーくるかな?
やりばのないいきどおりは、ときとしてことばのぼうりょくにかわります。
げんちしゅうごうのはずが、すでに15りょうめでさんかさんかしゃのはんすうとであってしまいました。
ぜんいんがつりかわゆーざーです。
おおぜいのじょうきゃくは「かまくら」でおりてゆきました。
せんぞのぼぜんでかっぷくするのかな?
「よこすか」につきました。
「かいぐんかれー」のまちです。
ほかにはなにもありません。
あ、ありました、おおきなふねです。
れんごうかんたいきかん「みかさ」でしょうか
ちかくのすーぱーでしょくざいをこうにゅうします。
ふぇりーのしゅっこうまでじかんがありません。
これをのがすと、つぎは1じかんごです。
すこしはやくあるきます。
ちいさいこどもやろうじんらをとうぜんのようにおしのけます。
よのなかのきびしさをおしえてやるのです。
「なんみんせん」のようなふねがさんばしにつけられました。
だれかが「なかもりあきな」のうたをうたいます。
それは「なんぱせん」ですね。
えんぎでもない、と「よこすかわん」にしずめます。
「さるしまこうろ」をゆく
なんにんかうみにほうりだされ、ひきあげられることなく、ふぇりーはしまをめざします。
いわゆる「きがん」
「さるしま」につきました。
さるはいません。
いたとしてもばーべきゅーのしょくざいになります。
さんかしゃのなかにりょうりにんがいたので、かれにすべてまかせます。
すなはまなので、かぜにあおられてときどきとっぴんぐにすながまざるけど、たいがいはおいしくいただきました。
とんから
とんびとからすがおおぞらをまいます。
さんかしゃのひとりはとんびに、もうひとりはからすのえじきになりました。
なみにきえたひとをおもう
はまべでいしなげをしていたさんかしゃもなみにさらわれました。
むじんとうはきけんがいっぱい!
そろそろしおどきだろうとひきあげじゅんびをします。
りんじのなんみんせんは15ふんおきにでていますが、ものすごいひとのかずがならびます。
がつがつとならばずに、おうぞくのこころもちでふなでをまちます。
ふねはぶじにさんばしにつきました。
いえにかえるまでがえんそくですよ、とさんかしゃにつたえようとしたら、きづけばぼくひとりがさんばしにたっていました。
じかいはぎせいしゃはさいしょうげんにとどめて、せめてふたりぐらいで「かいさん」したいです。
(おわり)
(0512こうきまんりょう)
三日目にしてようやく百人町から脱出し、一時帰宅後には再び新宿区ニ、西新宿に来る予定があると気付いた頃には、心身愛車ともに朽ち果てており、ダメージが過ぎたサイヤ人が水槽みたいな回復装置に入れられる様に湯船に沈み、セルフで泡を吐きながら全快をイメージしつつ、黄金週間中でありながら不眠不休であることの不可解さすら理解できず、ただ行雲流水が如く生きているのだと実感せざるを得ないと一瞬はよぎるものの、やはりそれは意志があれ、えーと、意志が、えー、脆い? いや、えーと、マロい、ん? カロい、じゃなくて、あれ? 強いの反対で、えー、うー、あー、xxxなのだなあと再認識するだけの装置と化しているのだった。
(了)
日蓮宗 常泉院@西新宿七丁目
日蓮宗 福聚山常圓寺@西新宿七丁目
(0512工期満了)
百人町ふつか目でござんす。
前日のぬたうなぎに続きまして、辛ェ昼餉でもノセようかと、大久保通り沿いを歩きますな。
辛くて赤ェもんが目当てなのか何なのか、若造や家族連れが歩道に犇(ひしめ)き合っております。
しかし、「犇く」って凄ェ字面ですな。
牛が三頭ってんですから。
こういうせんすは大事でげすな。
昼真っ盛りの掻き入れ時に伺ったもんですから、がっつり人が並んでおりやす。
らんちの店は他にもあるだろうってんで、並ばねぇ店を見つけ入りますってぇと、客店員ともに女子衆(おなごし)しかおりやせん。
純豆腐ちげをいただきやす。
はんぐる表記の娘っ子店員があたしのキチゲェ水を引っ繰り返ェしましてねぇ、
「あの、これ料金はいただきませんから」
と替わりを持って来やがりましたンですがねぇ、昼の回転時にキチゲェ水を何本も喰らいながらだらだらだらだらと居座り続けるあたしらこそ申し訳無ぇなんてんで、有難く頂戴致します。
じゃあ活動でも見ようかなんてんで、でかぷりおあにさんが主演のみすてりぃを観に歌舞伎町まで歩きますな。
活動の内容についてはですね、製作者さいどから「話すな」と念押しされてるってんで、ここでは差し控えさせていただきまさァね。
衝撃のらすとにもやもやしながらも、オチ談義に花を咲かせ、あれはxxxxだったのかそれともxxxxだったのかと結論も出ねぇまま、昼間ッからのキチゲェ水は進みますなァ。
夜更けに知人から呼び出されまして、やはり百人町の店にゆきます。
韓国どぶろく、韓国焼酎なんぞいただきまして、赤くて辛ェ品が卓の脚が曲がるほど運ばれてきまさァね。
もうすぐ引っ越すから荷造りしなくちゃなんねぇなんてぇ知人を拉致りまして、またもや百人町内での河岸ィ変えましたところで、丁度時間となりましてお後と交代で御座ィます。
(了)
ヌタウナギをやっつけてやろうと、百人町へ向かう。
日本では日常的に馴染みのないこのウナギ、英語名ではハグフィッシュ、スライムイールとまあ物騒なネーミング。
本場リトルコリア大久保でのハングル表記は、コムジャンオ(꼼장어)。
何故ヌタウナギという名になったかと問われれば、「ぬたぬたしてるから」と答えるしかないが、実際ヌタウナギは特有の粘液腺(通称:ヌタ腺)から白色糸状粘液を放出し、獲物の鰓(えら)に詰まらせ窒息させて捕食したり、外敵から防御するのだ。
そして、「厳密な意味で魚類ではない」という。
じゃあ何、何なのよと怯える同行者をなだめすかして入店。
ハングル表記の店員より小上がりに通され、目当てのコムジャンオの炭火焼を注文。
「お客さーん、そこの席ね、煙吸う機械壊れてるネ」
煙? がっつり出んの?
「出るね、もうたいへんよ。顔見えないヨー」
じゃあ、出ないのにして。
「コムジャンオのホイル焼き、おすすめヨ」
じゃあそれ。
コムジャンオホイル焼き
「はい、焼けたから食べていいヨー」
うわ、鰻に見えないー。さあどうぞどぞどぞ。
「イカみたい!」
鰻なのに?
「食感がゴムっぽい!」
えー? これ深海魚らしいよ。肌つやがピンクで、目なんか退化しちゃって皮膚に埋もれてて、もう絵的にグロくてグロくて。
「え? 食べたことないの?」
ないよ。
「自分で食べたことないものを、まず人に食べさせるのが趣味なの?」
いや、あれ? そうかな? そうかも。
「ひどい!」
いやいやいや、これで全然食べないのならひどいけど、自分で食べるし。
「ゴムおいしい!」
どっちなんだ。
一軒目は日付が変わる前に解散しまして、二軒目はひとんちでパーリーナイトの残骸を処分する方向でひとつよろしく。
(了)
(0512工期満了)