本日は新宿区立図書館主催の講演会でございます。
『神楽坂生まれの作家 竹田真砂子 ~秋の文学講演会~』
@新宿区北町・愛日小学校体育館
体育館での講演てんで、上履き持参での参加と相成ります。
普段は「ジーンズとエプロン姿で近所をうろうろ」と仰る竹田先生、本日はかっちりと和装でございました。
先生の自著である新田次郎賞受賞作品『あとより恋の責めくれば-御家人南畝先生-』を著した際の資料を下敷きに講演会を進めて参ります。
まずは大田南畝こと狂歌師蜀山人先生の人となりなんですが、牛込中御徒町(現・新宿区中町)生まれの御家人でして江戸の後期、幕閣において老中田沼意次が幕政を取り仕切った頃、盛んに著作本を発表しております。
随筆や狂歌等がその内容でして、今の世にまで伝えて及んで読者を魅了して止みません。
田沼失脚後の老中松平定信の頃には政策の為に創作の場を奪われ、止む無く職務に専念したと聞き及んでおります。
竹田先生、南畝の通勤ルートを江戸地図と現在の新宿区のマップをクロスオーヴァーさせながら、此処北町の隣接しております中町よりスタートさせます。
まず竹田先生は「近道」と称しまして、田安御門を抜けての登城を目指しましたが、当時の御家人風情では当御門は近寄る事さえ許されず、徳川御三家であります尾張公のみが通行を許されており、他は何人(なんぴと)たりとも門前払いでございました。
よって南畝先生、濠をぐるりと廻るルートになります。
エアも入らない草鞋履きに鉄の塊を二本差しですから、まァ現代人には真似のできない通勤ですわね。
途中、平河(平川)御門を横目に素通りしてゆきます。
当御門は「不浄門」とされまして、生きながら城内から出たのは過去に二名のみでございました。
一人は「江島生島事件」における大奥御年寄、江島(絵島)、もう一人は播磨赤穂藩主、浅野内匠頭長矩でした。
死者のみが一方通行的に排出されるべき門を屈辱的にも生前にくぐらされたのはこの二人だけなのです。
市ヶ谷御門は「紅葉(もみぢ)」、牛込御門は「櫻」と呼ばれておりました。
まァ諸説がありまして、逆かも分からないという話ですが、紅葉川なる水流の名に由来するとなると前述の表記で正しいようです。
桜田御門は云わずと知れた「桜田門外の変」の現場なのですが、井伊家の末裔の方が涙ながらにそう話したと仰る竹田先生より「井伊家は『花の生涯』まで国賊でした」と伝えられまして、作家舟橋聖一氏原作であります、井伊直弼の生涯を描いたこの作品に対する想いが胸に響きます。
そしてようやく出社定刻五分前、公式の記録は無いとの前提ですが、南畝は和田倉御門より登城しまして勘定方としてのデスクワークに励んだと聞き及んでおります。
南畝に纏わる中町界隈の逸話に移りまして、文化人サロン的な意味合いで「自由軒」と名付けれました浄栄寺では、(どういう経緯かは不明ですが)先生が廓より身請けしたという遊女を囲っておりました。
(浄土真宗覚雲山浄栄寺)
寺の小僧らと一つ屋根の下で寝起きする姐さんて設定がもう、朝から大変ですよ。(何が)
南畝本人が眠る菩提寺は、文京区白山四丁目にあります本念寺ですがね。
(日蓮宗信弘山本念寺)
また、件の自由軒には酒井雅楽頭家の出自として知られる酒井抱一も俳人として詰めておりまして、この方のご実家は大手下馬先に広大な土地に大きな屋敷を構えておりました。
少し歩いた先には甲良町という名の町が今でもありまして、此処は幕府お抱え棟梁(大工)でありますの甲良氏が公儀より拝領した地であります。
丁度時間となりまして、講演会はお開きでございます。
微妙な空模様ながら新宿区内を西方面に移動しまして、先生抜きの打ち上げと致しましょう。
(了)
・・・目覚めると酷い倦怠感である。
昨日より引き続く咽頭痛とニューカマーとしての頭痛、発熱、悪寒、悪心、筋肉痛という多岐に亘る至れり尽くせりな症状群である。
