誰にも言えない!(特に親に)
原作が漫画のスタンプラリーにひとりでエントリーしているなんて!
半泣き状態で9箇所のスタンプ設置所を巡り、放心状態で協力店である飲食店にて300円以上飲んだくれるのを3箇所で繰り返し、景品引換所に向かい、列の最後尾に並ぶ。
・・・景品はオリジナルのクリアファイルとシールでした。(涙)
許して欲しい、愚かな行為を。
浄罪の路はあるのだろうか。
逃げるように、この街から去ろう。
そして、全てを忘れよう。
(了)
暑い日が続くのと、食したい物が思い付かないことを理由に、麺類ばかり手繰っている。
朝の冷やし饂飩に始まり、昼には湯を注ぐ即席の中華麺、夕方はひと呼吸置いて焼き系包子(ポーヅ)、夜には厨房へ辛味の追加を依頼した酸辣湯麺、そして深夜には油そばという、何をしたいのか何処に向かっているのか自分が誰なのか甚だ疑問が残る食生活を繰り広げて止まない。
突っ込み不在の恐ろしさを体感せざるを得ない。
爛れた食生活に喧しい物言いなんぞ入らないのが、歪んで曲がった大人の姿なのだ。
更に悲しいことには、日本に生まれていながら、このところ米らしき飯をほぼ口にしていないと感じる。
日々飲んだくれている所為か、米粒を欲しない身体が造られているのだろうか。
今、幼い頃に夢中で頬張った蒸籠飯を懐かしむ。
わっぱ飯とも呼ばれるそれは、木の香りも高く、数え切れないほどの具数の山海の幸が散りばめられ、炊かれたのとはまた異なる蒸した米の色艶と食感、すべては今の食生活からはほど遠い存在である。
がしかし、それは茶漬けに始まる少年が憧れる大人の味の集大成ではなかっただろうか。
取り戻したいのは、かつての憧憬ではなく、胃と脳が直結した食そのものと知るのだ。
(了)
文京区白山を徘徊している。
白山の地名は、十世紀に加賀白山より分祀された神社の名に由来するという。
いや今はそんなことよりも、自らが愛煙する銘柄が見つからないのだ。
京北や京華の各中高等部、東洋大学を含む学生まみれの街だというのに、内包する学生数に比例せず、コンビニエンスストアの軒数は圧倒的に少ない。
昼時にレジは地獄と化すのだろう。
散々歩き回ってたどり着いた一軒の薬局、硝子越しに求める品の陳列棚が見える。
やれやれと入店も、何の因果か求める8ミリはそこになく、用のない6ミリがあるだけだ。
禿頭(とくとう)の店主に8ミリの取扱を尋ねるも、ただ首を振るばかりで、毛ほどの役にも立たない。
・・・屈辱的だが妥協せざるを得まい。
放浪の結果をここに記そう。
曹洞宗 醫王山妙清寺(みょうせいじ)@白山五丁目
本院への石段
本院、山号額
手提げ桶
浄土宗 憶忘山浮雲院心光寺@白山五丁目
山門
時間だ。
今から目的の場所にて、「信濃」と6ミリを存分に味わうのだ。
(了)
黒猫@妙清寺
(0802工期満了)
午前8時、いつもの通勤ルートを渋谷駅に向かって歩いていると、向かう先には"KEEP OUT"的なテープが道幅分だけ横に伸びており、傍らには数人の警察官が立っていて、完全に道路封鎖されている様子。
警官のひとりが、通行人に迂廻路へ向かうよう促しつつ、無線でやり取りをしている。
すわ事故か事件かと身構えるが、緊迫した空気も怒号も喧騒も感じられず、何かが終わった後の脱力感すら見える気がした。
通してくれないのなら止むを得まいと迂廻路を回って道玄坂まで出ると、周囲には赤灯をぐるぐると回した警察車両、消防車、救急車、見たこともない緑色塗装で「消防庁」との表示のある車両が道の両脇に停車しており、これだけ多彩な緊急車両が勢揃いしていると、それはそれで緊迫感の生じる絵面である。
件の緑色隊服を着た隊員らが黒いカタマリを台車に載せ、立入禁止区域へと搬送している後ろ姿が見えた。
黒色の物体は布にも見えたが、やや光沢あり、製造元が東南アジアな安い素材の家具にも見える。
悠長に成り行きを眺めてるわけにもいかないので、その場は立ち去ることにした。
後でニュース検索すると、これだった。
ショーツ1枚の女性が絶叫し、飛び降り騒動 朝の渋谷が騒然
(MSN産経ニュース)
ショーツ1枚って、いわゆる「パンいち」ね。
「女をなめんじゃねー!」
「電話してこい!」
っていいですね。
こんな台詞、なかなか出ませんよ、日常的に。
あの黒いカタマリは、女が万が一飛び降りた際の緩衝材だったようだ。
(了)
何故だか赤坂にいる。
生活習慣病健診を翌日に控え、21時以降は食事はおろか水すらも摂取禁止にもかかわらず、空の酒杯が卓上に並ぶのは、行雲流水的意思の弱さにかぶせて、つっこみ不在という負のスパイラル構造を構築してしまった結果に過ぎない。
しかも目指した先は、痺れる辛さが堪らないと謳う、本格四川料理店。
唐辛子辛い「辣味」、花椒(ホアジャオ)による痺れ辛い「麻味」はもちろん、他店ではあまり使用されないという「麻椒(マアジャオ)」がより本場感を盛り上げ、人体に深刻な影響を及ぼすのだ。
◆くらげと白菜の黒酢和え
シンプルに前菜のはずが、辣味が支配するアテとなっており、酒ばかりが進むすすむ。
◆麻婆豆腐
何か一味足りない気がするのは、既に麻味にヤられている所為なのか、そうなのか。
◆辣子鶏(ラーヅーヂー)
真打登場。
辣子鶏とは、鶏肉の唐揚げと赤唐辛子の素揚げに四川山椒を混ぜ合わせた料理。
花椒と麻椒の区別も付かないが、ひとくちサイズで揚げられた鶏肉に対してたったひと粒の四川山椒の果皮をオプションとして口に運ぶだけで、発汗と痺れに人格さえも奪われてゆくようだ。
次でさ次で最後にするからすぐ帰るから、と河岸を変えるのだ。(愚)
(了)
(0802工期満了)
おはようございます!
しゅうあけのしょにち、げつようびです。
あたりまえですね。
よのなかのすべてがにくくてにくくてたまらなくなるひです。
しょっとがんもっておくじょうにのぼっちゃうぞ。
かんかんかんかんかん
おくじょうへのとびらはせじょうされていました。
がっかりです。
あきらめて、つと(ちゅうりゃく)。
ただいまかえりました。
おなかがすきましたね。
そうだ、きのうののこりものをやっつけるぞ!
1.
