昨日からの悲願であった包子(ポヲヅ)の店へとたどり着く。
時刻は17時台だというのに、既に「お一人様」が数名着席している様子。
そして、客の全ては四人掛けの席で出入口に背を向けた格好である。
その体勢では、不意なテロリズムに対応できないだろうに。
兎に角、個々の占有空間が狭い店である。
後続に訪れる赤の他人と同席するのも煩わしいので、向かい側に給水機が置かれている間取りの相席不可能な席を選んで座る。
これで自分もまた急なテロに対応できない姿勢となる。
番茶と注文伝票を持った女給が現れた。
まずはと菜譜も見ずに啤酒(ビール)中瓶を頼む。
続けて「天津包子(ティエンジンポヲヅ)を」と告げるはずが、どうにもあの包(皮)が啤酒に不似合いな気がして、日和って定番菜譜であるヂャヲヅ小皿(8個入り)を頼む。
啤酒と共に運ばれてきた鳩の餌の如き豆を啄(ついば)みながら、中瓶の中身を徐々に減らしてゆく。
日本人的には、ヂャヲヅを醤油、辣油、酢の三位一体で食したいのだが、当店大陸的志向の為か、卓上に辣油差しは存在せず、代わりに粉唐辛子と練り和がらしが常設されている。
駄々っ子のように辣油を要求するのも手だが、奥にある厨房より飛び上がって躍り出る中華庖丁を両手に握り締めた泥鰌ッ髭の料理人が襲い掛かってくる夢を幾度となく見ているというトラウマが災いし、ここはひとつと自制しておいた。
筒状の皮に包まれた餡の中身は、程好い食材の分量と適度な力加減で捏ねられ混ぜ合わさる丹精込めた結果の産物なのだが、外皮の焼かれ具合が今の自分の好みよりも少々軟らか仕上げとなっており、無論及第点ではあるのだが、もうひと熱慾しかったとも考えるのだ。
次こそは、包子に包まれたいと思う。
(了)
迂闊だった。
大概いつだって日常基本的にうかうかとしているのだが、久方振り鳩尾(みぞおち)に掌底クラスの骨身に沁み入る事態だ。
無計画性と計画性のありやなきやとは今に始まったことでもないし、それを理由としてのらりくらりと小義名分という名の言い訳を用意しつつ、決して深手を負わないだけの自負と僅かに微細な自信もあったのだが、さすがに今回はわりと結構少しがっかりもしたし、ひとつ反省でもしてみようかしらなんてちらりと考えたかもしれない。
そう、定休日だったのだ。
・・・指差しで注文したかった、あの包子(ポヲヅ)・・・。
代打を探して街をさまようのだ。
(了)
終電を逃した泥酔のまま、新宿区より徒歩で帰宅。
しかも下駄履き。
鼻緒が足指に痛過ぎて、後半はほぼ南の島のフローネ状態で歩く。
待ち合わせは27時頃と聞いていた。
楽観的に26時過ぎに戻って入浴して準備して迎えの車両を待てばよいと考えていたのだが、26時にはさっぱり着かずに、迎車の到着連絡を告げられた頃には、まだ自宅にも到着していなかったという有様。
時間をくださいと懇願し、どうにか荷造りを終え、車両に積み込み、自らも積み込まれる。
寝てもよいという温情なる許可をいただいたので、悪い夢に魘(うな)されながらも、移動時間のほとんどを休息という名の惰眠に費やすことに成功。
車両は東北自動車道より一路、日光を目指す。
日光白根山は、栃木と群馬に跨って位置する活火山である。
「しらね」とは、雪に覆われた白い峰の外観を持つ高い山の呼び名でもあるので、同名違山は全国に幾多存在する。
6時半過ぎに到着。
少し仮眠する。
白根山登山口(菅沼登山口)
出発は8時半より少し前だったと思う。
初めの目的地、弥陀ヶ池までは2時間という。
ジブリ的な風景が続く
徐々に山は殺伐さを現し始める
誰が何の為に・・・
弥陀ヶ池まで0.9km 菅沼登山口より2.0km
現在時刻、9時40分。
弥陀ヶ池
現在時刻、10時05分。
まァ予定通りではあるな、一応。
希少な高山植物、シラネアオイは電気柵で守られる(触れるとビリビリ)
ガスってきたな
山頂はあちら
現在時刻、11時半。
もう少しだよう。(涙)
山頂(標高2,578m)
11時35分、登頂である。
疲労した身体で、切り立った崖際での撮影は緊張感がある。
ここで昼食にしよう。
沸点が低いのか、水はすぐに湯になる。
梅入りのむすびと稲荷を豆腐の味噌汁で流し込み、下山に備える。
岩間を齧歯類的な小動物が往復している。
登山客の食べ残しを狙っているのだろうか。
顔を出しては引っ込め、忙しないことこの上ない。
小さくて全然見えないが、ほぼ中央に右を向いた茶褐色の鼬(イタチ)
イタチは齧歯類ではないな。
次なる目的地、五色沼が遙か遠く眼下に
ここからが下山である。
はだか賽銭で盛りだくさんな社
現在時刻、12時半。
かつての火口跡
樹木の立ち枯れが目に付く
立ち枯れとは、倒れずそのまま枯れてしまう現象である。
原因としては、首都圏からの大気汚染物質の飛来という説も。
遭難小屋に到着。
内部は事件の現場な雰囲気充分である。
避難生活用品
「ネズミが出ます」
小屋の裏手には鹿が居る。
「鹿だ」と同行者に告げたつもりが、知らないおっさんに話し掛けていた。
登山中は他のトレッカーとすれ違う度に「こんにちはー」とか云うくせに、おっさんまるで無反応。
山の厳しさを知る。
五色沼
沼周辺では蝿等の小虫がまとわり付いて来るのを追い払うのに忙しい。
人間という存在を知らないのか、叩こうが払おうが何をしても逃げない。
どういう育ちをしているのだ。
小さくてよく見えないが、ほぼ中央に右を向いた鹿
ここからは泣き言が入ります。
もうね、帰りはね、心折れたね、ばっきばきに。
足下なんて岩ばっかりだし、根っこばっかりだし、ぬかるみだらけだし、森ん中だから全然景色変わんないし。
膝が笑い始めたんで、休憩がっつりはさんでたら、気付けば前後ひとりぼっちだし。
誰かしら装備しているはずの熊除けの鈴の音が全くもって聞こえないし。
これで雨なんか降り出したら本気で遭難できるななんて余裕のない気持ちでいっぱいに。
標識の示す「登山口→1.0km」を見た時には、目の前がぐらぐらと揺れて歪んできゅーって暗くなったね。
こっからまだ1キロも歩かすんかぃ。
でも行きましたよ、帰らないと帰れないからね。(涙)
般若心経を唱えながら無心で下る。(嘘)
別天地
うっかり重装備(ほぼ水)にしてしまった重き荷を肩から開放し、汗泥な衣類を着替え、湯治に向かう準備をしよう。
群馬より栃木方面へ向かう。
途中、雨が降り出す。
しかも、視界が遮られるほどの集中的豪雨である。
未だ山中でのそのそとしていたら、がっつりと降られて更に泥まみれになった上に、鉄砲水的な土石流に巻き込まれて危うく遭難するところだったかもしれなかったと胸を撫で下ろす。
日光湯元温泉街に到着。
周囲は温泉地らしい硫黄臭が漂い、鼻腔へと押し入って来て止まない。
そして、居座ったままなかなか去らないのだ。
選んだのは和風な旅館ではなく、エントランスに暖炉が設置されているホテルの大浴場。
当ホテル、日光国立公園の敷地内にあるという。
露天風呂には小雨が舞う。
硫黄泉だけあって、乳白色の湯に湯の花が浮かぶ。股座(またぐら)より下に向かって脚部を丹念に揉み解してゆく、傍から見れば訝(いぶか)しむくらいに。
湯元より、湯ノ湖を眺め、戦場ヶ原を抜け、中禅寺湖から、いろは坂へ。
坂を下った先では、路面に湿り気はなく、雨の降った様子は微塵もない。
が、日光東照宮を過ぎた辺りから豪雨は追いついて来た。
周辺の「中華料理・寿司」と銘打った店に入る。
椅子席は満卓の為、奥にある小上がりに通される。
混雑の為、料理の仕上がりが遅くなるから「覚悟してくれ」と釘を刺される。
とりあえずとあてがわれたのは、胡瓜と大根の漬物だった。
さほど待った記憶もなく、続々と運ばれて来る品々。
◆餃子
・・・ 宇都宮の仇を日光で
◆雛鳥の唐揚げ
◆青梗菜の炒め
◆酢豚
◆酸辣湯麺
◆日光湯波らーめん
・・・日光湯波は京都湯葉と比べると字面から異なり、分厚く二重構造である
◆五目炒飯
どれも及第点にて、願わくば近所に慾しい一軒。
同じ小上がりには常連と思しき家族連れがおり、普通に寿司を注文している。
海無し県では中華料理店で鮮魚を食すのだ。(偏見)
日光I.Cより東北道に乗り込んで、緩々と自宅まで連れってってもらいます。
お疲れ様でした。
(了)
<記録>
※以下は撮影時のタイムスタンプに拠る時刻
08:20 菅沼登山口
10:05 弥陀ヶ池
11:35 奥白根山山頂
13:20 遭難小屋
13:40 五色沼
xx:xx 弥陀ヶ池
15:40 菅沼登山口
計:7時間20分
(0901工期満了)
たんじょうかいによばれました。
ほんとは25にちだったそうです。
おとなのじじょうにより、きょうになりました。
「しぶや」のでぱちかにて、ばーすでいけーきをかいもとめました。
ぱてぃしえにたのんで、おいわいのめっせーじをかいてもらおうとおもいます。
くちではつたえにくいので、めもをてわたします。
めもをうけとったぱてぃしえのくちもとが、ななめにゆがんだのをぼくはみのがしませんでした。
かおのへんかをきづかれまいと、そそくさとこうぼうへもどろうとするぱてぃしえをつかまえ、そのばにすわらせます。
「おまえにはしょくにんとしてのこころえがたりない、これしきのしじでひょうじょうにでるようならいますぐままにでんわしてひとしきりなきごとをきいてもらえ、そしていえにかえってにもつをまとめてくにへかえるんだな」
ぱてぃしえはかみなりにうたれたようにいちどはほうしんのていでしたが、そくざにこごとをりかいし、かいしんしたとみえ、ぱてぃしえぼうをずじょうからはずしてふかぶかこうべをたれ、こころからのしゃいのこうじょうをのべると、さいごにはぜひわたしにやらせてくださいとかがやくえがおでいいました。
まつことすうふん。
できあがりのしなにまんぞくしたぼくは、たんじょうかいのかいじょうをめざします。