這う様にして近所にある病院へと赴く。
受付を済ませ、待合室での検温の結果は38度6分。
辛い現実を知って、益々具合は悪くなるばかりである。
内科医より「喉が腫れてないのに熱が高い」とインフルエンザの罹患を疑われ、別室より現れた看護士より検査棒を両の鼻に突ッ込まれる。
・・・優しくして欲しいのに、手痛い仕打ちである。
結果、陰性と判明するのだが、じゃァ今のあたしのこの状態はいったいぜんたい何なのよと。
釈然としない診断ながらも処方された薬品を受け取り、ほうほうの体にて帰路に着く。
もう自分に残された選択肢としては、食べて飲んで寝るしかないのだ。
(了)
咽頭痛が止まらない。
きもち肌寒い気もしないでもない。
今日はまっつぐに帰ろう。
滋養強壮剤でも飲み干して寝てしまおう。
そうだ、そうしよう。
願わくば、道中数多ある誘惑に負けませんように。
家に帰るまでが遠足なのです。
(了)
「近隣にある女子中学校の生徒から『王子様』と呼ばれている」 (1点)
(了)
<覚ヱ書キ>
干し豆腐と水菜、ぴーまんの牡蠣詰め、片木蕎麦(へぎそば)
緑川@新潟・北魚沼郡小出町、麒麟山@新潟・東蒲原郡阿賀町津川
「『えー? ちびっこって、小さい人のび×こって意味じゃないんですか!?』と真顔で驚かれる」 (1点)
(了)
<覚ヱ書キ>
壱:サッポロ
弐:サッポロ、大徳利、ぼんぼち、肝、皮、獅子唐
参:茉莉花、麻辣棒棒鶏
肆:烏龍
本日ァ目黒区での地域寄席でござんす。
『第105回 中目黒落語会』
@上目黒二丁目・中目黒GTプラザホール
席亭代理からのご挨拶がありまして、鯉昇一門の写真集が発売された旨の告知があります。
鯉朝師匠のおカミさんが撮影してるそうでして、それ故の一門だけの写真集となっております。
瀧川鯉ちゃ◆熊の皮
「父の学生時代の同窓会で呼ばれまして、高座に上がりました」
「・・・厭なもんですよ、肉親の前って」
「しかも父親はスピーチを一言求められまして、否応無しに壇上に上げられまして」
「『学生の頃から脛ばかり齧られまして、もう脛がありません』」
「『学校へ遣り、やっと社会に出たかと思えば、今度は噺家ですと』」
「『不肖の息子です、聴いてやってください』」
「『それでは鯉ちゃさんどうぞ』って演れますか、そんなんで」
「撮影の時は鯉朝あにさんの奥さんがですね、助手である鯉朝あにさんに指示を出すんですよ」
「『カメラ』って云われたら荷物からカメラ渡して、『露光計』って云われたらさっと露光計を出したりなんかして」
「感心しながら鯉朝あにさんに『カメラマンの助手ってやる事が内弟子みたいですね』って云いましたら、物凄く怒られました」
サゲ:
「お前さんの尻に敷いてあるのが、その熊の皮だよ」
「尻に・・・あっ、そうそう、これが大事なんだ、女房がよろしくって云ってました」
三笑亭可女次◆鼓ヶ滝
本編:
歌人西行こと佐藤兵衛尉義清(さとうひょうえのすけのりきよ)、摂津は鼓ヶ滝にて詠んだ句である、
「伝え聞く鼓ヶ滝に来て見れば沢辺に咲きし蒲公英の花」
を翁、婆、娘の手によって、
「音に聞く鼓ヶ滝をうち見れば川辺に咲きし白百合の花」
と手直しされますが、目覚めると全ては泡沫(うたかた)の夢。
件の三人は住吉明神、人丸明神、玉津島明神の和歌三神ではなかったかと気が付き、自らの慢心を戒めんが為に姿を変えて現れたのだと省みるのでした。
瀧川鯉昇◆蛇含草
「誰が買うんだという内容の写真集が出ております」
「被写体の全員が二日酔いみたいな顔で写っております」
噺家の時知らずなんてぇ申しますが、此れは夏の噺ですな。
しかもマクラでは、「バスの中で暑い暑いと云う中年女性に乗客の男性からカチ割りの氷が渡されて涼を愉しむ」という小咄まで演ってらっさいました。
この小咄、元は馬車の中の夫人と馭者(御者)のえぴそーどなんですがねぇ、サゲがどうにも辛いてんで割愛させていただきまさァね。