ふらいぱんをきょくげんまでねっします。
みずけをとばしてるまにゆだんすると、しろいけむりがもくもくとあがりますがきにしません。
2.
おりーぶおいるばーじんえくすとらをそそぎこみます。
うっかりあぶらにいんかして、ひばしらがあがってもきにしません。
3.
たまねぎ、にんじん、ぴーまん、しいたけ、なすをじゅんばんもかんがえずにぶちこみます。
ほんとはひのとおりにくいものじゅんがよいのですが、にくさもにくしなつかししです。
4.
てきどにいためたところで、たかいいちから「がんえん」をふります。
きゃたつはふようです。
どうしてものぼりたいっていうならとめませんが。
5.
まっしろなさらにもりつけます。
やさいのいろどりをたのしむのです。
でも、みんな「ちゃいろ」にしかみえないけどね。
6.
いただきます!
もりもりとほおばります。
とってもやさいのあじがしますよ!
おりーぶおいるとがんえんがみちびいたけっかです。
7.
ごちそうさま。
あぶらぎったさらとふぉーく、きたならしいふらいぱんをとおまきにながめながらでかけるじゅんびをします。
さーて、なにをたべようかな?
(おわり)
昼から深夜にかけて長い時間飲んだくれていると、その日いちにちの出来事を忘れがちだ。
微妙な天候ながらにもテラスにて炭火を熾すと、やがて火柱とともに白煙が上がり始める。
茶を濁す意味も込めて、生鮮、焼き物、出来合い問わず、身の内に収めた食材に限って羅列するとしよう。
◆たたき造り(鯵、鰹)
◆若菜浅漬
◆加工肉(イベリコ豚のリエット、鴨のリエット、リヨン風ハム)
◆大葉入りささみかつ、北海道コロッケ、あじフライ
◆点心(焼き餃子)
◆有機野菜(たまねぎ、にんじん、なす、しいたけ、ピーマン)
◆干物(まあじ、えぼ鯛)
◆山形牛
◆あんかけソースのブカティーニ(太い穴あきパスタ、ベーコン、たまねぎ、ピーマン、ほんしめじ)
ていうか、喰い過ぎ。
他にも食している形跡もあるが、もうたくさんだ。
少しの雨が降り始めたようだが、そこは気にせず、炭火は落とさない。
微風に風鈴が揺れるのを聞きながら、時間だけが過ぎてゆく。
りーんちりーん
(了)
煉瓦造りの台湾料理店。
気紛れに卓上に置かれた伝票を覗くと、分かるような分からないような表記が続く。
◆啤酒
◆煙
◆蜆
◆米粉
◆酸辣
上四つは此の店での定番メニューである。
最後の「酸辣」、当店では初めて食す。
<酸辣湯(サンラータン、スーラータン)>
ルーツは四川という。
酢、唐辛子、黒胡椒から成る、酸味、辛味、香味の三位一体。
具は鶏肉、豆腐、椎茸、木耳、筍、長葱が入る。
あとは、仕上げに溶き卵。
もう一味とも思ったが、卓上の調味料を利用するのも食べ方のひとつだったかもしれない。
出された状態で食べたいと願うのは、民族的な性でもあるのだが。
(了)
Masato Tan,
Kiyosumi Okui,
Joaquim Jose da Silva Xavier,
Tompei Hidari
本日ァいただきますもごちそうさまも含めましてお世話ンなりました。
あァた方が此の世に生を受けなけりゃァ、朝から晩まで何をどうしたらよいやら分かりませんで。
あ、四人目の方は少し微妙な立ち位置ですがねぇ。
(了)
暑いので、冷たい物のを求めて立ち喰い系チェーン店へ。
「冷したぬきそば/うどん」と印字された食券を買う。
当然、カウンターでは「そばorうどん」を告げねばならない。
「いらっしゃいませー」
うどんください。
「そばですね?」
・・・うどんです。
「冷たいほうで?」
・・・はあ。
数秒後。
「冷したぬきうどんの方~、大変お待たせしました~」
(全然待たされてねぇし)
器に載った盆を受け取り、粉山葵のカタマリを麺つゆにぐじぐじと混ぜて、揚げ玉とともに饂飩を手繰り始めるのだが、どうにも釈然としない。
「うどんください」に対して「そばですね」って、これ、会話か? 日本語の会話か? 練習か? 日本語の悪い例の練習か?
食券にはっきりと「冷し」とあるのに、「冷たいほうで?」って、お前の国では「冷たくない冷し」と
かあんのか? 常温か? ぬるま湯か?
これでね、店員がね、日本人じゃなくて別の国の人だったらね、何も思わないわよ!
何なのよ、もう! オネェ言葉にもなるわよ! @:*¥・>!!!
(了)
前々から気になっていた木造のよく燃えそうな建造物、別に燃してやろうとか燃すぞとかそういう意味ではないが、赤提灯と縄暖簾的な情緒だけで酒が進みそうなそんな意味合いで。
客全員が備えの団扇か自前の扇子で涼を得ている。
そう、ここには空調がないのだ。
正方形の八畳間程度の空間、クラブチームのユニフォームにも似た衣装を纏った若い大将がコの字型カウンターの中に入ったきりで、奥の厨房には母親と思しき従業員が切り盛りしている様子。
何故に「も似た衣装」なのかと問われれば、サッカーに不勉強だからと答えるしかない。
壁には先の大将と思しき老人が写り込んだ、年季の入った写真が数枚飾られている。
先代か先々代かは不明だが、額の中に居る笠智衆の風貌にも似た当時の大将は、当代には悪いが、この店に合った雰囲気と貫禄を備えている。
まずはと壜ビールをいただく。
続けて冷やで清酒と幾つかの品を。
◆きゃらぶき ・・・ 野蕗の佃煮
◆付け揚げ ・・・ 薩摩揚げ、地元ではそう呼ぶ
◆冷しゃぶの煮凝り添え ・・・ 何の煮凝りかは不明
◆饅(ぬた) ・・・ 葱ぬた
◆小茄子漬 ・・・ このサイズが丁度良い
臨席の濃ゆい四十代、五十代男らは、延々と昔の漫画と古い邦画の話を続けている。
それは、かつての少年がそのままのテンションで何十年も経過していたという結果に相違ない。
古書店街ならではの客層とも云えよう。
話が水木しげる御大に及んだ頃、うっかりと身ごと入りそうになるところをぐっと堪え、この街を後にするのだった。
(了)
真っ直ぐに向かうと立ち寄る理由が見当たらず、一度は脳裡に過ぎると気は逸り思いは募るとばかりにやや早足で逢いにゆこうと一路目指す約束の地にて、硝子越しに見えるその見目麗しき姿に動悸は高鳴り、嗚呼、奇跡的に残っていたか、では早速と近付くが、さすがに経過した時間を考えと、窶(やつ)れ萎(しお)れて遣る瀬無し致し方無しとは無理が道理、その過剰に贅を尽くした姿形こそ魅力だったのに、掴んでみれば思い掛けなくはっとさせられるほど痩せ細っていると感じた夏の夜の出来事。
(了)
物凄い筋肉痛だ。
今世紀最大、未曾有の、自分史上初としても過言ではない。
連休最終日を横臥のまま過ごすのは遣る瀬無しと、死者に鞭打つが如く、生ける屍は緩慢な動きで立ち上がるのだ。