けーきをきりわけようと、はこからだします。
・・・。
あ、しゃしんをとったのですが、でいすいとくらがりとてぶれがげんいんでもじがよめません。
これはげんばにいたひとにしかわからないじょうほうになりましたね。
だいじなのはおいわいのきもちですのでよしとしましょう。
ほんじつはおまねきいただきまして、ありがとうございました。
おそいじかんまでしつれいしました。
てくてくとあるいてかえりますよ。
(おわり)
ほんかくてきすみびやき、じかせいおでん、おおさかふうくしあげをうりにしているみせにきています。
さきにはいってこいちじかんがけいかしましたが、まだよていしたにんずうにたっしていません。
きんようびだからでしょうか、とにかくてんないはこんざつをきわめ、すたっふたちもてんてこまいです。
まずはと「おのみもの」をきかれます。
さいしょはびーるですね。
・・・。
なかなかきません。
さいそくついでに、しーざーさらだ、ぽてとふらいをたのみました。
のみものがきました。
ついでに、とりとぶたがもりあわさったすみびやきをたのみました。
すみびやきのもりあわせだけがさきにきました。
しお、からし、しちみとうがらしでいただきます。
そうこうするうちに、ぞくぞくとなかまたちがあらわれます。
なかまたちののみもののちゅうもんついでに、おおさかきゃべつやきをたのみました。
のみものがきました。
ようやくかんぱいです。
かんぱーい。わー。がしゃーん。ぱりーん。
くだけちったがらすへんをあつめにすたっふがあらわれます。
そのついでに、おなじものをたのみます。
おおさかきゃべつやきがきました。
・・・。
しーざーさらだ、ぽてとふらいはかんぜんにわすれさられているようです。
なかまのひとりがたちあがっていいました。
「のみものはおそいし、ぽてとはどうしてもたべたいし、ちゅうもんをうけておいてわすれたのはゆるさない」
しかたがないので、ちゅうもんをうけたとおもわれるすたっふ(♂)をよびだし、そのばにすわらせてのせっきょうです。
2じかんもまえにたのんででてこないしなについて、こんこんくどくどとせめてゆきます。
ときにはやさしく、ときにはきびしく、ときにはうえにくるしむこどもたちのさんじょうになぞらえて。
わずか5ふんのことばぜめにより、なみだとへんなえきたいでぐずぐずになったすたっふは、ほかのすたっふにだきおこされてたちあがり、すたっふるーむへともどってゆきました。
うまれかわったかれは、これからあたらしいみちをあゆむのでしょう、きっと、たぶん。
よわいたちばのにんげんをてっていてきにきゅうだんし、じんかくまではかいしたまんぞくかんでいっぱいのなかまたちはつぎのみせにいこうといいます。
そくとうでりょうしょうのむねをつたえました。
しましたが、つぎのみせのすたっふはなにかしくじりをやらかさなければいいなあ、とたにんごとのようにかんがえるのでした。
(おわり)
木造一軒家を改装したという味噌づくしな店にゆく。
比較的早い時間だったので座れるだろうと二階座敷を希望していたが、後から訪れる客の予約で満席という。
それではこちらへと一階のカウンター席へと案内される。
オープンキッチンな造りだけあってか、長やかなる黒やかなる炭火がごうごうと熾っており、とても目の前には座れないと奥を選ぶ。
まァ何処に座っても業火と煤煙に晒され燻されると知るのは後の話である。
格子戸の足下には蚊燻しが煙(けむ)を吐いている。
室温は外と同じであるが、炭火分だけ中の方が分が悪い。
まずは冷たいのをとビールを。
続けて、「獺祭(だっさい)」を。
◆突き出し(笹身と水菜の酢味噌和え)
・・・ 色合いが既に涼味
◆新鮮有機生野菜(キャベツ、ラディッシュ、ヤーコン=アンデス系根菜、梨に似た食感)
・・・ 下記のなめ味噌で食す
◆海老味噌
・・・ 粉砕された海老がなめ味噌に練り込まれている
◆鰺なめろう
・・・ 当然のように味噌でぐじぐじにされている
◆芋豚味噌漬け
・・・ 他の客の注文した品が鉄板で焼かれているのを目で嗅ぎ耳で見て鼻で聞いてしまい、哀れな芋豚を保護したくなった挙句に同じ目に遭わせたに過ぎない
◆銀だら西京焼き
・・・ 串二本差しにされ、遠火の強火で炙られてゆくのが見える
正に味噌まみれな品々に酒は進んで止まないのを危惧してか、河岸を替えるべく移動。
とはいえ、移った先の店では赤一色な品ばかりの唐辛子づくしと、どう転んでも何かに偏らざるを得ないのである。
(了)
通い慣れたはずの友人宅に向かうだけで即座に迷い、携帯電話から先方へ現在地を伝えようと発言する度に「何処まで行ってんだ!?」と毎度毎回突っ込まれるという、地図の読めない四十路手前の男、何となく場所を伝えただけで、携帯電話にも店にさえも架電せずに、初来店の沖縄料理店へとまっつぐにやって来る。
「奇跡は起きたよ」
・・・! (口も利けないほどの衝撃)
「あれ? 聞いてる?」
・・・いや、驚きました。よくないことが起ぴそうで怖いえす。
「云えてないよ」
それぐらいのダメージを受けているのです。
「またぁ」
・・・この店大丈夫ですかね? 表に出たら何か落ちて来ないですかね。看板とかじゃなくて、メテオ級の。
「そうそう、奇跡続きで思い出したけど」
他にもあるんですか!? 死にますよ、本気で。
「コンビニでアイスでも買おうと思ってさ、ソーダ味を探したら、ラスいちのガリガリ君があってね」
まァそこはラッキィぐらいにしときましょうか。
「それが食べ終わって棒を見ると・・・当たりだったんだよ」
・・・この店でナマモノとか喰わない方がいいですよ、あたあた、あたりますから。
「何だろう、何かが確実に起きてるな、俺に」
もうまともに顔さえ見られませんよ、別人だったらどうしようかと思って。(涙)
「やっぱあれかな、嫁と別居してからかな。うるさいのが二匹いないからよく眠れて、体調もいいし」
・・・。
一週間前、実家に泣きついた嫁を同情した母親が車で迎えに来た際、嫁を乗せて走り去る車を見送った後ではたと気付き、急いで自宅に取って返し、信号待ちしている車まで走って追い付いて、ついでにこれもと嫁専用の愛犬チワワを開いた窓から押し込んだという。
それは当分帰って来るなという無言のメッセージに相違ない。
シングルライフを満喫している間に渦中に放り込まれるが如く、家裁からの呼び出しを恐れているという。
(了)
大人は走らない、いやむしろ走るという行為自体を法的に規制すべきだというのが持論である。
例えば、ひとりの警官が全力疾走しているとすると、それは尋常ならざる事態であり、実際に警官の向かう先がトイレの個室だろうが、人々は凶悪犯を追跡中だったり凄惨な現場だったりと想像し、個々のイマジネーションの力によっては、軽度の野次馬根性が沸いてみたり、動けなくなるほどの恐怖心が芽生えたりするものだ。
あるいは、スーツを着込んだ会社員然とした中年男性が街中を真顔で走り続けている、それだけで事件性を帯びてくるから容認できない。
また、皇居周辺を走るジョガーも例外ではない。
彼らの身元を誰が保証するのだろうか。
確かに桜田門は目の前だが、それが何の気休めになるのだろうか。
ジョガーとはそもそも「ふらふらする人」の意味でしかない。
そういう危険な存在を放置している行政に憤りすら覚える。
急いでいるとは言い訳にはならない。
リアルに急いでいる大人とは第三者の視点からは、「パニクった人」でしかない。
それは果たして日常だろうか。
穏やかな日々だろうか。
大人は失態を解決、事態を収拾する方法を「急ぐ」以外で知っているものだ。
身内の容態が悪化しているから何をともあれ駆け付けたいという動機以外は断固として罰してゆきたい。
(いや、それさえも許容ならざる案件と考えている)
改札より山手線のホームに入ると、電車は扉を閉じた状態で停車している、午前7時半。
嗚呼人身事故かしら車内点検かしらお客様の線路立ち入りかしら何時から止まっているのかしら何時に発車するのかしら時間に間に合うのかしら等々と悶々としていたら、駅員によるアナウンスが流れ始めたので、まずは状況を把握しようと立ち止まって聴く。
「・・・JRからお客様へのお願いです。駆け込み乗車は大変危険ですのでおやめください。お客様ご自身がドアに身体が挟まれお怪我をされたり、また、他のお客様のご迷惑となります。・・・ご覧の通り、たったひとりの身勝手な振る舞いの為に、大勢のお客様が多大な迷惑を被りますので、絶対に、絶対に、駆け込み乗車はおやめください。たったひとりの為に電車の運行が止まってしまい、大勢の方が犠牲になりますので、駆け込み乗車はおやめください。・・・間もなく発車致します」
ほぼほぼ名指しで怒られてるに等しいたったひとりの乗客にはひとッ欠片の同情なんざ皆無だが、特定車両内で無言の糾弾をそのたったひとりの乗客に向けつつも、その車両に座る無関係な各位ですらただそこに居るだけで責任が連帯しているみたいで何だか居たたまれない。
長くなった、結論を云おう。
何度も云う。
大人は走っちゃァいけねぇ。
(了)
後になって気付いたのだが、母校である中学校の「今月の予定」が7月止まりなのは当然至極であって、8月は末まで夏休みじゃん、とひとり突っ込みを入れたのはつい先日のことである。
だったら「7月の予定」って書けよ! とひとり喚いたところで、関係各位の誰も振り返りはしないのだ。
というわけで続きである。
母校である小学校の公式サイトを眺めている。
無論、母校でない小学校は閲覧しない。
絵的に厭だから。
・・・特に何もない。
突っ込まれ慣れての結果として防護策が取られているのか、小器用な小役人的管理者が小運用しているのか、予定表すら「7月の予定」という表記である。
・・・面白くも何ともない。
こうなったら、揚げ足を取らざるを得ない。
7/24(土)PTA遊休品販売
「遊休品」だぁ?