本編:
「良い餅は噛んだ後の離れ具合で分かる」
お仲入りで御座ィます。
三笑亭可女次◆竹の水仙
本編:
左甚五郎作「竹の水仙」は肥後熊本、細川越中守に三百両で売れます。
瀧川鯉昇◆芝濱
まさかとは思いましたが、隅田川での白魚捕りえぴそーどからの導入部でした。
噺家の時知らずなんてぇ申しますが、此れは年末の噺ですな。
追い出しと鳴りまして、お開きで御座ィます。
桜橋を渡った目黒川沿いにある「芋」という意を汲む名の韓国料理店にてタジン鍋で蒸した豚とキムチや大根をきゃべつで巻きつつつまみながら、どらふとのべるじあん麦酒なんてぇいただきます。
されおつな内装に誘われたのか、隣の卓では女子だらけの女子会が執り行われておりまして、最後には「でざーと」らしき品が運ばれて参りました。
そんな中、酒飲みに甘いもんなんてぇ要らねぇやな、と啖呵を切りますてぇと追い出されかねませんので、だんまりむっつりと飲んだくれるしかないんですなァ。
(了)
(271011改題 『農林1号』)
「週末は雨降りと踏んで外出を控え、自宅にて愚図愚図としていたら、晴れ渡った青空から窓を通して光が射し込んでいるのを見て苛立ちを覚え、気象庁に対してささやかなサイバー攻撃を仕掛ける」 (1点)
(了)
「喫煙所にて煙草さえ指に挟まずにスマホでもない前時代的な携帯をまるで竹刀でも振るうが如く動作にて虚空に振り上げ振り下ろす仕草を幾度となく繰り返すスーツ姿の中年男性の鬼気迫る表情に度し難い空気を肌で感じてそっと目を逸らす」 (3点)
(了)
新宿区に来ている。
檜原村で店を始めたという甥を持つ大将の店を訪ねる。
檜原村って何処かしらね。(西多摩郡だよ)
脳内に響く半可通の声は黙殺して先に進もう。(お、シカトかい)
まずは一盞と東北からの一合を。(大将、俺も同じの)
寒い時期に見合う煮込まれた具材を幾つか。(芥子いる?)
大将から甥の店の名刺を受け取る。(何かね、店は払沢の滝の傍らしいよ)
程好い加減で帰るとしよう。(あれ、帰っちゃうの、まだいいじゃないか、おうい、ねぇってば)
(了)
<覚ヱ書キ>
奈良萬@福島・喜多方
ロ万(ろまん)@福島・会津
麓井圓(ふもといまどか)@山形・酒田
鰺のつみれ、玉葱、里芋
若造男女が一杯150円の饂飩を手繰っている。
入れ放題の天かすと青葱は卓上に山と積まれ、後続の客の分さえ考慮しない占有率である。
「ねぇねぇリョウくんてさ、ぶっちゃけいくらもらってんの?」
「俺? んー、40くらいかな」
「へぇー」
「あと、前の会社での仕事の分があって、毎月10ぐらい振り込まれてくる」
「じゃァ足して50じゃん、あたしと同じだー」
「同じって、そしたら俺負けてんじゃーん」
ってお前ら何の仕事してんだ、親に云えるのか、お母さんに云えるのか、お父さんに云ってみろ!(涙)
(遼)
腰痛である。
着座と歩行に多少少々の支障があり、有事の際には到底機敏には動けないと諦念している。
老域にある諸先輩方の気持ちが文字通りに痛いほど分かる瞬間瞬間を重ねて過ごしているのだ。
二足歩行に無理があるのだろうか。
とは云え、嘘でも常識ある社会生活を営んでいる以上、四つ足という構図は絵的にもメンタル的にもフィジカル的にも辛かろうと考える。
何とはなしに後輩に相談するも、どうしてもナルニアとヘルニアの区別が付かないという身勝手な自分エピソードに終止し、そのまま立ち去ってゆく。
役に立たん若造めが。
行住坐臥(にちじょうせいかつ)に何かしらの問題があるのだろうか。(無自覚、無反省)
起きて半畳寝て一畳という倹しい生活ながらの飲んだくれの果てのポンコツ街道まっしぐらである。
外的要因にて若干の社会性が壊れた状態は大変有意義に愉しめるのだが、息も絶え絶えに油切れの関節ぎっしぎしにて人間性まで失われた状態はぶっちゃけ面白くも何ともないので、どうにか改善していただきたいと願う今日この頃である。(他人事)