用向きさえなければ、保守的に籠るのは容易なのだが、今日中にそこに行かなければ、未来永劫とは云わないまでも、数日間それを失いかねないというやや緊迫した状況。
何のことはない、クリーニング店に出したスーツを受け取りに行くというだけのミッションである。
が、何点も所持していないが為に、明日着用すべきそれがないのも実情が故に事態は深刻なのだ。
深夜から夜明けにかけて蛹が成虫へと孵化するが如くじんわりと着替え、原生生物の繊毛運動のように這いながら玄関を目指し、草木が花を咲かせるまでの過程を少しだけ早送りにし映像を観ているかのように履物を履いて、全身の全体重を扉に預けながらゆっくりとドアを開け、ようやく通路へと出る。
施錠もする。
もちろん、階段を下るなどという愚行は冒さず、エレベータホールまで身体を引き摺り、呼び出して開いた扉が閉まらないようにあらかじめ両手で押さえ、中へと潜るように入り込み、二階から遥か階下の一階を目指すのだった。
嗚呼、陽射しが眩しい。
手を翳す動作すらもどかしい。
ていうか、挙がらない。
今ここで武装強盗より"Put your hands!"と銃口を突き付けられても、指示に従えるか自信がない。
全ての行動は、ハイチにて自らの意思とは無関係に労働に従事している「彼ら」の動きに等しい。
下り階段では手摺をフル活用する。
過重に晒されている腕が新たな痛みを呼ぶ気もするが、移動手段はこれしかないのだ。
今なら老人の気持ちがよく分かる。
あいつら、すげぇよ、半端ねぇよ、ぱねぇよ、まじで。
坂だ。
下り坂である。
・・・これは・・・無理だ。
斜面に向けて足が対応できない。
痛みこそないが、足そのものに力が入らない為、足が身体を支えられないのだ。
このままでは、何処にもたどり着けない。
後ろ向きになって四つん這いで下るしか手段がない。
それは人としてあれだ、何だ、尊厳か、もういいじゃんそんなの。
(省略)
遠い。
広大、無限とも思える距離をぐらぐらと歩く。
それでも無事に物を受け取り、同じ行程を逆に繰り返す。
使い古されて棄てられた雑巾として帰宅。
何かを成し遂げたような気もしたが、それはその日いちにちだけの軽ーい拷問に耐えた、しょーもない犯罪組織の下っ端構成員としての的外れで矮小な思い違いであって、人として幾つかの何かを同時に失ったに過ぎない。
このまま幾日過ごせばよいのだろう。
更に酷くならないことを祈るしかないのだ。
(了)
あれから何時間が経過しただろうか。
東京より400キロ、陸より更に数キロ離れた海上から帰還し、陸路を一度北東に向かった後、ひたすら南下するという逆L字を描く行程でたどり着いた新宿区。
重い荷を背負ったままの途中下車にしては長居し過ぎた。
帰らねばなるまい。
わずか四時間後には、迎えの車両に乗ることになるのだから。
現在時刻、午前五時半。
激しくぶつかり合う金属音は、深い眠りからの覚醒に相応しい。
昨日の荷は中身を丸ごと入れ替わり、身に付けている衣類も総着替えとなり、変わらないのは生身の我が身のみとなる。
数十年も前に登山用具専門店で買い揃えた幾つかの装備品を順に詰め込んでゆく。
窓の向こうに狼煙が見え、迎えが来たと知る。
「羽道號」という名の特殊車両の後部座席に押し込まれると、行き先も告げられないまま車は走り出した。
もう逃げ場はないのだ。
気絶と覚醒を幾度となく繰り返し、目的地に到着。
「魔の山」とも呼ばれる谷川岳、三国山脈系の山である。
空は高く深く青く澄み渡っている。
土合口駅よりロープウェイに乗せられ約十分、登山の起点となる天神平駅で降りると、肌寒いくらいに気温は下がっていた。
更にリフトを利用し、天神平峠駅へ。
現在時刻、10時45分。
斜面に向かって歩き出すと当然、体内での燃焼により体温は上がり、呼吸は乱れ、多量の発汗を促す。
一度低く感じた気温だったが、陽が昇るに連れて上昇してゆくのが肌で分かる。
岩と石が延々と続く登山道は尾根である。
馬の背を想像していただきたい。
鋭角な頂点を背骨とすると、両脇は垂直にも近い絶壁となる。
その背骨に沿って歩くのが、今回のルートなのだ。
都心から近いながら、遭難者数は多いと聞く。
我が身にも災厄が降り掛からないとも限らないのだ。
登山道脇に2センチほどの小さな黄色い花を見つけた。
弟切草(オトギリソウ)だ。
花言葉は「怨み」、「秘密」という。
・・・いや、今は何も云うまい。
◆熊穴沢避難小屋
ミネラルウォーターを法外な価格で販売している。
運搬の労力を考えると致し方ないが。
◆天狗のトマリ場
先行する登山者に尋ねると、既に天狗は飛び立った後という。
件の羽団扇が欲しかったのに。
◆天狗のザンゲ岩
先行する登山者に尋ねると、既に天狗は懺悔を終えて飛び去った後という。
件の一本歯の高下駄が欲しかったのに。
◆肩ノ小屋
これが小屋か等と悪態を吐く同行者をなだめながら頂上を目指す。
◆トマノ耳(薬師岳=標高1,963メートル)
ここが山頂と思い込んでいたが、違うと知り愕然とする。
白髪が増えた気がした。
諦めついでに昼休憩。
こっちか。
◆オキノ耳(谷川富士=標高1,977メートル)
ここが"Top of the mountain"である。
頂上でしばしの休息。
遠雷の気配がする。
さあ、とっとと下山しよう。
やはり降り出してくる雨は、やがて雷を伴って激しさを増す。
止む気配はない。
雨粒は時間の経過とともに大きくなる。
小屋だ。
小屋で雨宿りしている間に時間だけは無情に過ぎてゆく。
諦めて下るしかないのだ。
転がるように下りてゆく。
強行軍を行っていると、インパール作戦を思い出す。
16時45分、天神平駅に到着。
通常であればロープウェイは17時で終了だが、豪雨により運転停止している。
ここぞとばかりに休む。
係員から手渡された整理券は400番台。
何分毎の運行かは分からないが、10分の行程を20名乗りの機体が往復しているという。
・・・考えるのを止めた。
待合室で身体を休めていると、空に晴れ間が見え始める。
虹が見える。
これまでに見たことのないほど、はっきりとした虹だ。
雨粒、水滴が大きいから濃く見えるという。
やがて同行者は全員揃い、奇跡的に下山を果たした。
遭難者数、世界ワースト記録を保持するという谷川岳。
豪雨の中の下山という荒行を果たし、既に始まっている筋肉痛と闘いながら、湯治を目指して車両に乗り込むのだった。
(續く)
(0802工期満了)
<20100723現在、加筆・訂正・画像準備中>