小生が学童の頃は「廃品」と呼んでいたはずだ。
おそらくこの「廃」がいけないのだろう。
ある意味、言葉狩りである。
いつから学校法人はそういう企業向けな言葉を使用するに至ったのだろうか。
長年に渡って打たれ続けた結果の防衛体制なのだろうか。
大人って哀しい。
7/25(日)おやじの会
これはもちろん父兄の会合ですよね?
老け顔の六年生とか集めたりしませんよね?
大友克洋の代表作、"AKIRA"の登場人物を思い出したりして、妄想で少し寒くなる。
何となく釈然としないままに校歌斉唱。
何の縁か、作曲は團伊玖磨先生である。
天は朗らに立つ山の
その秀かずかずそびゆるも
肩を重ねて連なれる
岳集りて高きなり
やはり連峰「立山」はどの校歌にも盛り込まれる。
そして、メロディは覚えていた!
さっすがは團先生。
ここの卒業生だと胸を張って云おう。(誰に?)
(續く)
ペルーな煮込み料理があるという。
その名もアヒ・デ・ガジーナ。
ただし、今回は本来のレシピを簡略化し、調理工程も使用食材も変更。
「アヒ・デ・ガジーナ風鶏肉の煮込み」である。
以下はその対比。
<アヒ・デ・ガジーナ "Aji de Gallina">
◆鶏もも肉
◆米
■玉葱
◆人参
◆じゃが芋
◆赤ピーマン
◆グリーンピース
■にんにく
■パルメザンチーズ
◆牛乳に浸した食パン、クラッカー
◆アヒ・アマリージョ(黄色唐辛子=イエローホットペッパー)
◆胡桃
◆クミン
◆オレガノ
<アヒ・デ・ガジーナ風鶏肉の煮込み>
◆鶏むね肉
■玉葱
■にんにく
■パルメザンチーズ
■牛乳
◆サルサ・ロハ "Salsa roja"(赤いラテン系調味料)
(トマト、玉葱、トマトピューレ、ブラックビーン、とうもろこし、ハラペーニョ、ファイアローストトマト、砂糖、蒸留酢、塩、乾燥にんにく、コリアンダー、チポレ=燻製唐辛子)
レシピは割愛させてもらおう。
これだけ食材が異なるとなると、本家との対比が難しいから。
完成品、本来はイエローホットペッパー色になるのだが、サルサ使用の為に赤一色である。
正にサルサ頼みの一品。
米の代用として、バタールやチャパティを浸していただく。
オリジナルの品はその食材から食事に他ならないが、後者は完璧にアテである。
少量でも酒はずんずくと進むのだ。
アヒとは唐辛子と理解しているのだが、はてガジーナとは何だろう。
後で知ることになるのだが、ガジーナとは中国語で「老母鶏」と書き、読んで字の如く「加齢により産卵が困難になった雌鳥」を指すという。
なるほど、ペルー流「冷蔵庫の中身をやっつける一品」だったかとはたと膝を打つ。
ラテンにおける残り物とは、鶏舎の隅でうずくまる老鶏も含むのだ。
(了)
追記:
<ほぼほぼなすづくし>
◆米茄子のピューレ“ババガヌーシュ” Baba Ganoush (Eggplant Paste)
◆丸茄子とモッツァレラ フルーツトマトのミルフィーユ ガルム風味 Eggplant and Mozzarella Mille-Feuille with Garum Flavoured Tomatoes
◆網焼き(骨付きラム肉、エリンギ、椎茸、平岡さんちの茄子=京都産)
えェ、お暑ぅござんす。
お天道様が南天に差し掛かるてぇのに、炎天下の中のこのこと出掛けまして、入った室の内外の温度差にやられる午后一時で御座ィます。
隼町にあります国立劇場の敷地内を抜けまして、楽屋口付近をうろうろーしてます携帯電話を持った浴衣姿の演者なんだか裏方なんだか分からねぇ兄さんらを横目に眺めながら、会場を目指します。
『第375回 花形演芸会』@国立演芸場
私事で恐縮ですがねぇ、あたしゃァ都内に五軒あるてぇ定席を、ここ国立演芸場を最後にしまして漸く全軒入場と相成りました。
だからどうしたなんてぇ云われたらそれまでの噺でござんすが。
柳亭市也◆牛褒め
「穴が隠れて屁の用心」
鈴々舎わか馬◆千早振る
タイムマシーン3号◆漫才
<見合い>
「お前の家にあるいちばん高い服着て来いよ」
「えー? スキーウェア?」
「それ着て来れるのか?」
「凄いぞ、俺のスキーウェア、熱を汗に変えるんだぞ! ???」
「? お前、間違えたな! 熱を、汗に、変えるんだろって・・・、俺も分かんなくなった」
「(泣きじゃくりながら)・・・こういうのがちゃんと演れるくらいなら、普通に仕事してるもん!」
「君と出会った年にできたワインだよ」
「ていうか初対面だし、さっきまで葡萄じゃねぇかよ!」
<妊娠>
「見て、こんなに大きくなったわ」
「おー、これで何ヶ月目ぐらい?」
「んー、一ヶ月」
「ただのデブだ!」
「見て見て見て、こんなに大きくなったわ」
「これでどれぐらい?」
「四年かしら」
「早くひり出せって! どんだけ溜めてんだ!」
「あ、この子、お腹蹴ってるわ」と自らの腹部を殴る。
「何やってんだ!」
「これDVよ、DV! 産まれる前から家庭内暴力だわ!」
ポカスカジャン◆ボーイズ
「前回の公演では持ちネタの中から五十音順で演ったので、続きを演ります。サ行から」
(さ)二代目林家三平、「NAI・NAI 16」
(し)清水健太郎、「ひょっこりひょうたん島」
「新ネタです。6回の逮捕の内訳はですね、マリファナ2回でしょ、シャブが3回、で、轢き逃げが1回。でもまだ芸能人」
(す)『笑点・バイ・ミー』 (Stand By Me)
「あれ? 歌丸師匠じゃないの?」
「いや、あれはできない。圓楽だけ」
「圓楽もそんなにできてねぇけどな」
(せ)『瀬戸の花嫁(十二支バージョン)』
「♪瀬戸は♪」「え? 俺、亥(いのしし)」「俺、申(さる)」
「ていうか、ここは『♪干支は♪』だろ?」
「間違えちゃった、さっきのタイムマシーン3号の『スキーウェア』から負の連鎖が・・・」
「お前プロだろ!? とりあえずそのピンクの靴下脱げ、罰として、気になるから」
(そ)前川清、「長崎は今日も雨だった」、「アンパンマン絵描き歌」
「実は天童よしみ」
何故これが「そ」なのかは失念。
(た)立川談志、タンゴ
「菅直人、駄目だね、鐘ひとつだね、カン」
(ち)『ボサノヴァ俺ら東京さ行ぐだ』
何故これが「ち」なのかは失念。
(つ)『津軽ボサ』 (イパネマの娘)
「じゃァタマちゃん、苦手な標準語で内容を説明して」
「はい。えー、これは爺っちゃが息子の嫁のxxxをxxxxして、(略)」
「ほーら、会場どん引きだ」
「うちの家族の出来事を歌にしました」
「タマちゃん、これで青森の観光大使ですよ。絶対に人選が間違ってる」
(て)武田鉄矢、「母に捧げるバラード」
「(ビニール袋の中のゴミを分別しながら)これは、鉄や」
柳亭市馬◆皿屋敷
『ああそれなのに』
『憧れのハワイ航路』
『千の風になって』
お仲入りで御座ィます。
春風亭一之輔◆麻のれん
「前半は歌謡ショーでしたね」
「江戸の直しは大坂じゃァ柳蔭てんですね。いやァなァに、近所の植木屋から聞いたンでァ」
こりゃァ『青菜』でのくだりですな。
鏡味正二郎◆太神楽
三遊亭王楽◆子は鎹
「こんな若造にトリを取らせていただけるなんて光栄です」
「一之輔(二ツ目)君とは同期なんですよ」
「市馬師匠より十席ほど稽古付けてもらってます」
「市馬師匠は第二の師匠だと思っております」
「父親の(三遊亭)好楽は八番目の師匠ですかね」
人情噺『子別れ・下』なんてんで、王楽師匠にゃァ申し訳ねぇンですがねぇ、幾度か舟ェ漕いぢまいましたぃ。
本日の演題
まだ陽も高ぇんですがねぇ、銀座が近ぇてんで、三宅坂より中央通りィ抜けまして、五丁目にある西班牙料理店での「せるべっさ」や「ぱえじゃ」なんぞ目指しましてだらだらっと歩きまさァね。
(了)
(0824工期満了)
通勤時に利用する最寄り駅には、改札がひとつしかない。
各駅停車しか止まらない名もなき私鉄の駅ではあるが、出入口は無駄に三箇所もある。
(上りのみのエスカレータを含むと四箇所)
当然、全ての出入口、上下線のプラットホームより改札に向けて利用客は殺到するのだが、朝の混み合う時間帯でさえも圧し合うほどの客数もなく、毎朝穏やかな一日が始まっては過ぎてゆくのだ。
改札の脇で靴紐を結ぶような仕草で屈み込んでいる女子が見える。
傍らで立ち尽くす、もうひとりの女子は連れだろうか。
屈む女子には視線もくれず、ただ佇んで遠くを見ている。
自動改札より中に入る過程で目にした風景、それは屈んだ女子の手の先には靴紐なんぞ何処にもなく、地下足袋を履き直している姿に相違なかった。
鳶? 土方?