(了)
・青岛啤酒
・黄酒(绍兴酒)
・郁金酒郁金割
・皮蛋豆腐刻度酱菜
・榨菜和小胸肉的辣油拌
・烧卖(洋葱)特制点心酱添加药
・食案胶原蛋白麻辛火锅(绵羊肉・猪肉・生菜・甘薯春雨・绿豆生春雨)
(劇終)
[memo]
"Evan Williams"
"Mocambo"
("Lapalun" Rhum -1955)
「『500人参加の合コン』と聞いて何の迷いも疑いもなく映画『カリギュラ』における宴の様を思い描くのは、主催者側の趣旨とは完全に乖離した妄想につき、その時点で参加すべき人間ではないと自覚すべきだ」 (1点)
(了)
追記:
来春、第2回を開催予定。
[memo]
"Cragganmore"
"Caolila"
"Ezra Brooks"
「客がジェスチュアだけで従業員に対して勘定書きを要求する際、通常であれば左の掌を上に向けて右手にペンを持った手振りでサインをする、もしくは人差し指をクロスさせる仕草なのだが、その手付きが何を途惑いをしたものかどう贔屓目に見ても”T”の形にしか目に映らず、『タイム』にしか見えない客の意図が読めないままに思考と挙動が同時に停止する」 (3点)
(了)
[memo]
1st;
"Green Spot", "Caolila"
2nd;
"Ardbeg"
3rd;
"Glenmorangie Nectar D'or"
「出張先のシチリアにて初老の夫婦が営むトラットリアでカルボナーラを頼むが、出されたそれの玉子はパスタに馴染まずカタマリ状にて絵的に完全なる失敗作に見え、それでもまァ地元だし本場だしと口にしてみると、何をどうしたらこうなるのかと思えるほどに見事に炒飯の味しか認められず、遠い異国に地にて極東に思いをはせる」 (3点)
(了)
「国道17号線にて明らかにKFCのテイクアウトではないサイズの骨付き肉を喰らいながら歩道を闊歩するという野性味溢れる妙齢の女子とすれ違う」 (3点)
(了)
(121011)
本日ァ豊島区にて二ツ目あにさんらの早朝寄席でござんす。
早朝と申しましても午前十時からの開演てんですがね、九時半よりも前から人が並んでますな。
おっとりがたな、追っ付けあたしも列に加わりましょう。
『第89回 旗日限定!福袋演芸場』
@西池袋一丁目・池袋演芸場
テケツ(ちけっと売場)には番組に名が載らない菊六あにさんが手伝っております。
本日の番組、構成は志ん公あにさんぷろでゅーすなんてんで、開口一番は当の本人が軽く前座噺で一席を伺います。
古今亭志ん公◆平林
本編:
「あッ、今二人連れに抜かれたぞ、(春風亭)一之輔に(古今亭)菊六だ! 畜生、あいつらー」
※上記二名、来年真打昇進
柳亭市楽◆看板のピン
サゲ:
「(壷皿の)中もピン(一)だ!」
柳家喬の字◆重い男
本編:
飯田明美「理想の体型は身長180cm、体重75kg」
前川学「骨だけで75kg」
喬の字あにさん、高座返しと「めくり」を忘れて袖に下がります。
柳亭こみち◆鷺とり
「午前中は危険なんですね、よく云い間違いをします」
「この間は挨拶で『おろしくよ願い致します』と云いました」
「後は高座の最後に踊りをと思いまして、下座さんから『奴さんですか、かっぽれですか』と聴かれまして咄嗟に出たのが、『かっぽさん』でした」
「何なんだそれは、と」
「えー、本日の私の着物について少々ご説明を」
「どんな美しい方が着ても、どんな美しくない方が着ても、お年を召した方が着ても、お若い方が着ても、誰が見ても仲居に見えるんですね」
「(三遊亭)粋花ちゃんからも『ねえさん、今日の仲居っぽくないすか?』って云われました』
こみちねえさん、高座返しと「めくり」を忘れて袖に下がろうとして気付き、戻って仕事を続けます。
入船亭遊一◆目黒のさんま
「喬の字くんもこみちさんも完全に『二ツ目』病ですね」