神経の繊維が磨耗するかと憂うほどに、これまで耳にしたことのない異音が響いて目覚めた。
現在時刻、午前四時。
昨夜、床に就いたのは確か25時を過ぎていたと記憶している。
朝食を摂る猶予すら与えられないまま、まごまごしていると、"Made in Indonesia"と印字されたタグの付いた衣類を手渡され、例えその長袖の全体的な色味を人から尋ねられても説明に窮すのは必須だろうと思いつつ、何かのペナルティを課されてるのかと途惑うほど着用感に羞恥を覚え、義理で一度は羽織ってはみたものの直ぐに脱ぎ捨ててしまった。
無言のうちに車両へと誘導され、否応なく乗り込まざるを得ない状況となっている。
ひとりまたひとりと乗り込んでくるよく陽に灼けた男らは、時折シニカルに笑うだけで、大型バンから降りるまで言葉を発することはなかった。
車両はプレジャーボート係留場の脇で停車し、男らはハッチバックより積んであった道具を舫ってある一艘のボートへと運び入れ始める。
その手馴れた動きは、南方の植民地における雑役夫の荷捌きを眺めているようだ。
桟橋を渡り、「うみうみ丸(仮名)」という名を冠した小型船舶に乗り込むと、色褪せたライフジャケットを手渡される。
蛍光色のオレンジで、胸の辺りから下がるストラップの先にホイッスルが付いている。
気温は時間の経過とともに上昇しつつあり、救命胴衣は暑苦しいこと極まりないのだが、経験則から逆らうのは得策ではないと、降って湧いたサヴァイヴァルに甘んじるしかないのだ。
「錨は巻き上げられ、炎の時代が始まる」
超文明の原動機は唸りを上げ、果てしない出航の運びとなる。
万景峰号級貨物船シルエット
朝日と波と五里霧中
エンジン音が停止すると、船は波に揺れ始める。
目的の漁場に着いたようだ。
船長の手により、錨が海中に没してゆく。
鎖を軸にして船が波に翻弄され始めるのが三半規管で分かる。
船医らしき男から船上で服用すべき薬品を渡され、逆らう意思も理由もなく盲目的にも指示に従う。
全てが身振り手振りのみで行われるのだ。
薬が効き始めるのを待つ間、少しの食事を許される。
携帯食は軍用のレーションだった。
味を選ぶ暇もなく、ただ手渡される物品を受け取り、静かに口に入れるだけだ。
教官らしき男が準備した竿を手渡され、開始の合図を待つ。
じっと待つ。
奇声を発し続けながら頭上を旋回する、凶暴な面構えの海鳥に囲まれながらも待つ。
そして、その時は来た。
船長の発声とともに、男らは次から次へと仕掛けを海中に投げ入れ始める。
直ぐに竿は撓(しな)り、海中より現れる獲物らを船上に放り出すと、雑役夫のひとりは獲物から釣針を外し、船と一体化した巨大な生簀へと次々に放り込んでゆく。
魚信と書いて「アタリ」と読むらしいが、勿論そんな薀蓄をひけらかす余裕もない。
生餌である韓国産磯目の形状と動作が予想以上にあれなんで、当然直に触れない。
苦肉の策として、「ガラス越しのキス」と称した軟弱なオペレーションにて餌付けをこなしてゆく。
ここで、獲物の解説をしておこう。
<鱚(キス)>
我々が日常的に「キス」と呼んでいるのは、シロギスという種である。
全長は約30センチ。
体色は淡い褐色、光の反射で虹色にも見える。
陸に上がった後の衰弱化は早く、直ぐに白い腹部を浮かべる。
その身は脂肪が少なく柔らかな白身で、新鮮なうちに捌いて造りで良し、塩焼きに良し、揚げても良いのだ。
<鯒(コチ)>
生息域が重なている為、キス釣りでは必ず針に掛かる「コチ」、この種、正確には「鼠鯒(ネズミゴチ)」である。
広義ではコチの一種とされるが、分類上ではスズキ目ネズッポ亜目ネズッポ科であり、この地方では「メゴチ」と呼ばれるが、標準和名のメゴチはカサゴ目コチ科であり、完全に別種であるという。
全長は20センチ前後。
背中側は褐色、腹側は白色。
俗に「底物」と呼ばれるだけあって、体は平らで、鰓部は外に張り出し、頭部は三角にて前方に尖り、背面に付いた目は半球形に飛び出しているというグロテスクな風体である。
特徴的なのは、鰓孔の横にある一対の太い棘と、体表は粘液に覆われていること。
調理にあたっては、頭部と内臓を除いた後、体表の粘液を塩で擦り取る。その白身は歯ごたえがあり、造りに始まって天麩羅、唐揚げが愉しめるのだ。
<蝤蛑(ガザミ)>
この地方では「渡り蟹(ワタリガニ)」という。
甲幅は約15センチ。
背面は黄褐色、鋏脚や脚は青色であり、全体に配される白い水玉模様が特徴である。
この地域では別種の蟹(ベニズワイガニ)が幅を利かせている為、この種はさほど重宝されない。
鍋物や味噌汁に放り込まれるぐらいが関の山なのだ。
釣り上げた個体は雌で、外側に迫り出した鮮やかに橙色な内子(卵巣)付きだった。
釣果はコチ、ワタリガニを含め、40匹。
無言で懐から小出刃を取り出すのは、板場担当の男。
船上だからこそ許されるが、往来での同じ動作は官憲の手によって確保されかねない。
刺身醤油と鮫肌で摩り下ろした山葵で皮付き、皮無しと両方いただく。
数分前まで彼奴が磯目を喰らってたかと思うと、しおしおと萎えないでもないが、そこは大人な対応で喰い尽くすのだ。
陸に上がってもまだ午前十時である。
これから彼奴等を存分に蹂躙して、腹の内に収めるという作業が待っている。
そして、この地に別れを告げる時が来たのだ。
(續く)
(0802工期満了)
七時に目覚め、階下より呼ばれた気がして下りてゆく。
既に人の気配はなく、食卓には三日間は過ごせそうな勢いの膳が据えられていた。
完食すると当然、"Großmutter von Rotkäppchen"(独)を丸呑みにした"Canis lupus"(拉)の末路に近しい状態となるのだ。
身動ぎも儘ならず、これでは幽閉されているのにも等しいと思い、現状からの脱出を試みる。
元より軽微な警備の為、難も苦もなく外へ。
空は何処までも青い。
飛び込むつもりは毛頭ないが、闇雲に海を目指す。
それなりに歩いても、さほど風景が変わらないのは、鄙びた地域の証左である。
この地には坂がない。
何処までも平野が拡がるばかりで、上り下りの区別が酷く曖昧なのだ。
傾斜が存在しないというのは、往路と復路の差を体感できず、起伏の意味さえ忘れがちだ。
寺町へと入る。
眞宗大谷派 北海山称永寺(濱の御坊)@常磐町
山号寺号の表記が正しいか否か疑問だ。
猫@常磐町
呼ぶと黙殺し、呼んでもいないのに振り返る、それが猫だ。
宿場回廊なるエリアを徘徊する。
かつての宿場町であった名残を今も残す河川に隣接する木造の家屋、風情も情緒も感ぜられるのだが、如何せんそのほとんどが廃墟に等しく、行政の力の注ぎ加減が残念でならない。