ガテン系女子の通勤風景かとも思ったが、地下足袋以外は地味めではあるが普通なのだ。
連れと思しき女子も同様に地味で普通だ。
そう、彼女の履物だけが異彩を放っている。
あの遠い目をしていた女子は、彼女の履物に違和感を覚え、他人の振りをしていたのだろうか。
あんた間違ってるよ何か履き違えてるよあたしゃ同じ女子として恥ずかしいよという無言の突っ込みだったろうか。
通り過ぎるだけの改札前で目撃しただけの出来事、今となっては何も分からない。
後で聞けば、巷間ではおしゃれ地下足袋というカテゴリーも存在するようだが、あの子の履いていたそれは確実に現場にてリアルに薄汚れた汚泥と塗料のコラボレーションだったと記しておきたい。
(了)
ノスタルジィか夏の暑さの所為か何を思ったかは分からないが、母校である中学校の公式サイトを眺めている。
「今月の予定」という最新コンテンツが未だ7月表記であることも然ることながら、その表題に何となくおかしみを覚え抜粋、転記してみる。
7/8(木):性の指導(2年)
・・・もう少し他に表現があるのではなかろうか、と父兄の気持ちを代弁してみる。
二年生男子だけが集められた狭い保健室では、峰不二子ばりに白衣の前がはだけ(略)
7/9(金):禁煙教室(1年)
・・・何だろう、この胸騒ぎは。
一年生に対して「喫煙における害悪」を説くとかそういう内容とは思うのだが、この「もう止めたら?」的なニュアンスは何だ。
7/10(土):海岸清掃、県選手権大会(陸上)
これ、「大会」に出場するのが陸上部だとは思うのだが、何かこう罰ゲーム的に海へ向けて部員が強制労働に駆り出される絵面でもある。
7/13(火):演劇鑑賞「ドン・キホーテ」
・・・総合ディスカウントストア創業者による男一代記と思いきや、スペイン人作家セルバンテスの方だった。(そりゃそうだ)
最後に校歌斉唱。
立山の峯 遠く望み
自由香れる 学園に
真理を探り 若人が
撓まず倦まぬ 学舎ぞ
・・・メロディがさっぱり思い出せない。
確かに卒業したはずなのだけれど。
小学校と高校のサイトも見てみようっと。
(續く)
遠雷の光陰を肴に三味の音ェ聴きながら手酌で杯一飲っておりますてぇと、時折り縁側よりつーっと流れる微風に煽られ、(無粋な銅器でできた釣鐘型風鈴でござんすが)ちりりーんと鳴りまして、残暑続きながらに涼しげな心持ちがしねぇでもないですなァ。
やがて音は三階節に替わりまして、そのぴしゃりとはまった詞に膝を打ちつつ、思わず呻ってみたりもするンでござんす。
♪米山さんから雲が出た 今に夕立が来るやら ぴっからしゃんからどんからりんと音がする♪
この唄ァ中越は柏崎の民謡でげしてねぇ、「米山甚句」、「柏崎おけさ」と並び三分すると聞き及んでおりまさァね。
この米山(よねやま)、低い標高ながらにも旧くから北陸道のらんどまーくとなっておりまして、美しい四角錘のその偉容は日本海に裾野を洗わせ、「越後富士」の異名で呼ばれておりますな。
亡くなった八代目の三笑亭可楽師匠が吝い屋噺、「味噌蔵」ン中で奉公人の泥酔演技で吟じておるのが印象的でしたぃ。
♪よねやまァさんからァくもォがでぇたァとくらァ ぇいんやんやんえんややえんよぉんらいえんるるぅ♪ ・・・へぶしっ(くしゃみ)
なんて、後半の聞き取りがほぼ不可能なくれぇに愚図愚図なんですなァ。
稲妻とほろ酔い、奇跡のまりあーじゅなんてんで、今宵はこの辺でお暇をいただきます。
(涼)
"Let us alone" (ふたりだけにして)
このいんびなせんてんす、「れっと・あす・あろーん」をりえぞんしますと、はつおんじょうは「れたす・あろーん」、さらにねいてぃぶにゆくと「れたさろん」となりまして、いみあいがかわってきますね。
この「あろーん」が「だけ」「ばっかり」「のみ」、つまりは「れたす・おんりー」となりまして、「れたすのみをつかったさらだ」をいみするわけです。
てんじて「はにーむーん・さらだ」となり、ぼうとうでのべた「ふたりだけにして」のしちゅえーしょんがかんせいします。
・・・だじゃれもここまでくると、もう、しねってかんじですね。
というわけで、きょうは「れたす」をつかったりょうりのしょうかいです。
ほんとは「みずな」をつかおうとおもったのですが、「きょうと」さんのそれはべらぼうにたかく、だいようひんとしてかいもとめたのが、「こうぎ(広義)」におけるれたす、しょうひんめいは「さらだな」です。
1.
ずんどうのなべにみずをみたし、つよびにかけます。
2.
ふっとうした「ゆ」に、ほそめのぱすた「ふぇでりーに」(1.4~1.5みり)をてきりょうぶちこみまして、「おりーぶおいる」、「しお」をてきりょうとうにゅうします。
3.
ふくろにひょうきされたゆでじかんは6ふんですが、「あるでんて」げんりしゅぎをつらぬきとおし、5ふんでしあげます。
4.
5ふんのあいだに、いかのこうていをたどります。
(い)
「あおゆず」の「かひ」をうすくむき、みじんぎります。
(かじゅうをふくんだ「み」はあとでしようするので、「ゆか」いがいのばしょにほぞんしておいてください)
(ろ)
「たね」をのぞいた「あおとうがらし」もどうようにみじんぎります。
(は)
「あおもり」さんの「にんにく」のかわをむき、てきりょうをみじんぎります。
(に)
(い、ろ、は)でみじんぎったざいりょうを「あたりばち(すりばち)」にいれ、「あたりぼう(すりこぎ)」で「あまがみ」かんかくで「あますりつぶし」ます。
(ほ)
「しお」をくわえ、「ゆずかじゅう」をおもむくままに、てきりょうしぼりいれます。
(へ)
「れいあんしょ」へほぞんしたいのですが、すぐにたべたいので、しようするぶんをてきりょうのこし、あまりをびんづめにして、くらくつめたいばしょへほかんします。
(※5ふんいないにはぶつりてきにふかのうなので、だいようひんのしようをきょかします)
5.
4でこしらえた「ゆずとうがらしにんにくのぺーすと」をさらにおりーぶおいるにとかし、よくまぜあわせます。
6.
ゆであがった、あるでんてなふぇでりーにをゆぎりし、おおきめのさらにあけます。
5のぺーすととよくまぜあわせます。
7.
おもいだしたかのように、「さらだな」をてでちぎってついかします。
(さらがちいさいと、ゆかにおちますので、ここのはんだんで「さるべーじ」ねがいます)
8.
いただきます!
ざつなこうていのわりには、なかなかよろしいかんじです。
5ふんでかんせいするのも、みりょくのひとつですね。
9.
ごちそうさまです!
しようしたちょうりきぐ、しょっき、ちょうみりょうなどをすべてまどからなげすてて、でかけるじゅんびをします。
10.
♪れっと・み~・あろ~ん♪(はなうた)
(おわり)
『春風亭一之輔ひとり会 「下北のすけえん〜蒼い夏、紅い夏〜」』
@下北沢シアター711
明日の「紅い夏」はてぇと、スケ(助演)が柳亭左龍師匠でして、そのパパイヤ鈴木似(自称)の体型だけに、正に「紅い夏」なんでしょうなァ。
本日ァ「蒼い夏」なんてんで、スケは、痩せぎすな古今亭菊之丞師匠でござんす。
春風亭一之輔◆口上
高座では見られない、眼鏡に普段着なんてぇらふな姿でのご挨拶で御座ィます。
「前座は春風亭小朝師匠のお弟子さんで、ぽっぽです」
「P.O.P.P.O、ぽっぽです。そんな何度も云わなくてもいいんですけど」
「皆さん、何で明日じゃなくて今日なんですかね。ぽっぽ目当てかッ!?」
春風亭ぽっぽ◆芋俵
後で知ったンですが、弟子入り前に"AKB48"のおーでぃしょんに応募したンですがねぇ、落選したそうですな。(小朝発言)
「P.O.P.P.O、ぽっぽです」
「気の早いお芋だー」
春風亭一之輔◆あくび指南
「凄いですね、ここスズナリ、隣は渡辺えり(旧:えり子)さんの一人芝居ですよ」
「こうやってね、肩を並べるっていうか、軒を並べてるだけなんですけどね」
「ワールドカップ、観てましたよ、うちの子どももサッカー好きなんで」
「デンマーク戦の後の渋谷凄かったですね、タクシーのボンネットにがんがん乗ってて」
「あれ、運転手怖いでしょうね、青い狂人に囲まれちゃって」
「テレビ観てましたら、あの、ワールドカップでPK外した人、駒野選手でしたっけ?」
「この人、AC公共広告機構のCMに出てるンですね」
「『いじめ、カッコ悪い』みたいな。ってそのまま過ぎるだろ」
「うちの子どもが恐竜好きなんですよ」
「NHKで恐竜の番組がありまして」
「うちの子、番組が始まる30分前からテレビの前でスタンバッてて」
「まだ『趣味悠々』だよって云ってンのに、ずっと始まるまで張り付いてましてね」
「まァ番組内で恐竜が滅んだ時の再現映像を流すんですね」
「隕石が、こうね、ゴーッって来て、ばーんてぶつかって、津波がうわーって、恐竜がわーって滅んじゃう」
「で、次に出てくるのが、哺乳類てんですよ。こんなネズミみたいな」
「番組が終わって、子どもを見ると息切らしてたりして」
「どうしたの? って聞くと、『ぼく、わかったよ』って」
「何が? 『ぼく、おとうさんとおかあさんの子じゃない』って」
「えー? それはお母さんじゃないと分かんないなァ」
「じゃあ何の子? って聞いたら、『ほにゅうるい!』って、馬鹿ですね」
「二ツ目は暇なんですよ、この時期」
「何処の寄席とは云いませんが、昼も夜も真打ばっかりで、二ツ目要らないンですね」
「二ツ目枠がないンですよ」
「こう、がーって、コピーとか取ったり、子どもの送迎したり、仕事してる振りはしてましたね」
「先月、前橋で若手落語家選手権ってのがあったんですよ、こっそりと」
「東京かわら版にも出てなかったンじゃないかな」
(客席より『出てたよ』と)
「あ、出てましたか」
「四派からそれぞれ二ツ目が出たンですね」
「立川流からはらく次さん、圓楽党からは好の助さん、芸協からは小蝠あにさんが出てまして」
「前橋テルサって1000人くらいの会場に、300人しか入りませんで、こっそりとやってるから」
「お客さんに投票してもらうんですね」
「ひとり2票持ってまして」
「縁もゆかりもない前橋ですから、組織票がねぇ」
「ま、あたしが優勝したんですけど」