「やはり前座の頃は座蒲団返すのが身に沁み付いてますから忘れませんが」
「二ツ目に昇進った時からそれは前座の仕事になりますから」
「こういう二ツ目勉強会には前座は居りませんで、つい忘れがちになります」
本編:
「殿は空腹である。何か持参した者はおらぬか。田中、三木、福田、大平、鈴木、中曽根、竹下、おお、そこに居るのは福田の息子ではないか、お前はどうじゃ、無いか、麻生、鳩山、菅、ああ菅、お前はいい。おお、そこに居るのは新入りの野田じゃな、お前ははどうじゃ」
「弁当はございませんが、泥鰌でしたらここに」
胃腸を患った病み上がり中というのに、揚げ物でのペイイチを目指しまして駄目な大人見本市的に昼から飲んだくれる店ェ捜しましょうかねぇ。
(了)
"La Planète des singes : Les Origines / Rise of the Planet of the Apes (2011/ 20th Century Fox/105)"
réalisation;
Rupert Wyatt
distribution;
James Franco : Will Rodman
Andy Serkis : Caesar
John Lithgow : Charles Rodman
Freida Pinto : Caroline Aranha
Tom Felton : Dodge Landon
David Oyelowo : Steven Jacobs
Brian Cox : John Landon
Chelah Horsdal : Irena
Tyler Labine : Robert Franklin
David Hewlett : Hunsiker
...Une pauvre chose est Pilote du voisin.
(fin)
(101011)
"The Tourist (2010/Columbia Pictures/103)"
réalisation;
Florian Henckel von Donnersmarck
distribution;
Angelina Jolie : Elise Clifton-Ward
Johnny Depp : Frank Tupelo
Paul Bettany : Inspector John Acheson
Timothy Dalton : Chief Inspector Jones
Steven Berkoff : Reginald Shaw
Rufus Sewell : The Englishman
Christian De Sica : Colonnello Lombardi
Alessio Boni : Sergente Cerato
"Sideways (2004/Fox Searchlight/127)"
réalisation;
Alexander Payne
distribution;
Paul Giamatti : Miles Raymond
Thomas Haden Church : Jack Cole
Virginia Madsen : Maya Randall
Sandra Oh : Stephanie
(fin)
西新宿に来ている。
痛飲の果てに表へ出てみると、東雲(しののめ)の頃を通り越した青空が眩しい、ていうか痛い。
止せばいいのにアルコヲルで麻痺した小腹は何かを欲し始め、麺の一ツでも手繰りたくなるのも人情だろう。
薄明るい大通りとは対照的に電光が衰えた薄暗い路地に入り込むと、角という立地通りに設置されたカウンターに椅子8席。
中では大将が揚げ物と麺茹での作業に追われている様子。
場所柄、時間帯を考慮しても、ていうか、した結果として、客層の駄目さ加減は極北を示している。
無駄に若い、若さだけが取り得の女子ふたり連れは空いた席に座ると、忙しなく立ち回る大将に向けて注文を投げ掛ける。