宿場回廊のひとつ
川はやがて海との境界線を消失してゆく。
河口
空には白鷺が舞う。
砂浜と海面
漂着物の大半は工業製品。
漁港と船舶
漁師らが網を干している。
海風に晒され、陽射しに灼かれて肌が焦れて来た。
そろそろ引き上げよう。
日暮れには、隣町で半島系の料理をいただく予定なのだ。
(續く)
(0802工期満了)
意識を消失する前、最後の記憶は"mi-n-mi"という響きに似た単語だったと思う。
とはいえ、同名のレゲエミュージシャンとは無関係であることだけは理解していただきたい。
まだ正気を保っていた頃に訪れた店の名かもしれないが、今となっては最早確かめる術もない。
およそ六時間に及ぶ昏睡から目覚めると、外は暗いながらにも夜は明けており、人々は動き出している。
動き出しているのは事実なのだが、平日の早朝にしては、歩く人の数が少な過ぎることに気付く。
そう、ここは東京ではないのだ。
記憶を頼りに向かう駅舎は、改装中という名目によって閉ざされており、言葉の通じない異国と同義でありながらも、勝手の分からないひとんち的な温かさとも隔離された世界。
駅数は少ない筈なのにその距離に起因する高額な運賃の紙製切符を買い求め、手動改札で手渡す切符は入鋏され、人気もまばらな階段を昇降し、乗るべき電車が発着するプラットホームを目指す。
空は暗灰色に包まれている。
連なる山脈を背にしてホームに降り立つと、荒ぶる海の側には廃墟と呼ぶべき、かつてプラットホームだったであろう構造体が見え、不穏な心象を象徴的に植え付けるが如く、半ば強制的に行われる刷り込みに、心は酷く疲労するのだ。
やがて二両編成の車輌が到着し、スライド式ではない半観音開きとも呼べる開閉式の扉から車内に乗り込むと、間髪入れずに老兵の断末魔にも似たブザー音が響き渡り、車輌は軽妙に走り出し、可聴域を脱した低音を内臓で聞かされながら、目的地を目指すのだった。
ここでまた記憶は途切れる。
誰かに揺り起こされた気がした。
目覚めた瞬間は、追い詰められた者特有の顔をしていたと思う。
車窓から外を見ると、降りるべき駅によく似ている。
大した確証もないまま、急かされる様に扉から出ると、果たしてそこは目指す場所だった。
改札は無人である。
使用済みの切符を入れる専用の木箱が設置されているが、年代物とも呼べるそれの投入口より見える闇に戦慄を覚え、入れるべき切符は握り締めたまま、駅舎からできるだけ遠くに離れたいとばかりに早足で立ち去るのだった。
やがて縁者の住まう居へと到着し、何泊か世話になる旨を告げると、階上の個室をあてがわれる。
重過ぎる荷をようやく肩から解放するのだ。
階下にて過剰なほどの朝食を摂らされ、少し横になるも睡魔は襲っては来ない。
不意に思い立ち、鉄道を利用して少し離れた土地に行こうと準備を始める。
前述の通り、空腹感は欠片もないのだが、目的地を駅に隣接したファストフード店と設定した。
どれだけ遠方に行くのだろうかと訝(いぶか)しむのも無理はない。
ローカル線に一時間ほど揺られ、銅器の町とも呼ばれる終着駅へと到着。
鉛色の空はやがて落つる零滴を湛えているに相違ない。
目指すは当駅の南口駅舎だったが、長い構内を抜けて屋外に出ると、そこには工事車輌が行き交う現場と騒音。
かつての駅舎は、白い壁に囲まれており、中では重機が巨象が咆哮を続けるが如く暴れている様子。
壁の隙間から中を覗くと、・・・更地だった。
後で知るのだが、2009年12月までは当駅舎内に店舗が存在していたという。
何しにここまでやって来たのか分からなくなり、倒れそうになる身体を両腕で支えながら、まずは正面となる北口を目指し、地下道に潜るとそこには地下商店街が拡がっており、そこはかとない期待感を持つ。
がしかし、シャッター商店街とはよく云ったもので、定休日でもなく通常の営業時間中でありながら、全店舗は何の説明もなく休業している。
そして、現時点で空腹ではない。
何もかも諦めた者の表情をしていたと思う。
全てをリセットしようと、最後の力と惰性で北口へと回り込み、駅前を散策しようと行動する。
駅前には年代物のビルヂングがあり、その外観は風雪に晒されて独特の風貌を備え始めている。
いかにも廃墟な鉄錆の外階段と吹き抜け、廃病棟を思わせる緑色の塩ビ床、廃れた魚市場で使い込まれた手鉤、眺めているだけで暗い闇に取り込まれそうな螺旋階段、「フリー七千円」というベニヤ板の手書き文字。
全てが負の要素で満たされている。
ここに長く居てはいけない。
ビル内に鎮座している、起源も不明な社がある。
萬福神社@下関町
曇天は更に鉛の濃度を増している。
もう失うものは何もないのだ。
駅前に掲示された地図を頼りに移動を開始する。
天狗乃肉@大手町
物騒な店名だ。
看板商品であるコロッケには心惹かれるが、今はその時ではない。
古城公園@古城
濠に浮かぶ数羽の白鳥が羽根を休めている。
越中総鎮守 射水神社@古城
祭神は瓊瓊杵尊(ニニギノミコト)という。
かつては二上神(ふたがみのかみ)だったが、現在では二上射水神社@二上山麓に祀られている。
予想していたとはいえ突然、集中的な豪雨となる。
雨具は何ひとつ持たないので、身動きが取れない。
しばらく軒下を借りることにする。
十五分ほどだろうか、雨宿りが功を奏し、再び曇天の下へ。
護国神社(末社)@古城・椿山
本社と同様に、祭神は殉国の英霊という。
公園を離れ、古刹を目指す。
浄土宗 鳳徳山大佛寺@大手町
銅造阿弥陀如来坐像
奈良、鎌倉を含む日本三大大仏であるという。
ただ自称という説もあり、大仏界では三番目を狙って変動している。
歌人、与謝野晶子は当大仏像をひと目見、
「鎌倉大仏より一段と美男」
と評したとも云われているが、こうしてる間にも三番手候補である岐阜、兵庫、東京、牛久にその座を奪われているかもしれないのだ。
県社 高岡関野神社@末広町
江戸期までは、加久彌神社(神明社)、関野神社(熊野社)、高岡神社(稲荷社)と分かれており、関野三社と呼ばれていたという。
さて、小腹も空いたので、駅前に戻ろう。
一時間に2本程度の列車運行ゆえに、次なる行動に入る前に発車時刻を確認せざるを得ない。
それは、この土地で生きてゆく為の知恵だ。
40分後の乗車を想定し、昼食を摂るべく飲食店を探す。
・・・果たして、例のファストフード店がそこにあった。
南口店、地下街店の閉鎖を目の当たりにし、一度は諦めたものの、駅舎待合室の中にて営業中の札を出していたのだ。
目指す品を券売機にて購入。
カウンター越しに従業員へと手渡す。