(拍手)
「で、小蝠あにさん、高崎出身なんですよ」
「あにさん、地元じゃないですかって云ったら、『親戚30人呼んだ』とか云うんですよ」
「で、その親戚が楽屋に祝儀袋を次から次へと届けに来まして」
「あたしがもらった賞金よりも、小蝠あにさんの祝儀の方が多いンですよ」
<本編>
「俺が虫だったら、あの髱(たぼ)に棲みてぇ」
古今亭菊之丞◆天狗裁き
「あたくし、二十年以上前の話なんですが、浜田山に住んでおりまして」
「親父に連れられて、下北沢までよく遊(あす)びに来たもんです」
「もうすっかり様子は変わってますが、懐かしいですね」
「まァあたしは(春風亭)一朝一門は好きですね、あたしを呼んでくれるから」
「(春風亭)柳朝さんも呑気な人でねぇ、あたしは楽なんですよ」
「一之輔さんも柳朝さんも、いいですね、一朝一門はね、他は知りませんが」
「まァ一之輔さんも茶目っ気のある方で、この間はSM嬢に後ろ手に縛られちゃったりなんかしましてねぇ」
(楽屋より『勘弁してください!』との声が)
「もう云いませんよー、これ以上のことは」
「昼は上野鈴本演芸場に出ておりまして、・・・ここは二ツ目の要らない寄席なんですが」
「まァこの間の話ですが、鈴本の楽屋に(柳家)さん喬師匠と、(柳家)権太楼師匠がおりまして」
「ひっとことも口利かないンですね、物凄いぴりぴりしてるンですよ」
「あたしと(橘家)文左衛門さんが居たンですが、あの文左衛門さんさえも全ッ然喋らなくて」
「どうやらこの日、さん喬師匠は普段はあまり演らない、『明烏(あけがらす)』を高座に掛けることになっておりまして」
「ずーっとヘッドフォンしながら、ご自分の演じた時の録音を聴いてらっしゃいまして、稽古してるンですね」
「で、こう、先代の(桂)文楽師匠で有名な甘納豆を食べるシーンがありまして」
「稽古しているさん喬師匠もその仕草に入ってましてね、あ、もうクライマックスだなって、その時にですね」
「『前座ァ! 甘納豆買って来て! 松坂屋で!』って前座を呼んで、お足(金)を渡すンですよ」
「で、前座が飛び出してって、甘納豆を買って帰って来たンですがねぇ、これが『花園万頭』のぬれ甘納豆なんですよ」
「さん喬師匠、『これじゃないッ!』って袋びりーって破いて、口ン中に幾つか放り込んで、そのまま高座に上がっちゃいました」
「で、その後、権太楼師匠が『これ、行かない?』って飲みに誘われましてね」
「文左衛門さんと近くの飲み屋に行ったら、権太楼師匠が開口一番、(声色で)『見たァ? あれぇ』って云うンですね」
「まァその場に居て見てましたから、頷いたンですが、権太楼師匠、『あんなんで上手くなるわけないよなァ(笑)』って、まァふたりの仲は知れるってもんですよねぇ」
お仲入りで御座ィます。
春風亭一之輔◆青菜
「明日もお待ちしておりますよ」
「明日のゲストの左龍さん、楽屋じゃァ『小馬風』って呼んでますけど、いかついんで、顔が」
「明日の前座はねぇ、(春風亭)朝呂久なんですよ」
「楽屋が狭くてねぇ、ぽっぽぐらいが丁度いいンですよ」
「朝呂久が来ると、ただでさえ狭いのにもっと狭くなる」
「ごつくて、でかくてねぇ」
「ぽっぽ、明日も空いてないかなァ」
後で知ったンですがねぇ、朝呂久あにさんは、目方は三桁を超えておりまして、かつてはだんぷかーの長距離運転手だったらしいンですな。
<本編>
「(大田南畝)蜀山人の作に涼しさを詠み込んだ狂歌が御座ィまして」
「庭に水 新し畳 伊予簾 透綾縮に 色白の髱」
(にわにみず あたらしだたみ いよすだれ すきやちぢみに いろじろのたぼ)
「逆に暑さを詠み込んだ句も御座ィます」
「西日射す 九尺二間に 太っちょの 背なで児が泣く 飯が焦げ付く」
(にしびさす くしゃくにけんに ふとっちょの せなでこがなく ままがこげつく)
「田鼈(たがめ)にそう云っとけ、拭き掃除しろって。埃だらけじゃァねぇか、俺の着物が汚れちまわァ」
真夏の暑ッ苦しい一席を終えまして、終演で御座ィます。
串打ちした鶏でも絞めようかなんてぇ勢いで、高架の線路向こうを目指しますなァ。
(了)
あついひがつづきます。
ながれるあせでいるいがおもくなります。
いちまいずつぬぎすてたところで、はだかよりひふはぬげません。
すずしさがほしくなりました。
「りょう」をもとめてがいしゅつします。
「みんとおいる」をてにいれました!
これにおしぼりをひたし、せんようのようきでひやすのです。
「じゃんそう」でいうところのいわゆる「つめしぼ」です。
かおをふき、くびすじにあてがうだけで、ああ、もう「しょうてん」しそうです。
「みんとしゃんぷー」をてにいれました!
いぜんはんばいしていたしょうひんはもっていたのですが、こんかいりりーすされたこれは「みんとぐあい」がまるでちがいます。
とうひにしみいるみんとのぶんしこうぞうさえちいさくなったかのようです。
ひえひえの「なのましん」かとおもいました。
「おーらんど・ぶるーむ」もどきをてにいれました!
すでになにをいっているかわからないじょうたいです。
しょせんはもどきですが、ざっぱーんばりばりひえーい、です。
この「さくらん」てんしょんでいえにかえります。
ふたたび、しゃくねつじごくへとまいもどりましたが、きぶんははればれとしています。
やっぱり「みんとせいぶん」は「かじょう」なくらいがよいなあとおもいました。
(おわり)
・・・。
健康診断の結果が郵送で届く。
ついにこの時がやって来たのかと震える手で開封。
赤字の太字にて恐喝する内容の文章が続き、「禁酒」という文字さえ涙で見えない。
・・・消化器科ドクター宛の紹介状が同封されてるし。(涙)
・・・何か湿っぽい話になりつつあるので、心機一転しようと外出!
日本人以外、盆休みなんざ関係なかろうと思い、向かった先の台湾料理店が鉄柵で門扉を閉ざして普通に休み。
台湾人め、と一度は下った坂を引き返し、韓国人の居る店に向かうも、営業中であれば路上に邪魔過ぎるほどに存在感のあった電光看板が不在である。
韓国人め、と一応の確認の為に路地を曲がって店頭まで出向いてみると、果たせるかな営業中であった。
外気とは二十度ほどの温度差があろうかと思しき低温度な室内。
辛い品を喰らうにはあつらえ向きとばかりに、石鍋に満たされた赤いスープを頼む。
簾越し隣席の男が向かい合う女子に、「テレビ出演した時の話」を延々と続けている。
聞き耳を立てた覚えもないので詳細は不明だが、何か不満げな口調だったと思う。
さて、純豆腐チゲも汁まで飲み干し、センメクチュ(生ビール)の泡が消える頃には、饅頭(マンドゥ=餃子)も粗方やっつけて、〆の冷麺に着手していた気がする。
・・・そういえば、中性脂肪が常人の四倍値だった気もするが、それはそれで。(涙)
どう転んでも湿っぽい話にしかならないので、今宵はこの辺で。(涙)
(了)
日が暮れてもなお暑い中、ヤスケ(鮨)でもつまもうと、猫があふれる路地裏へ足を向ける。
暖簾をくぐった先の店内は、スタートラインとしての週末的混雑を見せ始めている。
白木のカウンターに座ると同時に下駄にガリが盛られ、板長の厳しい視線は受注待ちである。
まずは鰺、〆鯖(しめさば)、鰯を。
って光り物ばっかりだ。
総称通り、脂あぶらしてる。
続けて、宮城は石巻(いしのまき)ブランドという「金華鯖」を、握りで。
これもやはり青魚。
中り経験者にとっては、〆てない鯖の生食には勇気が必要だろうか。
(中り経験が皆無だから普通に喰う)
かつて江東区にある回転寿司店を訪れたところ、周回する商品の名を示す小さな旗の表記が、日本近海の魚の名ではなく、南米等現地での実名だった為に、さっぱり食指に直結せず、辟易にも辟易した挙句、烏賊のみの摂取となった過去を思い出した。
上記の理由により、ティラピア(マダイの代用魚)やアカマンボウ(マグロの代用魚)の刺身が上に載るシャリには手が出ず、口頭にて板場に向けて発せられる品々はモンゴウ、ヤリ、アオリという共通項は艶やかな白である。
同じ回転寿司店に同行した知人は、同理由かは不明だが、貝類のみを食していた。
こういう特異な状況下では、普通に魚の握りを食する行為がマイノリティーと化すから、やはり民主主義は暴力なのだと再認識する。
閑話休題(それはさておき)。
思い出しついでに、烏賊を頼む、塩焼きで。
あと、トリ貝も、握りで。
下駄上のガリさえやっつけまして、解毒的に米麹な酒祭へと第二ステージ突入です。
(了)
時折吹き抜ける風は思いの外強く、自らの意思とは無関係に身体が左右に振られている。
台風は関東を目指していないというが、今にも泣き出しそうな鉛色の空に、傘が破壊されるほどの強風とは外出を控えるには格好の天候だ。
都営線を二本、私鉄線を一本乗り継いで移動する。
手にした傘が煩わしく、道行く誰かにティッシュ配りの要領で手渡したい衝動でいっぱいだ。
18時、目的の店に到着。
北京屋台料理を謳うという。
扉を開け案内されたのは、何故か六人掛けの席。
さほど広くない店内に卓は六つあり、この時刻で半分は埋まっている様子。
まずは啤酒(ビール)をと生を頼む。
続けて水餃子を。
醤油、辣油、酢を小皿に満たして食す。
無難に青椒牛肉絲を。
壁に貼り出された品書きに「婆どうふ」という文字が見えるが、写真はどうみても麻婆豆腐以外の何物でもない。
その真実たるや何ということもない、「麻」の文字が「招福」の札に隠れていただけだ。
で、その婆どうふを頼む。
替わりに、女児紅(紹興酒)を。
店主は甕を卓上に置くと、前掛けからソムリエナイフを取り出し、ナイフでコーティング部分を剥ぎ、コルクを抜く。
琥珀よりも色濃い液体だが、意外と喉に優しい。
〆は酸辣湯(スーラータン)。
黒胡椒が余す所なく散りばめられ、鶏肉、豆腐、椎茸、木耳、筍、長葱等の具材ががっつりと入っていて、でろでろしたスープ成分における、さらっとした液体部門が希薄であり、さっぱりと〆る予定がなかなか〆にならない。
続々と訪れる客が何処に案内されるのかと眺めていると、店主の導きで地下にすいこまれていく。
入口より入って来たひとりの中年男性が店主に話し掛けている。