「えーと、天玉そばをふたっつください」
「ごめんなさいねー、玉子が終わっちゃって。天ぷらそばはできますよ」
「えー、それじゃァ天玉そば、玉抜きで」
・・・玉抜きて、穏やかじゃありませんな。
カオスな街に相応しい自堕落な朝を迎えていると確信した。
(了)
千代田区に来ている。
飲んだくれる前に軽く讃岐うどんでも手繰ろうと心当たりを散策。
節電も何処吹く風的な大看板が煌々と照っている様子。
当店、いわゆる「讃岐的セルフ」とは異なり、着席の後に従業員が注文を訊きに席までやって来る仕組みである。(ってふつうじゃん)
「かけうどんのきつね(温)」を頼む。
温かいだしに温かい饂飩、香川から直送されたという葱と油揚げが載る。
ほどなくして出された丼には「きつね」しか視界に入らない。
しかも劇的に肉厚なきつねである。
この具だけで食事が終了しそうな勢いである。
それでもどうにか御狐様を退治し、卓上の「たぬき(天かす)」を放り込んで本体である饂飩を手繰り始める。
・・・期待値よりはやや劣るようだ。
讃州での旅の思い出が美化されているだけではあるまい。
食にノスタルジィを求めた刹那より、その選択肢は加速度的に激減してゆくのを知りつつも止められないのだ。
(了)
「ムンバイにある観光客がひとりもいないレストランにて当然のようにカレーを注文し、数分後にフィンガーボウルもスプーンもないままカレーのみがテーブルに置かれてしまい、日本人ながら郷に入れば何とやらで不慣れな手付きにて右手でカレーをすくっては口へと運んでいると、およそ3分の2ばかり食べ終えた辺りで、インド人店員が『スミマセーン』と云いながら慌ててスプーンを持って来るのを横目で眺めながら、カレーにまみれた右手をじっと眺める」 (3点)
(了)
「初めて訪れた店でバーテンダーより『・・・ピスタチオを殻ごと召し上がる方は初めてですよ』と云われ、ミックスナッツの正しい食べ方をレクチャーされる」 (3点)
(了)
「『ねぇマスター、わたしをイメージしたカクテルをつくってちょうだい』とねだって出されたのカクテルの名が『デス・サヴァイヴァー』」 (3点)
(了)
あたたかなるやわらかものしか受け付けない難儀な身体となっている。
最早残された時間は少ないのか否か判断に苦しむところだ。(どんだけだ)
諸々の諦念よりも厭んなるのは、幾多の行動が制限されるという縛りにある。
食に対する慾が薄れている今では、目的の為には手段も選ばなかった過去を懐くばかりである。
とはいえ当日の夕刻、千代田区にて前言撤回も甚だしい展開となるのだが、それはまた別の話。
(それでも生魚は無理であったと記しておこう)
(了)
<覚ヱ書キ>
目鉢鮪、黒粋(くろそい)、眞蛸
会津中将、他二合
泥濘(ぬかるみ)から這い上がりたての肺呼吸する魚の如き体で自宅周辺を徘徊。
辛うじて生きる為だけに湧いた食慾を神の啓示と心得、せめて消化器どもを労(ねぎら)うに優しい食をと思い、先日より懇意にしている讃岐の饂飩を付け狙う午前9時半。
・・・同じ通りに立ち並ぶ同種の二店舗は口を揃えて10時開店と謳いやがる。
それでも少し待てば開くのかと考え直し、10時まで店頭にて佇んでみる。
饂飩を食す為に開店前に並んだのは、此の世に生を受けてから初めてである。
・・・あれから数分が経過、時刻は10時を過ぎている。
店内にある釜から上がる湯気は通りに流れて来るのだが、人の流れは一向に無い様子である。
・・・店を替えよう。
路地を抜けた先の通りに面している24時間営業という頼もしい看板を掲げた同種競合店を目指す。
入店、注文の順で目当ての饂飩を受け取って食す。
・・・さっきの店の開店を待てばよかった。
取捨選択の消去法が成り立たない世界観とは共産主義だけかと思ったが、うちの近所もそうだったとは驚きだよ。
(了)