しばし待つ。
ちゃんぽん
長崎で著名なそれとは縁遠い、文字通りミクスチャーという意味でしかない。
奇跡の融合を目にし、雨中、廃墟と古刹をめぐり巡りたどり着いた約束の地で、人知れず意識が遠のく。
帰ろう。
もうここには用はないのだ。
奇跡とは自らが火中に飛び込んでこそ価値のあるものだ。
そして誓おう、愚かな行為に魂が燃やし尽くされようとも。
(續く)
(0802工期満了)
重大な事態だ。
これから遠方に旅立とうとしているというのに、何の準備も進んでいない。
何故か数時間前から室内の清掃を始めており、現場の惨状を伝えられないのが歯痒いくらいだ。
挙句、タイプGの出現によって発令された、厳戒態勢も未だ解除されていない。
惨劇はいつだって何の予告もなく唐突に始まるのだ。
今何時だろうか。
時計すらも見当たらない。
刻一刻と迫るのは、乗るはずの交通機関の出発時刻。
漠然とした時間しか知らされていないという不利極まりない状況下で、ただただ焦りは募るばかりだ。
そして、更に事態を深刻化させているのは、空腹であること、前日の睡眠が圧倒的に不足していること、数日間の滞在であるにもかかわらず劇的に過重な荷という三重苦である。
嗚呼、もう嘆息ばかりだ。
都々逸でも回そう。
♪夏痩せと 人に答えてほろりと涙 捨てられましたと云えもせず♪
って何だそりゃ。
もう駄目かも分からん。
とりあえず、逝って来ます、あ、いや、行って来ます。
(續く)
鳥居坂下にある店の暖簾をくぐる。
この店にしては客が定数を満たしていないと見えた。
名前を告げると、カウンターへと通される。
空いている卓上に目をやると、既に箸と箸置き、小皿の類が人数分セットされている様子。
予約での潜在的満席のようだ。
◆冷や(特別本醸造 秘幻、xxxx=銘柄失念)
◆突き出し(茄子の煮びたし、筍と鶏そぼろ、鰺の南蛮漬け)
◆鰯、初鰹の造り
◆久世茄子焼き
◆つくね、黒七味
◆白とうもろこし(茹で)
気が付けば、座席は全て埋まっており、次から次へと訪れる客を門前払い。
その間、予約はできないだろうかという内容の電話が鳴る度に端から断っているのだ。
何故か厨房内のカセットコンロ上の鉄板で焼かれている豚肉。
その漂う香りからイベリコ豚と分かるのだが、メニューには「焼きしゃぶ」という名があり、その調理過程からは「しゃぶ」要素がさっぱり見い出せない。
卓上にて客に焼かせないのは、長っちりに長居させない策なのだろうか。
程好いほろ酔い加減にて次に移動します。
(了)
"The island is said to be the first one to sink"
"Beautiful Islands" Official Site
(End)
求める味がある。
辣味と麻味。
前者は唐辛子の辛さ、後者は花椒(ホアジャオ=四川山椒)の痺れる辛さを表す。
というわけで、目指すは近所にある四川料理専門店。
しかし、昼時を僅かに過ぎていた為、14時の時点で準備中と知って途方に暮れる。
ただ立ち尽くすだけでは事態は好転しないと思い立ち、歩を進め、代替案として向かうは上海料理専門店。
当店、店名を冠した焼きそばを出す店として名を知られているが、今回の趣旨ではないのでオーダー票からは容赦なく切り捨てる。
※画像なし
マーボ豆腐
その痘痕面から「麻婆」と呼ばれた劉夫人に対する敬意が微塵も感じない菜単での表記に憤りを覚えつつも、時同じくして頼んだ水餃子ごとやっつけてから次なる店を目指す。
二軒目は台湾料理専門店。
麻婆豆腐
確かに表面には花椒の粉の気配もするし、食してみると口内に拡がる辣味と麻味なのだが、求めている品ではなかった。
あてとして注文した香腸(腸詰)をも完食し、ここで退くのも勇気ある決断と信じ、一時撤退を余儀なしとした。
一時間後、約束の地は17時半からの営業という。
開店と同時に訪れると、スタッフのひとりはまだ誰ひとりとして座る客の居ない店内へと導き入れてくれる。
四川(スーツァン)表記の菜単が手渡される。
※画像なし
八宝蒸湯
鶏を丸ごと半日煮込み、朝鮮人参、鼈、長葱、クコの実、大蒜、棗、生姜が入るという。
滋養が沁みてゆく。
正宗担々麺
映り込んだ影は容赦願いたい。
汁なし担々麺である。
辛味はさほど感じられず、少々ショルダースルーな感じ。
麻婆豆腐
映り込んだ影は容赦願いたい。
五徳と土鍋が厳かに運ばれ、スタッフが「花椒の風味が丁度よい頃にお取り分け致します」と言い残して去り、再び現れた後は碗に盛り付けて、土鍋を五徳ごと引き上げてゆく。
卓上に残されたのは、ミル付きの「若い芽の花椒(赤)」と「花椒(黒)」だった。
この辣味と麻味に合う為に、上海、台湾と遠回りして四川に帰って来たのだ。
次こそは12時に来ようと思いました。
(了)
<おいしいぎょうざのやきかた>
ここではすでにしこまれた「なまぎょうざ」をもちいてのせつめいになります。
いまから「ぐ」をどうにかしたり、「かわ」でくるんだりするというこういはとっととあきらめて、しはんのやつでがまんしてください。
(1)かねつ
だいどころのかたすみでくすぶっている「ふらいぱん」のねむりをさますがごとく、はいぱーな「つよび」でねっします。
(ここでのふあんようそは、よそくのつかない「じしん」と、それにともなう「やけど」、けっかてきに「ぜんしょう」れべるの「かさい」ぐらいですので、7わりがたはあんしんしてちょうりにせんねんできるかとおもいます)
(2)ならべる
ふらいぱんのうえにぎょうざたちをなかよくならべます。
(「てふろん」かこうのあいつには「あぶら」をもちいないほうこうで)
(3)ゆ
ぎょうざの3ぶんの2ぐらいがひたるまで「ゆ」をそそいでください。
(いまから「ゆ」をわかそうとしても、ときすでにおそしなので、あきらめて「みず」をつかいましょう、たいへんざんねんですが)
(4)むらし
「ふた」をかぶせ、ふっとうしてから4ふんぐらい、ぎょうざにひがとおるまでつよびでおねがいします。
(くれぐれも「おねがい」れべるで)
(5)すてる
ぎょうざにひがとおったなとおもったら、よぶんな「ゆ」はすてます。
(6)あぶら
「ちゅうび」と「よわび」のあいだくらいのびみょうなひかげんにして、「あぶら」をぐるぐるとそそぎます。
(7)やき
こんがりこげめがつくようにふらいぱんをぐるぐるとまわします。
よく「きつねいろ」なんていいますが、きつねをしらないやつらにはさっぱりつうじませんので、りあるにこげなければりっぱなやきいろになります。
(8)できあがり
まっしろな「さら」にもりもりともってかんせいです!