男は短い金髪でよく陽に灼けており、派手なシャツに半パン姿で、おっさんが若造気取りかよと思いつつちら見すると、竹中直人氏だった。
あの低い美声で店主に「忘れ物しちゃってさ」と遺失した荷を捜している様子。
店主より「探したけどなかったよ」と返され、残念そうに申し訳なさそうに照れながら去ってゆく竹中氏。
程なくして、紙袋を抱えた竹中氏が再度入店し、満面の笑みで「見つかりました、これこれ」と我が手に戻った荷物を店主に報告している。
別れ際にはがっちりと握手を交わし、やはり照れ笑いで出て行った。
後で知るのだが、当店、竹中氏が長年贔屓している店という。
それでいて、何がどうというほど特筆すべき点はないのだ。
店主女将が気さく、料理が庶民的、"@home"的な雰囲気といえば使い古された常套句だろうが、まあ近所にあれば通うかも知れないな、という曖昧な感想を着地点として。
(了)
渋谷駅前の犬、実は帰らぬ主人を待ち続けた忠犬ではなく、当時駅前にあった焼き鳥屋台で立ち喰う客らの施す肉が目当てだったという、アンチ忠犬説は意外と巷間に伝わっており、実際にハチを問わず犬は焼き鳥好きとして知られ、更にハチ亡き後の解剖時には胃の内容物を「焼き鳥串数本」と発表されたことにも起因して、動物がらみの美談には嫌悪の表情を隠さないヒューマニストらは餌に群がる四つ足としての在り方を自然であり野性であると説き、プロフィールを構築し人格を与えたがる愛護家を軽視するのだ。
というわけで、今日は焼き鳥を喰らおうと思う。(ひどい前振り)
目指すは、混雑が容易に予想される狭き人気店なのだが、品の秀逸と回転率の良さが取柄なのだ。
何とか丸太のカウンターに滑り込んだ20時半、この瞬間で満席である。
他店と比較すると圧倒的に割高な飲み物を頼み、続けて串を幾つか。
まずは、つくね、ひな皮、ゴンボ(ぼんぢり)、砂きもの四本。
レバ刺しには「時価」との表記があり、大きさを指定しないとデフォルトで「大」が出てくる。
大将の指令により、醤油に酢橘を搾り入れ、山葵を溶かし、七味を軽く振って食すと、口中にてほろほろと沁みてゆく。
ししとう、椎茸を追加。
・・・大根おろしが来ない。
通い慣れた店ではあるが、暑さゆえ自己管理の不徹底さか、渋谷の犬になりきれなかったのか、今宵の焼き物は精彩を欠いており、及第点を与えられなかったのは返す返すも残念である。
メニューの端にひときわ輝く、山鳩(11月~3月)、真鴨(時価)、小鴨(価格表示空欄)等のワイルドなジビエ系、今夜攻めるのは止して、来世に期待しよう。
(了)
早い時間に退けたので、都営線を二本乗り継ぎ、目指す店へと向かう。
外に出ると陽射しは薄れて風も出てきたようで、日中に比べるとかなり涼しい。
並木に止まる啼く蝉の声が複数種重なって聞こえる。
春日駅にて乗り換える。
大江戸線は深くて遠い。
17時半前に到着。
店内は既に満席に近い。
麻雀卓如き色合いのカウンターへと通されると、A5サイズの菜譜を手渡される。
卓も看板も同色、緑色は当店のカラーのようだ。
麒麟の描かれた大瓶と看板商品である湯麺を頼む、ついでに灰皿も。
灰皿までも緑色である。
しばし待つ。
18時前の時点で混雑しているので、ぼんやり待っていても頼んだ品は直ぐには来ないのは承知だ。
大瓶がみるみる空に近付いてゆく。
ややゆっくり目に切り換える。
口径が広く底部までが浅い器が運ばれて来た。
鶏ガラから成る白濁としたスープに満たされた白い陶器、湯に沈む縮れた太い麺の上の目立った具はもやし、白菜の芯の他、賽角の豚肉片のみ。
思いの外あっさりとしており、このままでは大瓶が進まなくなることに危惧し、当店もうひとつの看板商品を一枚追加する。
程なくして運ばれるそれは、細長い皿に羽根付き状態で七つ並ぶ全てが連なっている。
卓上の醤油、酢、「すな(香味具材)」入りの辣油を三位一体とし、ミリセカンド単位で調味料の微調整を重ねてゆく。
皮の一枚いちまいが厨房の男らによって粉から手作られ、油焼かれ、蓋蒸され、そのもっちりとした皮の中身は、満州仕込みのレシピという具材、白菜が中心となって、韮、生姜、豚肉が入る。
ようやく満たされたと完食し終え席を立つと、店内の混み合い具合もひとつの佳境を迎えつつあるようだ。
ひと運動の後の如き発汗を手拭で押さえ、再び暖簾を外へ押し出だす頃には店頭には行列ができており、(明らかに没落ではあるが)貴族の心持で鼻唄混じりに、尻尾を立てて道行く猫の後ろを着いて歩くのだった。
(了)
錆色が其処彼処に浮かぶ鈍重な秤部に両の足を付けると、金属製の棒は予期せぬ来訪者に驚いたように飛び起きてさまよい、やがて静止する。
・・・えー? 夏なのに・・・。(涙)
連日の痛飲と鯨飲馬食にかてて加えて、猛暑日続きながら親の仇の如き勢いで摂取する食材の数々、それは虚勢と知りながら、溝(どぶ)に投げ込む天下の通用銭にも等しく、エンゲル係数の上昇は右肩上がりに鰻登りだ。
・・・鰻、いいねぇ。(反省の色なし)
週明けの月曜くらいは休息の意味も込め、軽く夕餉を済ませて寝てしまおうと、この街この時この身体に適した食材を選ぶべく最寄の店へ。
暖簾をくぐり、革靴を脱ぎ捨てて小上がりにると、渋茶の卓上に熱い玉露が出される。
天重を頼む。(何故!?)
やがて運ばれる膳には、大振りな海老が二本、下足(げそ)でも耳でもない烏賊本体、瞬間鱧(はも)とも見紛う鱚の天麩羅、縦に真っ二つの茄子、半月型の南瓜、蔕(へた)まで揚がった青い獅子唐。
甘辛いつゆとともに白飯を掻っ込む。
・・・大後悔。
引越し用のビニール紐と発泡スチロールの梱包材(中国製)だけで拵(こしら)えた筏と、「竹や~竿竹~」を呼び止めて購入した中身すっかすかのアルミ竿一本で大海原に漕ぎ出したきぶんだ。
胸焼けだけが生きている証とさえ思う。
いつになく寝苦しい夜になりそうだ。
(了)
期せずしてピッツェリアへ。
北沢四丁目からかくれんぼ横丁へ移動。
"Birra"
◆ハートランド樽生
"Vino"
◆フランソワ・ゲルヴェ
"Antipasto"
◆アンティパスト盛り合わせ ・・・ 槍烏賊と枝豆、鶏肉、他3品
◆ズワイ蟹のサラダ スパイスチュイルのミルフィーユ仕立て
◆イタリアのオリーブ マリナート
◆本日の鮮魚のカルパッチョ ・・・ サーモン
"Pasta"
◆本日のパスタ ・・・ 駿河湾産釜揚げしらすとブロッコリー
"Pizza alla Napoletana"
◆ピッツァ・ロマーナ
"Pesce oCarne"
◆本日の鮮魚のアクアパッツァ ・・・ 糸撚鯛(イトヨリダイ)
"Dolce"
◆マンゴーとココナッツジェラートのパフェ仕立て
◆苺とバルサミコのパンナコッタ 苺のシャーベットを添えて
ご馳走様でした。
ついでなので、四川麻辣豆腐を半丁だけいただいて帰ります。
(量)
前日の痛飲を起因として、午から気絶と覚醒を繰り返し、空腹を覚え目覚めた18時半。
高い気温と湿度に心身ともに蝕まれている状態を打破すべく、憑物落としと見立てて外へと飛び出す。
自前二輪に跨り、山手通りから中野通りへ、そのまま直進、甲州街道を渡り、商店街脇の地味な路地に目指す店がある。
飲んだくれるには程好い時刻だ。
壁に貼り出されている品書きに、「アスパラの刺身」という文字が見える。
女将に頼んでみる。
グリーンアスパラガスが直立していたと仮定するならば、正面背後問わずに上から順に幾度も袈裟斬りにした状態で皿に盛られている。
断面は瑞々しくも美しい。
女将に手によって塩が盛られ、若しくはマヨネーズか山葵醤油で喰えという。
まずはと塩で食す。
む、これは。
口にしたこともない食感。
表皮は硬いに違いないと思い込んでいたが、綺麗に裏切られてしゃっきしゃきである。
聞けば、栃木は大田原の産であるという。
当店では数年前から客に提供していたが、最近ようやくデパ地下でも取り扱い出したとは女将の談。
調子付いて、他の品を立て続けに頼む。
平目の造り、蛸ぶつ、鱚の天麩羅を肴に杯を重ねていると、気付けば四時間半が経過していた。
店の暖簾も仕舞われ、もう閉店かと帰り支度を始めていると、これから四ツ足の臓物を焼くという趣旨の連絡を受ける。
車道を我が物顔で走り抜ける高級自転車に跨る見知らぬ女の傍若無人で道交法って何?状態な自滅に等しい無謀な行為に憤りとはらはらを覚えながら、時には獲物を狩る猛禽類の如き動きで次の河岸に向かいます。
(漁)
「不用退行」という字面的にはたいへんネガティヴな単語がある。
例えばそう、ジャケットの袖口に並んで縫い付けられている釦(ボタン)を不要とする動きと説明すれば分かりやすいだろう。
要らなければ、失くせばよい。
とはいえ、デザイン上、あった方が良く見えたりもするので、無闇矢鱈とぶっ千切るわけにもゆかないのが現状である。
タハリー女史が90年代後半に創立したという服飾を求めて春日に来ている。
偶然にも会場付近の喫煙所にて、本日早退した職場の同僚に出くわし、数分の間談笑する。
「今日は広島戦」という。
なるほど。
やがて入場となり、幾つかの試着の結果、原価の80パーセントを割る値引き率にて数点を購入。
買い物テンションに浮かされ、このまま飲んだくれることにする。
ハリウッド映画、「海老漁で財を成した、走る発達障害な男」が活躍する劇中に登場する店をコンセプトとしたシーフードレストランに入る。
店内は当然アメリカン・カジュアルな内装。
スタッフを呼び付ける為には、卓上に置かている「止まれ!」と書かれた金属製のプレートをこれ見よがしに「走れ!」にチェンジすればよいという。
彼らにとっては屈辱的であろう金属音が店内に響き、やがて現れるスタッフにまずはとビールをオーダー。
続けてメニューを見ながら、海老(エビ)と浅蜊(アサリ)を。
◆ケイジャン・シュリンプ
辛味のあるケイジャンなバターでソテーしたシュリンプ。
ガーリックブレッドをバターソースをからませていただく。
◆スチームド・クラム
バケツに満たされたガーリック風味のアサリ。
別皿のソースにからませいただく。