すたんだーどに「しょうゆ」、「す」、「らーゆ」がよいでしょう。
「ゆずこしょう」もありですね。
(9)いただきます
あれ? さっきたのんだ「びーる」はまだかな?
・・・おいおいおい、こまるじゃないか、ぎょうざはもうここにあるんだぜ、がしゃーんばりーんきゃーっあぶらはやめてー、てきなてんかいは、じぶんにもひとにもやさしくないのでちゅういがひつようです。
(10)ごちそうさま
ぜんぶで12こ、かんしょくしました。
あらいものはしませんよ。
そとはあめがふっています。
かさをもってそとへでますよ。
(おわり)
直訳すると「潮風防腐剤」なんて物騒な和名の液体を求めて、上野行きの都バスに乗り込むと、他の交通機関よりも老若男女における「老・女」乗車率は断然高いながらも、座るという行為を拒絶する老婆が後を絶たず、空席が目立つ中、通路だけがやたら混雑しているという、定刻通りの運行に支障を来しかねない状況であり、長崎では高校生が優先席に座ってるだけで、傘を振り被って鼻骨を折りにゆく武闘派老婆がいるというのに、このバスに乗る老婆らは「安楽に着席」よりも「速やかなる降車」を最優先としている為、結果、より複雑なカオスを生み出し、出口付近の手摺に寄り添う男子小学生が老婆の迅速な行動に巻き込まれ、毎度毎回外に吐き出されるという小競り合いを幾度か繰り返し、彼らはただ奥に居ながら他の乗客を掻き分け掻き分け出口に向かいたくないというそれだけの願いなのに、思いはただひとつなのに、互いが共感し合った個体が漠然と集合したところで、烏合の衆とはよく云ったもので、それぞれが似たり寄ったりの主張を繰り返すだけの群体でしか成り得ないのだなと思うのだった。
(了)
"If there is any way to do it wrong, he will."
Cap. Edward Aloysius Murphy Jr.
「失敗する方法があれば、誰かはその方法でやる」
エドワード・アロイシャス・マーフィー・ジュニア空軍大尉
まァあれだ、人は悲観的であればあるほど、危機管理は成されてると理解しているつもりなのだが、久しく口にしたい食べたい物が思い付かないまま日々を過ごしている中で、思い付きは発明の母とばかりに漸く重い腰を上げ、自らの意思を伴って目当ての店に向かう道中にて、淡く包まれゆく昂揚感だけを頼りにし、坂の途中から約束の地を見上げるも、その店舗及び表看板の妙な薄暗さに一抹の不安を覚えつつも恐る恐る接近し、何の因果か子に報い、果たして的中する今日が水曜日が週の真ん中の定休日という脱力感、遣る瀬無さ加減ったら何事にも替え難く、代打として二号としてしか見ていなかったはずの次なる店ですら同様に休みという負の連鎖を重ね続け、発せられるのは罵詈と雑言と誹謗と中傷としか表現方法は無く、何の真似かと欧米かと欧米の真似乞食かと、ただただ前述の空軍大尉の出自さえも呪い、その何か云っているようで何も云ってない言葉の羅列でありながらも、それは現し世であり鑑なのだと諦め、頬を赤い涙で直線を引きつつ、意に反して不本意ながらも重い足を引き摺り、意識上の集合論では論外な領域に向かうしかないのだった。
(了)
20時、赤坂二丁目。
店頭には「氷見漁港直送」と書かれたトロ箱が並んでいる。
扉を押し開けて店内に足を踏み入れると、赤坂という客層に起因するのか、喧騒こそ感じないのだが、隙間なく酔客で溢れている様子。
とにかく混んでいる。
およそ三名の店員に飲み物を頼み続けるが、待てど暮らせど目の前に運ばれてこない。
突き出しが先に届く。
土佐料理では、真穴子の稚魚の三杯酢和えを「のれそれ」という。
稚魚を学術的にレプトケファルスと表現すると、急に食指は萎えてしまうが、醤油を掛け回してしまえば、その末路は同じである。
本日は半値という、相模湾朝網直送という魚の造り(鰹、雲丹、鱸、金目鯛、鰯)を突き、
殻の大きな蛤の酒蒸し、
賀茂茄子のしぎ焼き、
胡瓜と小柱のぬた、
金目鯛の煮付けを順にいただく。
土佐の辛口酒を幾杯かやっつけて、今宵はここまで。
路上に躍り出ると、きぶん次第で俥を拾うのだ。
(了)
朝、最寄の百均にて、紙パックの飲み物とラッピングされた揚げ物を買う。
「208円になります」
これ、ストロー入ってる?
「・・・? 入ってません」
箸は?
「・・・? 入ってません」
何でだっけ?
「・・・? 入れますか?」
入れろって。
ていうか、「ご入用ですか?」「お願いします」で済むじゃんか、田中敦子っ!