この後、数軒を巡ることになるのだが、大きなショッピングバッグを抱えながらの移動の為、泥酔の上に過積載という不自由な夜は続くのだ。
(了)
(0824工期満了)
本日ァ落語会じゃァござんせんで、色物さんの会でござんす。
都営三田線を降りますてぇと、かつて知ったる懐かしい風景が続き、国会通り沿いの会場を目指しまさァね。
『二楽劇場』@内幸町一丁目・内幸町ホール
有難ぇことに、招待券という未だかつて見たことの券を使いましての入場で御座ィます。
開演ぶざーが鳴り渡りまして、照明が落ちますてぇと、びーじーえむは蜩の啼き声と変わり、背後からりーんちりーんと風鈴の音が聞こえてきまして、振り返りますてぇと、流浪の俳人のこすぷれをした男が舞台に向かって歩いてゆくのが見えます。
「種田山頭火の弟子、『紙だ三枚切ろうか』です」
「この編笠、どう見てもベトコンですよね」
「『まつすぐな道でさみしい』」
「『分け入つても分け入つても青い山』」
他にゃァ「咳をしても一人」もそうでしたなァと訳知り顔しておりましたら、後でそれは尾崎放哉(おざきほうさい)宗匠の作と知りまして、赤面の至りでござんす。
幾つかの作品をお客さんに渡し、高座へ向かうところに、「ゴミ忘れてるわよ」と切り落とした片割れの置き去りを指摘された師匠、返した台詞が泣き節でしたなァ。
「ゴミって云わないでください!(涙)それは我々のほうでは『B面』と呼んでます! 方々でいろいろ云われるンですよ、『紙屑』、『残り滓』とか。この間行った学校寄席では『残骸』って云われました」
で、高座に上がりまして、お客さんのりくえすとに答えての紙切りです。
林家二楽◆紙切り
「圓朝祭」 ・・・ 毎年、谷中・全生庵で行われる圓朝忌に際に一般公開される幽霊画
「纏い持ち」 ・・・ 纏を持って、屋根に上がった火消し
「牡丹燈籠」 ・・・ 「お札はがし」のわんしーん
「薔薇」 ・・・ 嫁入りする姉らしき人物に一輪の薔薇を手渡す妹らしき少女
最後の「薔薇」を貰った女の子、他の作品の「B面」を全て持たされた上、「思ってたのと違う」という面持ちで席に戻ります。
「あたしは先代(二代目)正楽の倅でして」
「兄弟子に今の正楽(三代目)がおります」
「あたしが三歳の時、当時一楽と名乗ってました正楽あにさんに、『おにいちゃん、アイドルは誰が好き?』って尋ねましたら、『浅野ゆう子』って云うんですよ」
「続けて、『あの太腿が堪らない』ってこれ、師匠の息子の三歳児に云うことですかね」
「この人、猫が嫌いなんですね」
「冬に春日部のうちまで来た正楽あにさん、師匠に云われて炬燵に入った瞬間、『キャーッ!』って凄い動きで炬燵から出ましたね」
「後にも先にもあんな早い動きの正楽あにさんを見たことありません」
「この方、目が悪いンですね。でも眼鏡もコンタクトもしないンですよ」
「一度正楽あにさんに聞いたことがあるンですよ、『見えなくて切れるンですか?』って」
「そしたら、正楽あにさん、質問に質問で被せてきました」
「『お前は見ないと切れないのかい?』って、切れるわけないだろ!」
「凄いですね、あの人、目ェ瞑(つむ)ってても切れるンですよ」
「(川柳)川柳師匠っていますよね、あのガーコンガーコンって演ってる」
「川柳師匠が当時、(三遊亭)さん生って名乗ってた頃ですかね、・・・あー、この話女性の方には引かれちゃうなァ、まァでも云いますけど」
「うちの父親と、『千住に馴染みが居る』てんで、あー、えーと、まァいわゆる女郎買いに行ったンですよ」
「もう、千住って時点で厭ですねェ」
「で、先代正楽、紙切りですから、もちろん荷物の中に紙とか鋏とか入ってるンですがね、もうひとつ別の鞄がありまして、川柳師匠が気になって中ァ開けたら、中にセーラー服が入ってったって云うんですよ」
「で、それを女の人に着せてー、そのー、ことをいたしてたって話なんです」
「・・・あー、やっぱりこれ云わなきゃよかった」
「で、続きがありまして、川柳師匠が云うにはですよ、どうも父の馴染みの女が太ってきちゃって、もうそのセーラー服がサイズ合わなくなっちゃったンですって」
「で、そのー、不満だったのか、千住で果たせなかった代わりに家に帰ってカミさんに着せてことをいたして、結果出来たのがお前だって、川柳師匠が高座で云うンですよ!」
「その後であたしが高座に上がりまして」
「そン時のお客さんのリクエストが、やっぱりていうか、当然『セーラー服』でしたね」
「もちろん、切りましたよ!」
三増紋之助◆曲独楽
「今日はいいですねぇ、愉しいなァ!」
紋之助師匠、「輪抜け」の芸が上手く出来てご満悦なんてんで、続けまして、いつもは演らない(上手くいかないから)なんてぇ仰る「羽子板」の芸が、たいへんに危うくて愉しゅうございました。
続けまして紋之助師匠、客席よりひとりの初老の男性を引っ張り揚げまして、「トト○綱渡り」のあしすとをさせるンですがねぇ、この男性、しげちゃん(仮名)の立ち振る舞いがいちいち可笑しくって、仕込みの芸人なのではと勘繰らざるを得ないンですな。
最後には紋之助師匠に、「しげちゃんと全国を廻りたい!」とまで云わしめました。
お仲入りでござんす。
林家二楽・三増紋之助・柳家喬之助◆スライドとフリートーク
「今年は世界各国に行って参りました」
すくりーんには、『南アフリカワールドカップ』という文字が縦に入りまして、あるぜんちん代表選手の方々が円陣を組んでる向こうの観客席に二楽師匠が合成されてます。
紋之助「この人たち(アルゼンチン代表)が何をリクエストするんだよ!?」
二楽「『メッシ、メッシ』って云ってましたよ」
紋之助「嘘吐けぇ! この切ったのどう見ても『羽子板』じゃんか!」
続きまして、『故マイケル・ジャクソンさんと』という文字。
手前では先に亡くなったまいけるさんが切れのいい踊りを見せておりまして、後ろのお立ち台には二楽師匠が。
紋之助「お前だけ踊りが違うよ!」
二楽「皆さん、怒らないでくださいね」
三枚目は「探査機はやぶさ」と宇宙空間に浮かぶ、二楽師匠。
二楽「これは苦しかったー」
喬之助「レベルの低いアイコラだなァ」
『アメリカへ』と続きます。
食品会社のきゃらくたーの観光地的な顔ハメに柳家さん喬師匠と写る二楽師匠。
二楽「さん喬師匠、初めは嫌がってましたけど、目線付きで写ってくれましたよ」
喬之助「さん喬師匠と全然仲良くなさそうですね」
ばーもんと州にある大学での落語の講義の風景。
二楽「この毛唐が『テェヘンダ、テェヘンダ』とか云うンですよ。あと、猫の名付けの小噺とか、『カベハー、カゼヨリモー、ツヨイカラー、カゼニシマショー』ってやつ」
紋之助「毛唐って・・・」
二楽「さん喬師匠にも『お前は差別主義者だ』って怒られました」
同じく、大学での紙切り講義の一枚。
喬之助「これ(紙切りの作品)、ヱヴァンゲリヲン初号機と第三使徒サキエルじゃないですか!」
二楽「詳しいね」
紋之助「え? これを学生が切ったの!?」
二楽「俺が切ったンだよ! こんなのこいつらに切られたら、俺要らねぇじゃん」
次なる一枚、緑豊かな大学のきゃんぱすにて、真ン中には長い半筒状の物体がありまして、浴衣を纏った異国の方が周りを囲んでおります。
二楽「日本の文化に親しんでもらおうと、流し素麺です」
喬之助「これ、雨樋ですね、ホームセンターで売ってるやつ。まァよく拭きもしないでねぇ、使ってるンでしょうねぇ」
二楽「まァそこは外人の方ですから。こいつら、めんつゆもそのまま使いやがんの、割りもせずに原液で」
続きまして、地方巡業、いわゆるドサ回りン時の画像が写し出されます。
「(桂)平治師匠らと大沢温泉にゆきました」
「受付でタオル渡されるンですけど、他の人達は白なのに、平治師匠だけ何故か、やっぱ見る人が見れば分かるンでしょうね、ショッキングピンクなんですよ」
「混浴なんですよ、まァ女の子誰もいませんでしたけど」
「平治師匠、他のお客さんもいるのに、うるさくって、『混浴、んー堪らないわー』、『女の子いないわねー、どうでもいいんだけどー』、『あたしたち芸協だしねー』、『あたしたちゲイ協よー』ってずーっと云い続けてたら、お客さんがひとり減りふたり減りと、最後は我々だけになってしまいました」」
続きまして、二世噺家らの集いの写真です。
林家正蔵、林家木久蔵、柳家花緑、桂米團治師匠らと。
二楽「これは木久蔵・木久扇ダブル襲名ン時に、『プリンスなんだから』と無理矢理撮られましたね」
喬之助「こっちは確かに王子だが、こっちは乞食ばっかりだな」
紋之助「米團治さん、写真の時ぐらい携帯止めろって」
おふた方は退場しまして、喬之助師匠が最後に舞台に残り、衝撃的な言葉を発します。
「今日、僕出番これだけなんで、落語はありません」
なるほど、時刻を見ると、九十分の予定が既に二時間を超えてるんで、致し方なしと落語は諦めやしょう。
最後はのすたるじっくな曲にのせての紙切りです。
その場で一枚切りつつも、既に仕込んであった作品の数々を曲に合わせてすくりーんに映し出してゆきます。
その入替が物凄く忙しい作業に見えまして、仕込みさえも気が遠くなるほど大変なら、高座でも額に汗する姿を目の当たりにしまして、藝に果てはないのだなァと感服致した次第で御座ィます。
これから八重洲に向かいまして、四ツ足の臓物を肴にペイイチ引っ掛けてゆこうと思います。
(了)
「なんにも用事がないけれど、汽車に乗つて大阪へ行つて来ようと思ふ」
とは、『阿房列車』で著名な内田百閒先生の秀逸なる一文だが、何も西方あなた大阪まで足を伸ばさずとも、この崇高なる精神を忘れまいと、小生も無目的な移動を繰り広げる日々を過ごしていると自負している。(何の自慢だ)
ぼんやりとバス停で並んでいると、緑色の後ろに長い車体が停車するので、人の後ろに着いて乗り込み、所持したバス共通カード(5850)をスロットに挿し入れようと突き出すが、赤い文字で注意を促すような一文を記した紙片が貼られており、磁気カードの行く手を阻んで止まない。
前方を直視した姿勢のままの運転手に問う。
あー、君きみ、何だね、これは。
「あ、すいません、それ、7月で終わりました」
終わりましたって、何かね、もう使えないということかね?
「早く云えばそうです」
遅く云ったって同んなじだよ、君ぃ。
「後ろがつかえてますので、お早く」
む、いかんな、手持ちが、あ、いや、これを使おう。
バス共通カードが7月を以って終了しているとも気付かずに使用しようとして運転手より制され、一方的な問答を繰り広げた挙句に敗北するという恥辱を公衆の面前で味わわされたので、致し方もなく非接触型ICカードを用いる。
この局面で当カードにチャージされた残額が不足していれば、更なる辱めを受けるところだった、と今はほっと胸を撫で下ろすのだった。
車窓より過ぎ行く景色を眺めていると、当然意識は消失する。
終点ですもう何処にも行きません、という旨のアナウンスが聞こえ、最後の客として後部より降りるのだった。
かの事由により、うかうかと早稲田まで来ている。
後で気付くことになるのだが、終点早稲田で下車した目前には、東京都交通局早稲田自動車営業所があり、当所にて払い戻し可能だったという。
この時点では知らないのだから、うかうかと通り過ぎるしかないのだ。
※追記:
実は所持していたカードは神奈川中央交通発行であることに気付き、上記の東京都交通局の営業所では払い戻し不可と知る。
恥を上塗るところだった。
早稲田大学大隈講堂を左に眺め、坂を下る。
右手には、寶泉寺(ほうせんじ)が見え、早稲田通りへと出る。
交差点向こうには、赤い鳥居と石段が見える。
穴八幡宮@西早稲田二丁目
鳥居より正面左側には徳川家由来の流鏑馬像が鎮座も、馬にも弓にも矢にもさほど関心がないのでスルーしておく。
穴八幡宮の名は17世紀、境内に別当寺(放生寺 ほうじょうじ)を建立せんと社僧が南側の岩壁を整地する際、掘削した横穴より金銅に輝く阿弥陀如来像が出土したという逸話に由来する。
漁網に掛かった観音像に由来する浅草神社に然り、大概の神社は何処かより仏像を拾っての命名と相場は決まっているのだ。
小生、当社参詣は初である。
私事で恐れ入るが、先日自宅で寛いでおり、暇を持て余して東京メトロが配布する今月号のフリーペーパーを手にしたところ、紙面と紙面の間より当社の札が発見された。
実はこの札に関して一片の記憶もない。
表面は髭文字的に難読で判読不明なのだが、裏面に「東京牛込高田鎮守」とあった為、はたと膝を打ち、こは穴八幡宮が配布する守り札であると得心した。
しかも二年も前の札であった。
(後に文字は「一陽来復」と判明。商売繁盛祈願という)
何故訪れたこともない小生の自宅にその札があったかという事情については割愛させてもらうが、兎に角、一度は来ずばなるまいと思いつつ時は流れ、本日思い付きにて参拝に至ったわけである。
(しかし、無目的な行動がゆえに、返納すべき札は当然自宅に置き去り)
やけに白く輝かしい石段を登り、妙に艶々とした赤く光る鳥居を幾つか潜り抜けて本殿へとたどり着く。
11世紀よりこの地を鎮守していると社伝にはあるのだが、こぎれい過ぎる社殿は真新しく、掃き清められた境内には赤いパイロンや工事中との立て看板が其処彼処に溢れ、源氏も徳川家も時代も微塵も感じない。
無論、創建時とは神社自体も周囲の環境も同一でないことは承知の上なのだが、少々肩を落とす結果となったのは返す返すも残念である。
それでは、と西早稲田より地下深く潜って帰ることにしよう。
(了)
◆天台宗 禅英山了心院寶泉寺(薬師如来)
◆高野山真言宗準別格本山 光松山威盛院放生寺(聖観世音菩薩)
(0824工期満了)
やらかしてしまった。
病的なまでに、例えばそう核兵器の発射装置を磨くように、細心の注意を払って気を付けていたはずなのだが、ふと我に返って気付いたときには祭りの後ていうか、祭りそのもの、いわば事件の現場が祭りだった。
過度の錯乱と慢性的な思考停止の為、既に何を云っているのか自分でも分からなくなっている状態の上、動悸息切れ眩暈が同時に併発し、立っても座っても寝転んでも居られない。
通常普通の思考の持ち主であれば、かような愚かな行為としての愚行乱行は起こさないのは重々承知していたはずなのだが、事が起こってしまった今現在となっては、平謝り謝罪と記者会見と懺悔室としょじょ後悔と平身低頭土下座の念でいっぱいである。
すまなんだ~。
にんにくとニラの破壊力を侮ってたー。
まずは牛乳から始めようと思う、消臭の意味を込めて。(遅いって)
(了)
あついですね。
とくにかくこともないので、けさみたゆめのはなしをしましょう。
なつにふさわしく、かいだんしあげになっていますよ。
わらうところはひとつもありませんよ。
きほんてきに「はんら」でねています。
もちろん、しただけちゃくようです。
うえだけきていると、さいがいじに、つまらないみえがじゃまをしてしまい、そとへにげられず、しにますから。
えーと、なんでしたっけ、そうそうはんらです。
はんらであることは、このはなしとなんにもからみませんが。
ゆめのなかでめがさめました。
でじたるのとけいをみると、3じをすこしすぎているようです。
かーてんごしにまどからみえるそらは、すこしだけあかるくみえました。
まどはあいています。
とびらむこうのつうろより、あしおとがきこえます。
かぜのとおりをよくするために、どあにはちぇーんをかけて、くついっそくぶんのすきまをあけています。
あしおとはとびらのまえでとまりました。
となりのじゅうにんがみずからのへやにかえろうとして、かぎをさがしているのかとおもいきや、なぜかぼくのへやのとびらをひらこうとしています。
はじめはよっぱらいがまちがえているのだろうとおもいました。
どあちぇーんはがっしりとかかっているし、よほどほそいうでのおんなのひとでも、ちぇーんははずせないすきまなので、「せつだんようのこうぐ」でももってこないかぎりは、なにをしてもあけられないはずです。
がちゃがちゃがちゃがちゃがんがんがちゃがちゃがちゃがちゃがちゃがちゃがちゃがちゃ
がんがんがちゃがちゃがちゃがちゃがちゃがちゃがちゃがちゃがんがんがちゃがちゃ
がちゃがちゃがちゃがちゃがちゃがちゃがんがんがちゃがちゃがちゃがちゃがちゃがちゃ
しんにゅうしゃは、ながいじかん、ちぇーんとかくとうしていたようでした。
そのあいだ、ぼくがなにをしていたかというと、「けいたいでんわ」をいぢっていました。
これは、なんのやくにもたちません。
つうほうはできますが、たすけはすぐにこないでしょう。
てぢかなぶきはありませんでした。
あ、「ごきじぇっと」がこうかてきだったかな?
しんにゅうしゃ(「みすい」ですが)は、ようやくあきらめたらしく、ものおとはなにひとつしなくなりました。
せいじゃくがもどったのです。
そのときです!
・・・といっても、ゆめからめざめただけで、とくにおちらしいおちはありません。
ゆめのなかでめがさめて、しんにゅうしゃのけはいにおびえるというないようのゆめをみただけでした。
それとも、とびらがちゃがちゃはほんとうだったのかな?
ふあんとよいんをのこして、きょうはこれでおしまいです。
(おわり)
四ツ足の臓物を喰らいに来ている。
暖簾をくぐると、木目を基調とした内装、鰻の寝床的に奥行きのある店内。
臓物が供給する素晴らしい栄養素だけで生きている健康そうな店員に案内されて中ほどの席へ。
日曜ゆえに刺し系は少ないと釘を刺され、幾つかの生食を諦めて、気違い水と臓物七点盛りを頼む。
ほどなくして出てくる品々。
塩での注文の為、小皿には胡麻油が満たされ、別皿にはがっつりの青葱が盛られる。
臓物職人が席まで訪れ、熱の入った指導がなされる。
三種の豚臓物はこんがりと焼け、死にたくなければな、四種の牛臓物はそんなに焼かなくてもよい、半生でもよい、焼けたらごまーぶらに浸して葱と食え、ごまーぶらが足りなければ呼べ、うほうほ等と指示されて、仰せに従って網に載せてゆく。
塩七点盛
9時の方向から時計回りに解説。
・・・人の話をあまり聞かないのが災いし、店員の懇切丁寧な臓物説明、焼き方指導を軽く聞き流してしまう。
特に牛の部位の表記にはさっぱり自信がないので信じるな。
◆ドーナッツ ・・・ 豚の軟骨。かりかりにして、こりこりと喰らう。
◆シロ ・・・ 豚の腸を切り裂いて、平たく薄くのばしたもの。
◆カシラ ・・・ 豚の頬肉。内蔵?
◆ハチノス ・・・ トリッパ! 牛の第二胃。臭気抜きの為、一度ボイルされている。トリッパ!
◆ホルモン ・・・ 広義には内臓全般を指すが、狭義ではテッチャン(大腸)である。
◆コプチャン ・・・ 小腸。ふるふるなのは脂肪。
◆ギャラ ・・・ 牛の第四胃。反芻胃ではない、消化液を分泌するという胃本来の姿である。
更に牛の胸腺であるシビレを追加し、網も焦げよとばかりに炭火に晒し、全てを喰らい尽くすと二時間半が経過していた。
猛暑のさ中、煙と脂を重ね着をし、熱帯夜を過ごすのだ。
(了)
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