質問の度に不思議そうな顔をするのは止してくれ、朝から何もかもが萎えるから。
(了)
ごく近所に、ファラフェル専門店があるという。
この店、最近新規オープンしたのは気付いていたのだが、こぎれいでこじゃれた外観がいかにもなので、オーガニック信者の為の禁煙系おされカフェと思い込み、店内の様子を伺うこともなかった。
しかも、店名を表すべき看板らしき表示も無いのだ。
しゃれおつ
路面店であり、路上に面した側は全面硝子張りで採光具合はルクス的に高く、明るい店内には石タイルが敷き詰められた床、大理石な装いカウンターがあるだけで、厨房は外から覗かれ放題になっている。
ファラフェルとは雑に述べると、東地中海沿岸、アラビア半島南部、イランまでの地域で食されている、潰し豆に香辛料を混ぜ込んだ揚げ物である。
今回はファラフェルをピタでサンドした品を頼んでみる。
"Falafel sand (Full)"
ぶったぎり
当店のレシピは不明だが、食して反芻して判断すると特徴は以下の通り。
・ファラフェル ・・・ 原料が「ひよこ豆」だけなのか「空豆」だけなのかブレンドなのかは不明
・ピタ ・・・ 小麦粉とイースト菌から成る、中がポケット状に空洞化したパン (イスラエル、欧米)
・フムス ・・・ 黄色のドレッシングはおそらく「ひよこ豆」のペースト (イスラエル)
※ただし、ペーストには緑色要素も含まれている気がして、その正体は「空豆」なのではないかと思われ、その場合はシリア、レバノン風という
・タヒーニ ・・・ 前述のフムス以外にベジーに掛け回されているのは胡麻のペースト (イスラエル)
・ベジー ・・・ トマト、胡瓜 (イスラエル)
イタリアンパセリ、赤蕪、胡瓜のピクルス (シリア、レバノン)
アヴォカド、茄子 (ルーツ不明)
ユダヤ人もアラブ人も同じ食材で同じ作り方で同じ食べ方で食すファラフェル、些細なすれ違いで残念な結果を残すのは、男女だけではないのだ。
(了)
(0707工期満了)
<第壱章>
湯気の生じる器を接写しようと寄りに寄ると、いまいちどころかいまさんな画像が仕上がってしまうのは致し方ないとしても、シャタァスピドゥをどうとかするような気の配りもさらさらになく、ただただ残念な写り加減の被写体がそこにあるだけだ。
粥
痛飲を重ねた飲んだくれの舌には、椎茸出汁なのか科学の力なのか、もはや判別不可能な領域に達しつつあるのだが、昨晩から今朝にかけての溜飲を下げる意味では、大変有難ぇかっちけねぇ感じを演出する、万人に優しい朝餉と云えよう。
とはいえ、香腸(腸詰)を肴に啤酒(ビール)を飲ってる時点でちゃんちゃらおかしい話ではあるのだが。
香腸
支払いを済ませ、台湾から離れようと外へ出る。
(續く)
<第弐章>
さて、その日の夕餉。
朝兼昼餉の台湾に続いて、韓国へ。
辛いのんで暑気払いをと目指した店、17時開店直後に訪れたにもかかわらず、既に店頭には待ち合いの席が準備されていて、韓国人俳優と云えば「ペ」しか知らないような若造の列で溢れ返っている。
致し方なし、と別の店舗へと移動。
小上がりだらけの店内、あえてテーブル席を選ぶ。
先ほどの店とは打って変わって、寂しい客数だ。
ナムル類が運ばれ、センメクチュ(生ビール)とともにむるむる食していると、熱くて辛いのが卓上に並ぶ。
サムギョプサル(豚三層肉)は、専用の鉄板でにんにくとともに焼き、薄く切った青唐辛子、胡麻油と塩辛(ジョッ)、辛味噌、白髪葱の辛味和えを乗せて、サンチュ、エゴマの葉で巻いて食す。
マッコルリを甕でいただく。
純豆腐チゲ
チャミスルをボトルで頼む。
牛マルチョウ(辛味噌)
最後に頼んだオジンオジョッ(烏賊の塩辛)は、当然赤い。
いつの間にか満席となった混み合う店内、追い出され気味に会計を済ませ、アジアの旅は終焉を迎えるのだ。
(了)
(0707工期満了)
深夜の蕎麦処、蕎麦味噌と古漬けを肴に飲んだくれている。
隣席にはスキンヘッドに色付き眼鏡、アロハかと見紛う派手な柄のシャツを着た、香港マフィアの用心棒ばりに雰囲気と恰幅のある中年男性。
悩んでいるのか眠いのか、午後一発目に授業中の高校生男子のように卓上で腕を枕に顔を伏せている。
体勢がつらくなったらしく、その巨漢とも形容できる身重な身体を横たえようと靴を脱ぎ出す。
間髪入れずに止めに入るは、角刈り系従業員。
「お客さーん、寝ちゃァ駄目ですよ」
も、いいから、さ、ね、少し、少しだけ。
「駄目ですよ、起きてくださいよ」
何だよー、いいじゃんかよー、頼むよー、お願いだよー。
「寝ちゃァ困りますよ、ほんとに」
前はさー、そんなこと云う店じゃなかったよー、ちゃんと寝かしつけてくれたよー、何だよーもぉー、お会計っ!
ヴィジュアルからは到底想像が及ばないリアクションのギャップさ加減に、キャラクターグッズ化も考慮したい。
(了)
日常的にテレビを視聴、新聞を購読していないので、世間の事情にかなり疎いほうだ。
人の話もよく聞いてない上に聴覚に問題(高音域に弱い)があったりもして、耳に入ってくる情報も限られている。
また、要眼鏡でありながら、所持した過去は一度たりともなく、自宅以外の場所にて視覚的に入る要素(例えば電車内の中吊り、パブリックヴュー)ですらよく見えないのが現状なのだ。
意図的に外部入力を遮断しているわけでもないが、以上の状況を談話として母親に告げると、
「あんた、xxxやねぇ」
と公共の場では絶対発言してはならない類の、大量殺戮を目的とした化学兵器級に破壊力のある差別用語を用いたコメントが付いた。
・・・母さん、あたしは別にいいけど(よかないけど)、他所でそんなこと言っちゃ駄目ぇ。
だからというわけでもないが、Web上でのニュースも読み違えることもしばしば。
2010/03/15
「墓石51個捨てた男を逮捕 (千葉)」
あんな小せぇ碁石(ごいし)をぱらぱらっと放かしたぐらいで逮捕されんのかと思いきや、墓石(はかいし)10トン分の不法投棄だった。
2010/05/13
「福之国、勝平正、忠富士、秀菊安、美穂国、安重守が移動 (宮崎)」
聞きなれない力士の名が並ぶなあ賭博容疑で検挙されての護送なのかなと思いきや、口蹄疫に伝染しないようにと隔離されたエース級種牛の名だった。
まあ、あれだ、人の話は聞けと、文章はよく読めと、まあ、そういうことだ、xxxめ。
(了)
※「xxx」とは何かに不自由な状態を差す、人として言ってはいけない差別用語。